映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

あに・いもうと (1953年8月19日公開 86分 成瀬巳喜男 大映)

2018年03月29日 03時43分50秒 | 成瀬巳喜男
『あに・いもうと』 (1953年8月19日公開 86分 成瀬巳喜夫 大映)
監督  成瀬巳喜男
企画  三浦信夫
原作  室生犀星
脚本  水木洋子
撮影  峰重義
美術  仲美喜雄
衣裳  堀口照孝
編集  鈴木東陽
音響効果 花岡勝次郎
音楽  斎藤一郎
助監督 西條文喜

出演
姉 もん...京マチ子
妹 さん...久我美子
兄 伊之吉..森雅之
小畑.....船越英二
うどん屋の息子鯛一...堀雄二
赤座.....山本礼三郎
妻りき....浦辺粂子
貫一.....潮万太郎
喜三.....宮嶋健一
坊さん....河原侃二
豊五郎....山田禅二
とき子婆さん.本間文子


成瀬巳喜男は、原作を忠実に描く監督なのですが(悪く言えば能無し)、この作品、最後の方でしくじっているのですね.
好きだったうどん屋の息子の家はバス停のすぐ前だった.妹はおそらく彼がもう結婚しているであろう、そう思うと会いたくなくて、いつものバス停ではなく、別のバス停から歩いて帰ってきた.「変な道から来たのね」と言って、姉と出会いました.
東京へ戻る時も同じで、妹はうどん屋の息子に会いたくないので、「次のバスまで歩くの、暑いわね」と言う姉の言葉になるのですが、この辺の会話は変です.
「どうして、次のバス停まで歩くの?」「別に、なんでもないの」と言うような、ちょっと変な会話に変えれば、妹がうどん屋の息子に会いたくないのだと言うことがよく分るのですが.
さて、それはそれとして、次の会話.「今度何時帰ってくるのと」、妹が聞いたら、「母さんたちの顔を観たくなったら.あんな兄でも顔を見たくなるときがあるの」と、姉は答えました.兄は「『お前なんか、顔を観たくない.出て行け」と、姉に言ったのですが、「嫌な兄だけど、顔を観たくなるときがある」、姉はこう言ったのですね.
兄、妹の対比がここにあるのですが、会いたいと思う、それが家族の自然な心のはず.
妹とうどん屋の息子の場合では、うどん屋の両親は二人が会うのを邪魔しました.それは、息子の心を何も考えない行為であり、家族の心とは言えません.
それに対して、この兄妹の両親は、父親は昔気質の頑固親父だったのですが、もう、おそらく娘が会いたくないであろう、そう思われる男が尋ねてきたとき、丁寧に応対をしました.娘に会いに来た男を、決して粗末には扱わなかった、恨みのある相手であっても、会いたいという心を大切にした、ここに、家族の心があると言えるはずです.







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