映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

雪夫人絵図 (溝口健二)

2012年12月05日 05時40分22秒 | 溝口健二

『雪夫人絵図』
公開 1950年10月21日 (86分)

監督  溝口健二
製作  滝村和男
原作  舟橋聖一
脚本  依田義賢
撮影  小原譲治
美術  水谷浩
編集  後藤敏男
音楽  早坂文雄
助監督 小森白

出演
木暮実千代 信濃雪
久我美子 安部浜子
上原謙  菊中方哉
山村聡  立岡
加藤春哉 誠太郎
浦辺粂子 きん
夏川静江 お澄
浜田百合子 綾子
柳永二郎 信濃直之
小森敏  宇津保館板前
石川冷  宇津保館板前
田中春男 ボーイ
水城四郎 運転手


夫は、財産を食いつぶしながら、愛人と一緒に暮らしている道楽者.なにがなんでも別れなければならない相手です.にもかかわらず、夜になると、やっぱりあなたが良いと、自分から擦り寄っていってしまう様な雪は、方哉にとっていくら好きな相手であっても、どうすることも出来ません.方哉は酔っ払って『妻を幸せにしてやって欲しい』と夫に言ったのですが、これ以外に言い様がないのですね.
作品全体を捉えれば、(庶民の男では華族の妻は幸せには出来なかった)華族の男たちに、自分たちが働いて妻を幸せにしろ、と、このように言っているのでしょう.
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書き加えれば、方哉は非常に聡明な人間として描かれています.今一度書けば、夫は、財産を食いつぶしながら、愛人と一緒に暮らしている道楽者.あくまでも悪いのは夫、家から追い出さなければならない人間であり、追い出してしまえば済む話である.
けれども、雪の望むように方哉が雪と関係を持ったならば、雪も所詮は財産を食いつぶして生きている人間であり、それでは全く夫と同じになってしまう.だから、方哉は体を求める雪を拒絶し、そして旅館をやるように勧めました.
夫は弱い人間であった.財産を失ってしまったら何も残らなかったのです.方哉は雪に強くならなければいけない、と言いましたが、夫が弱い人間であったと考えれば、夫と逆の生き方をすれば強くなれるはずである.何度も書くことになりますが、夫は財産を食いつぶしながら、SEXに狂った生活をしていた、こう言えるわけで、自分でお金を稼ぎ、SEX狂いを絶てば強くなれるのが分ります.
夫が愛人に旅館の経営をやらせようと言いました.誰がどう考えても酷い話です.さて、方哉と雪が自分たちだけの幸せを考えて、二人で駆け落ちのような形で逃げてしまったとしたら、女中達奉公人にとっては、夫が愛人に旅館の経営をやらせようとしたのと同様に、無責任で酷い話であったと言わなければなりません.
雪は京都へ夫に会いに行って、結果自殺を図ったのですが、奉公人からみれば無責任な行動でした.強い人間になるとは、自分でお金を稼ぐこと、描かれた雪の場合は、旅館の経営者として自覚を持つこと、つまりは夫と別れることであり、それはSEXすることより大切なのは当然のことである.けれども雪は、SEXに狂って自分のことしか考えていなかったと言えます.SEXに狂い道楽で財産を使い果す夫と、SEXに狂って別れられなかったと言うことは、自分がSEXに狂って財産を使い果たしたのと同じことなのですね.
いまひとつ書き加えれば、雪と夫を別れさせようとする山岡の企みに雪は乗ってしまったのですが、方哉は乗りませんでした.SEXに狂っている人間は自分のことしか考えない人間であり、皆の幸せを考えれば、決して他人の悪巧みにはまることはなく、正しい生き方が見つかるはずである.
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と、書いたところでもう一度考え直してみると.
雪も、夫も、好いた惚れたの恋愛感情ではなく、相手は誰でも構わない、SEXに狂っている人間である.そして、浜子は雪の家に女中として働き始めた.その浜子の視点から雪が描かれている.つまり、新入社員が社長を観ている視点と同じであり、社長はSEXに狂って会社が潰れてしまった、馬鹿野郎(意気地なし)、と言う内容です.
『旅館の経営者という、自分の立場を考えなさい.あなたには旅館を経営し、従業員を養って行く責任がある.その責任と、あなたのSEXとどちらが大切か、よく考えてみなさい』このように、方哉が雪に言ったとしたら、話がそれで終わって、映画にならなくなるのは分りますが、けれども、推理小説ではないので、作家がわざと書かないのはいかがなものでしょうか?
私は、一度は上手く作品を纏めていると思ったのですが、これでは三流の作家に過ぎないと思います.
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誰にでも分るように描きながら、それでいて分らないように描ききれば一流.方哉が雪に分りやすく説明しようとしたけれども出来なかった、あるいは、分りやすく説明したけれど雪には理解できなかったと描ければ一流なのですが.
方哉は誰が好きになっても不思議でない好青年.箱根からの電車で、初めて出会った方哉を浜子が好きになり、秘かに好意を抱いていた.
雪が京都に出かけたあたりで二人が会う.
『方哉さん、もう少し雪さんに優しくして上げても良いのでは』浜子
『君、僕のこと好きかい?』以下、方哉
『でも、僕が君のことを好きだと言っても、君は僕に体を任せようとはしないだろう』自分の立場を考えて行動する.
『僕だってそうさ.仮に僕が雪さんより君の方が好きだとしても、今すぐ君と一緒になることは出来ないのは、君にも分かるはず』雪と浜子、二人の幸せを考える.皆の幸せを考える.
こんなシーンを追加すれば、浜子の存在が生き、作品全体がまとまりを持つと思うのですが.言わなくても皆分ることのはずである、と描いて二流でしょうか.


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