『雪崩』 (1937年 59分 成瀬巳喜夫 P.C.L.映画製作所)
監督 成瀬巳喜男
製作 矢倉茂雄
原作 大佛次郎
構案 村山知義
脚色 成瀬巳喜夫
撮影 立花幹也
録音 鈴木勇
装置 北猛夫
編集 岩下廣一
音楽 飯田信夫
出演
横田蕗子.....霧立のぼる
日下五郎.....佐伯秀男
江間弥生.....江戸川蘭子
五郎の父.....汐見洋
母.....英百合子
蕗子の父.....丸山定夫
小柳弁護士....三島雅夫
弥生の弟.....生方明
『今までは忙しかったので、子育てをお前に任せてきたが.これから先は私の役だ.お前も良くやってきてくれたことには感謝しているが』
長い会話なので要約すると、父親は母親にこのように言いました.これからは、子育ては、母親に代わって自分がやると言いました.
『紙のように薄っぺらなお前の真実と別れるか、それとも、おまえの自由を跋扈して俺の力と手を切るか』
そして、父親は五郎にこのように言ったのですが、これは子育てとしての言葉だったのですね.
『よござんす、嘘つきになりましょう』
五郎は、こう答えました.
------------------------------
『私の金に頼って蕗子とこのまま一緒に暮らすか、おまえの自由を取って蕗子と別れるか』父親と五郎の会話を要約すればこうなります.
五郎は、父親の言葉に従って蕗子と一緒に暮らしていたのだけど、嫌で嫌でたまらなくて、心中しようと考え、次には蕗子だけ殺そうと考えました.つまり、五郎は幸せであったとは言えず、自分を殺そうと考えるような男と一緒に暮らしている蕗子にしても、幸せな生活とは言えませんでした.
いまひとつの方、五郎が父親に逆らって蕗子と別れたとしたら、やはり蕗子は不幸であったと考えると、父親が五郎に言った言葉は、どちらをとっても、蕗子は幸せになれなかったのです.
五郎が心中しようとしたとき、蕗子はなぜ心中するのか聞きました.そして二人の会話によって、五郎は心中をするのをやめました.
夫婦が話し合ったら心中をやめることになった.幸せになったと言えなくとも、不幸な出来事は避けられました.他方、親が何を言っても子供を幸せにすることが出来なかった.つまりは、結婚するにしろ、別れるにしろ、男女の二人が話し合って決めることであり、親が指図して決めることではない.
五郎は蕗子と一緒になるために駆け落ちのまねをして、無理矢理結婚を認めさせました.その時、父親が迎えに来ることを分っていてやったのですが、簡単に言えば親に甘えている人間なのです.五郎は蕗子との結婚を決めるときに、二人で話し合って決めたのではなく、親に甘える方法で決めたのです.
蕗子は従順なだけが取り柄の女性.言い換えれば自分では何も決められない女性.つまりは自分一人では生きて行かれない女性である.
弥生は、自分の力で生きて行きたいと考えた.そう考えて五郎との結婚を躊躇ったのだけど、結局は五郎の強引さに負けてしまった.
3人まとめて考えれば、誰一人として、自分の力で生きて行ける子供はいない.つまりは親の子育てが間違っていたのです.
蕗子が日本髪を結って実家に帰ったとき、父親の友人の弁護士が遊びに来ていた.弁護士に、『娘の結婚の時、世話になった』と言ったのですが、蕗子の父親も、娘の幸せを考えた行為としたら、やはりおかしな感覚の父親であったと思います.
今一度まとめれば、
結婚するのも、別れるのも、子供を育てることも、男女の二人が、夫婦の二人が、話し合って決めなければいけないことである.
親が子供を幸せにしてやると考えることは間違いであり、子供が自分の力で幸せをつかむことが出来る力を育てること、それが正しい子育てである.
-------------------------------
大佛次郎の原作を忠実に再現しているのですが、残念ながら原作の持つ芸術性を誰も理解できないので、非常に低い評価に終わってしまったことは、成瀬巳喜男に取っては非常に不幸なことだったと思います.

監督 成瀬巳喜男
製作 矢倉茂雄
原作 大佛次郎
構案 村山知義
脚色 成瀬巳喜夫
撮影 立花幹也
録音 鈴木勇
装置 北猛夫
編集 岩下廣一
音楽 飯田信夫
出演
横田蕗子.....霧立のぼる
日下五郎.....佐伯秀男
江間弥生.....江戸川蘭子
五郎の父.....汐見洋
母.....英百合子
蕗子の父.....丸山定夫
小柳弁護士....三島雅夫
弥生の弟.....生方明
『今までは忙しかったので、子育てをお前に任せてきたが.これから先は私の役だ.お前も良くやってきてくれたことには感謝しているが』
長い会話なので要約すると、父親は母親にこのように言いました.これからは、子育ては、母親に代わって自分がやると言いました.
『紙のように薄っぺらなお前の真実と別れるか、それとも、おまえの自由を跋扈して俺の力と手を切るか』
そして、父親は五郎にこのように言ったのですが、これは子育てとしての言葉だったのですね.
『よござんす、嘘つきになりましょう』
五郎は、こう答えました.
------------------------------
『私の金に頼って蕗子とこのまま一緒に暮らすか、おまえの自由を取って蕗子と別れるか』父親と五郎の会話を要約すればこうなります.
五郎は、父親の言葉に従って蕗子と一緒に暮らしていたのだけど、嫌で嫌でたまらなくて、心中しようと考え、次には蕗子だけ殺そうと考えました.つまり、五郎は幸せであったとは言えず、自分を殺そうと考えるような男と一緒に暮らしている蕗子にしても、幸せな生活とは言えませんでした.
いまひとつの方、五郎が父親に逆らって蕗子と別れたとしたら、やはり蕗子は不幸であったと考えると、父親が五郎に言った言葉は、どちらをとっても、蕗子は幸せになれなかったのです.
五郎が心中しようとしたとき、蕗子はなぜ心中するのか聞きました.そして二人の会話によって、五郎は心中をするのをやめました.
夫婦が話し合ったら心中をやめることになった.幸せになったと言えなくとも、不幸な出来事は避けられました.他方、親が何を言っても子供を幸せにすることが出来なかった.つまりは、結婚するにしろ、別れるにしろ、男女の二人が話し合って決めることであり、親が指図して決めることではない.
五郎は蕗子と一緒になるために駆け落ちのまねをして、無理矢理結婚を認めさせました.その時、父親が迎えに来ることを分っていてやったのですが、簡単に言えば親に甘えている人間なのです.五郎は蕗子との結婚を決めるときに、二人で話し合って決めたのではなく、親に甘える方法で決めたのです.
蕗子は従順なだけが取り柄の女性.言い換えれば自分では何も決められない女性.つまりは自分一人では生きて行かれない女性である.
弥生は、自分の力で生きて行きたいと考えた.そう考えて五郎との結婚を躊躇ったのだけど、結局は五郎の強引さに負けてしまった.
3人まとめて考えれば、誰一人として、自分の力で生きて行ける子供はいない.つまりは親の子育てが間違っていたのです.
蕗子が日本髪を結って実家に帰ったとき、父親の友人の弁護士が遊びに来ていた.弁護士に、『娘の結婚の時、世話になった』と言ったのですが、蕗子の父親も、娘の幸せを考えた行為としたら、やはりおかしな感覚の父親であったと思います.
今一度まとめれば、
結婚するのも、別れるのも、子供を育てることも、男女の二人が、夫婦の二人が、話し合って決めなければいけないことである.
親が子供を幸せにしてやると考えることは間違いであり、子供が自分の力で幸せをつかむことが出来る力を育てること、それが正しい子育てである.
-------------------------------
大佛次郎の原作を忠実に再現しているのですが、残念ながら原作の持つ芸術性を誰も理解できないので、非常に低い評価に終わってしまったことは、成瀬巳喜男に取っては非常に不幸なことだったと思います.
