映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

ビルマの竪琴 (市川崑1956年)

2019年05月24日 05時15分11秒 | 邦画その他
ビルマの竪琴 日活 1956年
 
製作.....高木雅行
監督.....市川崑
原作.....竹山道雄
脚本.....和田夏十
撮影.....横山実
照明.....藤林甲
録音.....神や正和
美術.....松山崇
音楽.....伊福部昭
竪琴.....安部よしゑ
振付.....横山はるひ
編集.....辻井正則

出演者
.....三国連太郎
.....安井昌二
.....浜村純
.....内藤武敏
.....西村晃
.....春日俊二
.....中原啓七
.....伊藤寿章
.....土方弘
.....青木富夫
.....花村信輝
.....峰三平
.....千代京二
.....小柴隆
.....宮原徳平
.....加藤義朗
.....成瀬昌彦
.....森塚敏
.....天野創治郎
.....伊丹慶治
.....市村博
.....長浜陽二
.....三笠謙
.....沢村国太郎
.....中村栄二
.....佐野浅夫
.....佐野浅夫
.....小笠原章二郎
.....登内朋子
.....北林谷栄


特別出演
.....三橋達也
.....伊藤雄之助

ビルマの土は赤い.....
     岩もまた赤い.....


満月の夜、通りがかった僧侶が、瀕死の重傷を負い倒れている水島を見つけた.
僧侶は水島をバゴタへ連れ帰り、看病する.
「今日でもう五日経つ」
「何事も無駄な事だとなぜ悟らぬのか」
「日本軍が来ても、イギリス軍が来ても.....ビルマはビルマ、仏の国だだ」

元気になった水島は、僧侶が河で水浴をしている時、法衣を盗んで逃げ出し、自分で頭を剃って僧侶に化けて、元の部隊へ戻ることにした.
彼は、ボロボロの法衣を纏い、痛い足を引きずりながら歩き続けたが、やがて腹を空かして地面にへたり込んだ.
彼はもうだめだと思ったであろうか.けれどもそこへ通りかかった地元民は、彼を本物の僧侶と思い、お辞儀をして食べ物を分け与えてくれたのだった.

部隊へ戻る道筋は白骨街道、おびただしい数の日本兵の死骸が散乱していた.彼は遺体を埋葬しようとしたが一人では無理で、幾人か埋葬しただけで、あきらめなければならなかった.
行けども行けども、見捨てられた日本兵の遺骸は尽きることが無かった.
大河の畔では、おびただしい数の日本兵の遺骸に出会い、彼は目を覆い逃げ出したのだった。

やがて彼は、自分を救ってくれた僧侶に、法衣を奪って逃げてきた僧侶に出会ったのだが、僧侶は水島を咎めることはなく、自分の乗ってきた船で行くように勧めてくれたのだった.

やっと収容所のある街までたどり着いた.明日には部隊に合流できる、日本に帰れるはずと喜んだ水島だった.けれども、翌朝、病院で亡くなった日本兵を埋葬するミサを目撃した水島は、放置されたままの日本兵の遺骸が思い起こされて来た.
外国人が日本兵の墓を作り埋葬してくれるのに、日本兵が日本兵の遺骸を放置したまま日本へ帰ろうとしているのは、どういうことなのか.....

彼は、自分を救ってくれた僧侶の元に戻って詫び、本当の僧侶になって、日本兵の遺骸の埋葬を続けることにしたのだった.









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