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映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

ベリッシマ - BELLISSIMA - (1951年  イタリア ルキノ・ヴィスコンティ)

2012年12月05日 21時50分28秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
ベリッシマ - BELLISSIMA -
1951年  115分  イタリア

監督  ルキノ・ヴィスコンティ
脚本  スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    フランチェスコ・ロージ
    ルキノ・ヴィスコンティ
撮影  ピエロ・ポルタルピ
    ポール・ロナルド
音楽  フランコ・マンニーノ

出演
    アンナ・マニャーニ
    ワルテル・キアーリ
    ディーナ・アビチェラ
    アレッサンドロ・ブラゼッティ


泣いた者と、笑った者.
子供が、泣いていた.それを見て、笑った者たちと、それを知って、泣いた母親.

このお母さん、子供をスターにしたかったのだけど、子供をスターにしてお金を稼ごうとしたわけではない.住宅資金を賄賂に使い込んでしまったのだけど、そのお金はローマ中の人を糖尿病にして、自分で稼ぐと言っている.
子供は、踊りの練習を嫌がり、父親は子供がこんなに疲れるまで、何をやらせているのだと怒った.写真を撮るのも嫌がり、髪の毛はチリチリパーマになってしまって、誰からみても変、それでも、この子が選ばれたのだけど.
試写室から覗き見した自分の子供は、演技が上手い下手の以前に、泣いていた.嫌で泣いたのか、何かが怖くて泣いたのか、それは分からないけど、どちらにしても、子供はこんなことはしたくないから泣いたのは間違いないこと.
母親は、子供にとって良かれと、スターにしようと思ったのだけど、子供はそんなことは望んでいないだけでなく、子供にとっては、泣き出すような耐えられないことだった.母親は、試写室で子供の泣き出す姿を見て、自分が子供のためと思ってやっていることが、子供を苦しめていることに気がついた.だから、帰り道、バスを降りて、ベンチに腰を下ろし、子供を抱き締めて泣いたのだった.
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少し視点を変えれば、撮影スタッフが、試写室で子供の泣く姿を観て、皆で笑っていたいたのですが、理由がなんであれ、子供が苦しむ姿を観ながら笑っている人間は、人間的な感情を持ち合わせているとは思えません.









映画『家族の肖像』 - CONVERSATION PIECE - (ルキノ・ヴィスコンティ)

2012年12月05日 08時15分23秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
家族の肖像 - CONVERSATION PIECE -
1974年 イタリア / フランス 121分

監督  ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
製作  ジョヴァンニ・ベルトルッチ GIOVANNI BERTOLUCCI
原案  エンリコ・メディオーリ ENRICO MEDIOLI
脚本  スーゾ・チェッキ・ダミーコ SUSO CECCHI D'AMICO
    エンリコ・メディオーリ ENRICO MEDIOLI
    ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
撮影  パスクァリーノ・デ・サンティス
美術  マリオ・ガルブリア MARIO GARBUGLIA
装置  DARIO SIMONI
編集  ルッジェロ・マストロヤンニ RUGGERO MASTROIANNI
音楽  フランコ・マンニーノ FRANCO MANNINO

出演
バート・ランカスター BURT LANCASTER
ヘルムート・バーガー HELMUT BERGER
シルヴァーナ・マンガーノ SILVANA MANGANO
クラウディア・マルサーニ CLAUDIA MARSANI
ステファノ・パトリッツィ STEFANO PATERIZI
ロモロ・ヴァリ ROMOLO VALLI



コンラッドは手紙には、もうお会いすることはないでしょう、こう書きながら、教授の元に戻っていた.最後まで身勝手、こう言ってよいのだろうか.それに加えて、彼の死は、自殺なのか他殺なのか分からない.最後まで、わからない映画.

教授の元にやって来たこの家族、非常識のかたまり、こう考えれば、彼らを分からなくて当たり前なのだけど.だけど、教授の方は、常識をわきまえた人間に思える.だとすれば、教授の姿から、何か分かるものが無ければならないはず.でも、最後まで、何も分からない.

えーっと、最初からもう一度考えて、っと.
教授の家に現れた母親は、その登場の仕方からして非常識.話の内容も非常識.全くもうどうしようもない.それに比べれば、まだなんとなく、娘の方はまともな所があるかなって、思えたのだけど.だけど、この教授、欲しくてたまらなかった絵画をプレゼントされて、結局、娘の言葉に押し切られるように、訳の分からない家族を受け入れることにした.これって、教授は絵に対する欲望に負けたんだ.

もう一つ、これもなにか変だわ.
乱交シーン.教授は唖然とした表情で若者たちを見つめていたように思う.あの娘、ただのゲームよ、こんな言い訳をしながら、教授にキッスしたりして.でも、「望まれれば結婚してもいい」「望まない」、教授は明瞭に、冷静に、若者たちに対応している.
けれど、この後が、なにか変な感じ.
「二人のどちらかが私を妊娠させたら、子供を産んで先生にあげる」、ふざけるな、子供は大人のおもちゃじゃない.
それに対して教授は「老い先が短い.年かさの子がいい」、こう答えたのだけど、娘の非常識な言葉を、真に受けて答えている.孤独な老教授は子供が欲しい、自分の絵の研究を理解できる、コンラッドと一緒に暮らしたい、こう、望んでいたので、この様な受け答えをした.この後の会話、成り行きが、コンラッドを自分の子供のように思うのが、当然のような感じに思えるのだけど、これも、教授が自分の欲望に負けた、と、言えるのじゃないかしら.

先の、絵をプレゼントされた場合と比べると、乱交シーンの場合は、見直すまでは分からなかった.マリファナを吸って、何とも言いようのない官能的な雰囲気.思わず、私もしたいと思った.それに、全裸のコンラッドの、おちんちんが見えそうな?、そうか、きっと欲望に惑わされたのだ.

これで分かった.教授は絵をプレゼントされて、絵に対する欲望に負けて、非常識な家族を受け入れ、そして、子供が欲しいと言う欲望に負けて、「子供をあげる」と言う、娘の非常識な言葉を、真に受けてしまい、コンラッドを自分の子供のように思い込んだ.

まとめると、
教授の姿からは、人は欲望に負けると、常識的な考え方を失ってしまう.

母親は、非常識のかたまり.人間は常識を失うと、欲望だけが残る.この人は性的欲望のかたまり.

コンラッドは、非常識のかたまり.人間は常識を失うと、欲望だけが残る.この人は金銭的欲望のかたまり.

物事は、常識を持って考えること.



白夜 - Le notti bianche - (ルキノ・ヴィスコンティ)

2012年12月05日 06時09分49秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
白夜 - Le notti bianche - (1957年 102分 イタリア)

監督  ルキノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti)
製作  フランコ・クリスタルディ (Franco Cristaldi)
原作  フョードル・ドストエフスキー (Fedor Dostoevskij)
脚本  スーゾ・チェッキ・ダミーコ (Suso Cecchi D'Amico)
    ルキノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti)
撮影  ジュゼッペ・ロトゥンノ (Giuseppe Rotunno)
音楽  ニーノ・ロータ (Nino Rota)

出演
マリオ..........マルチェロ・マストロヤンニ (Marcello Mastroianni)
ナタリア.........マリア・シェル (Maria Schell)
下宿人..........ジャン・マレー (Jean Marais)
娼婦...........クララ・カラマイ (Clara Calamai)
ダンサー.........ダーク・サンダース (Dick Sanders)



「あなたねえ、私、晩御飯なのだから邪魔しないでくれる.せっかく見つけたの、取られたら大変だからあっち行こうっと」あのワンちゃん迷惑そうに何処かへ行っちゃった.
「ここは私たちのねぐらなの.人間のあなたが入ってきちゃ駄目じゃない.ケコ、コケコ」鶏さんは大騒ぎ.あの女の子に鳥小屋に入ってこられて、やっぱり迷惑よね.
と言うことで、ワンちゃん、鶏さんが迷惑、迷惑が描かれているみたいだけど、大辞林で迷惑を引いてみよう.

1.他人のしたことのため、不快になったり困ったりすること.
2.どうしてよいか迷うこと.
3.困ること.

それぞれの対比を考えておきましょう.
1.に対しては、親切が当てはまりそうですね.
2.に対しては、決断すること.
3.が少し難しいけれど、困らないことを考えてみると、例えば約束を破られると困る、約束を守る、と言うことが困ることの対比になるみたい.と言うことで、これだけ書けばこの映画のほとんどを言い表せれたと思うのですが.

親切、と言うのがけっこう難しいもの.親切ごかし、あるいはありがた迷惑とか、わずかな事で反対の感情に変化してしまう.そうした微秒な心の綾が、男、女それぞれの心の変化の中に織り込んで描かれていると言えます.
ダンスホールの光景が一番分かりにくいのかもしれませんが、一度もダンスを踊ったことのない彼女、始めは引っ込み思案から迷惑がり、ありがた迷惑そうに踊ってみて、最後は楽しい体験になるのですね.
今一人、娼婦の女にも触れておきましょう.あの男にどうも気があるみたいなこの女、流し目遣いで付きまとう.口笛を吹いてタバコに火をつけろ、つまりは親切にしろ、迷惑そうに火をつける男.そして喧嘩のさなか女はこう言いました.「私は誰にも頼らずに生きてきた」、誰にも迷惑をかけずに生きてきたと.

迷惑、その対比として親切、決断、約束を守ることが描かれました.「私、好きな人が居るの.だから、私を好きになっては駄目よ」、男にとってこれは女との約束.自分の行為は親切、約束を守って彼女のことを諦めることを決断しました.これが白夜の出来事の結末であり、そこに正しい愛がある.もっと簡単に言ってしまえば、相手に迷惑にならないように接すること、それが愛.さりげなく他愛なく描かれています.

と言うのは表向きで、ヴィスコンティ、これでもか、これでもかと、くだらないことばかり寄せ集めて映画を撮った、ようにも思われます.


泣きたいのだから、一人で泣かしておいてよ.....

慰めてくれる親切なんて、迷惑よ

どうしても家まで送って行くと言って、マリオは家まで付いていった.
親切の押し売り=迷惑


素敵な女の子が見つかって、浮かれて帰ってきたらしい.

夜中に歌なんか歌って.....


全くもう、この忙しい時に電話してきて.....

迷惑だから、居るのに居ないと言った


鶏小屋に逃げ込んで、隠れたつもりらしいけど、鶏さんは迷惑

迷惑だった、のだけど.....

迷惑よ、迷惑よと幾度もマリオの親切を拒んだのだけど、最後は受け入れてしまった.
親切にする行為は優しく接する行為で、確かに愛情であり、ナタリアにも愛情として受け入れられたのだった.けれども、正しい愛は一つあれば充分で、それ以上あっても迷惑なだけだった.

親切に手紙を書いてあげたのだけど、でも、彼女は自分で手紙を書いて用意していた.

手紙を渡す約束をしたけど、なぜ自分が手紙を届けなければならないのか.....
マリオは手紙を破って捨ててしまった.


誰にも頼らずに生きている=誰にも迷惑をかけず生きている






わざわざ家のない人々の目の前で、幸せを語ることもないだろう.

貧乏のどん底の人々にとって迷惑な話.






白夜



幸せの絶頂は一瞬だった.



好きな人を待ち続けていると言ったのに、それでも無理矢理親切にして、
マリオはナタリアを迷わせることになった.彼の親切は、所詮は迷惑に過ぎなかった.



愛とは親切にする行為にあるのだろうか.....
否、迷惑にならないように気遣う、さりげない心の中にあるのでは.....


映画『山猫』 - IL GATTOPARDO - (ルキノ・ヴィスコンティ 1963年 イタリア/フランス)

2012年12月05日 05時08分05秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
『山猫』 IL GATTOPARDO
1963年 161分 イタリア/フランス

監督   ルキノ・ヴィスコンティ KUCHINO VISCONTI
製作   ゴッフリード・ロンバルド COFFREDO LOMBARDO
原作   ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
脚本   スーゾ・チェッキ・ダミーコ SUSO CECCHI D'AMICO
     パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ PASQUALE FESTA CAMPANILE
     エンリコ・メディオーリ ENRICO MEDIOLI
     マッシモ・フランチオーザ MASSIMO FRANCIOSA
     ルキノ・ヴィスコンティ
撮影   ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽   ニーノ・ロータ NINO ROTA

出演
バート・ランカスター BURT LANCASTER
アラン・ドロン ALAIN DELON
クラウディア・カルディナーレ CLAUDIA CARDINALE
パオロ・ストッパ PAOLO STOPPA
ロモロ・ヴァリ ROMOLO VALLI
イヴォ・ガラーニ IVO GARRANI
セルジュ・レジアニ SERGE REGGIANI
リナ・モレリ
ジュリアーノ・ジェンマ
オッタヴィア・ピッコロ
ピエール・クレマンティ







- 公爵 -
戦争が始まって妻は怯えていた.けれども夫の公爵は、妻をほったらかして愛人の元へ出かけた.彼の妻は敬虔なカトリックだった.「努力して子供を何人か作ったけれど、妻のヘソを見たことがない」と、懺悔をしろと言う神父に公爵は言い訳したのだが、いくら我慢が出来ない、楽しいSEXがしたいと言っても、戦争と言う情勢を思えば、不安がる妻をほったらかしにして愛人の元へ行く行為は、自分勝手で冷たい行為だ.




公爵の情婦、どう見ても上品には見えない女
  でも、ベットでは抜群なのかもしれない


愛の営みは、上品がよいのか下品がよいのか?


貴族の上品な愛の営み


自分も美しい人間だと言いたいのだろうか?
自分だって下品な愛の営みが好きな癖に、自分達は特別な人間だと言い張る

 革命でどうなるかとお尋ねすれば
   何も変わらんよと

- 戦争 -
肉親を吊るされ、泣き叫んでいた住民たちが、形勢が逆転したら、相手の者たちを吊るしてしまった.戦争には、憎しみ、冷たい心しかない.






世の中は大きく変わって行こうとしているのに、
   人間はどの様に変わって行くのか.....
      このような残酷な人間が、このままで良い訳は無いはずだ.

- タンクレディ -
義勇軍に参加しようとする時の、彼の考えは純真なものだったと思えます.そして、その当時は、コンテェッタに対する気持ちも、純真なものだったのでしょう.彼は戦争に参加して、生き残るにはどうすればいいか、負ける側についていたら殺されてしまう、と、考える内に、自分の利益を第一に考える、そんな考え方の人間になっていってしまったのでしょうか.優しい心の持ち主が、冷たい心の持ち主に変わっていた.舞踏会でコンテェッタは、彼に、あなたは変わった、と言っているので、私は彼女の言葉に従いましたが、公爵に言わせれば彼は野心家で、元からこうした人間だったようにも思えます.
義勇軍に加わった彼は、混乱に乗じて仲間を裏切り王政派についていた.彼は常に、勝利すると思われる側に身を寄せる、そうした考えの持ち主らしい.まあ、そこまでは許せるとしても、かつて仲間だった者達が処刑される事に対して、当然な事だと言い放った.身勝手にもほどがある.許されないほどの、冷たい心の人間になっていた.



















- ドン・チッチョ -
ウサギ狩の日、どちらに投票したか、彼は公爵に聞かれた.
「生活に困ったとき、王女に手紙を送ると、必ずお金が送られて来た.新しい王様が優しいかどうか?、時代が変わって、優しい王様が居なくなるのは反対だ」




- 成金のカロージェロ -
カロージェロは、ドン・チッチョの言葉によれば、『利殖にたけ、憎らしいほど抜け目がない』『新時代向けの、利口な人間だ』った.
公爵の言葉によれば、『公共の理想を掲げて、個人の利を求める者』だった.
そして官使に言葉によると、
『思想なき者の登場は困るのです.それは旧時代への後戻りになりかねません』
時代が変わってもなにも良くなることが無い、思想無き、進歩無き人間だったらしい.

彼の妻は、読み書きはもちろん話もろくにできない人間だった.けれども、すごい美人で、しかもベットでは抜群だと言う.カロージェロの妻は公爵の妻とは全く逆だった.
一方はベットでは下品で抜群の新興成金の夫婦の娘、他方はベットでは上品で妻のヘソも見たことがない没落しつつある貴族の夫婦の甥、あほくさい筋書きの結婚話である.
カロージェロは金を稼ぐためか、あるいは金を稼いだ自分への評価なのか、由緒ある名門家の家名を欲したようだ.タンクレディは野心を実現するために金を必要とした.アンジェリカとタンクレディ、二人が互いに好き合った結果ではあるが、欲望と欲望の絡み合った政略結婚だった.

カロージェロの妻は、ペッペと言う貧しい農民の娘だった

読み書きはもちろん、話もろくにできない
  自分の娘をかわいがりもしない
    ベットでは素晴らしい
      他の事は一切できない


2人が駆け落ちしてから2年後に
  12発の弾を背中に受けたペッペの死体が
カロージェロ選挙結果を自分の都合に合わせて改竄する人間.
  妻の生まれをごまかすために、父親を殺したのだろうか.


- 政府の使者 -
中央政府の使者は、政府の推薦によって公爵が議員になり、シチリアの住民の声を政府に伝える役目をするように勧めたのだった.けれども公爵は、その要請を断った.
獅子と山猫は、王様と貴族.「山猫は山猫だ」とは、貴族は貴族だ、変わらないと侯爵は言い張った.
議員になって住民の声を政府に伝える事は、住民の代表として住民に奉仕することなのだが、けれども公爵は、現在の住民に奉仕させる貴族から、変わるつもりはないと言い張った.



『トリノの政府はシチリアの名士数名を』
  『上院議員に推薦しようと考えたのです』





けれども公爵の答えは、明るい未来への希望ではなかった.
  『我らが身を委ねている甘い怠惰な時の流れも』
    『官能的な死への欲求なのだ』



公爵は、このようなシチリアの貧困の現実に、何も想うことはなかったのか.....

『獅子と山猫』
獅子の方が、気品のある呼び方なのでしょうか.分かりやすく、ライオンと山猫.
どちらも、自分で獲物を捕まえて食べる、動物です.
『ハイエナとジャッカル』
ハイエナは、ライオンの捕まえた獲物を横取りしたり、食べ残した獲物を食べる動物です.
ジャッカルも、他の動物の、食べ残しを食べるらしい.

自分たちは自分で獲物を捕まえて食べてきた.そうした時代が、やがて、自分たちの食べ残しを食べる者たちの時代に変わるだろう.
公爵は、高貴な者が支配した時代が、下品な者が支配する時代に変わる、と、時代が変わることを蔑んで表現した.
言葉の通り成金のカロージェロ、そしてその娘は下品だったが、その自分が蔑んだ下品な者達との婚姻によって、下品な者達の金の力によって、上品であり続けようとするこの公爵の考えは、愚劣そのものと言わねばならない.


使者は、こんな貧困の状態を新しい政治が全て変えて行くだろうと言ったのだった.
けれども公爵は、
  『続くべきでないものが永遠に続く』
  『人間の永遠など知れたものだが』
  『変わったところで良くなるはずもない』
そして

『ジャッカルやハイエナが取って代わる』
  『そして山猫も獅子も、またジャッカルやハイエナすらも』
      『自らの地を塩と信じ続ける』


- 延々と続く舞踏会 -
誰でも嫌になるほど、ヴィスコンティは舞踏会のシーンを続けました.いい加減に終わったら、と、言うほどに続けた.つまり、こんな社会を終わらせなければいけないのだ、と.

優しい心を失ってはならない.
支配し服従させる貴族の時代は、冷たい心の時代であった.けれども、貴族の時代が終わり新しい時代に変わっても、残念ながら冷たい心は、成金たちの時代に引き継がれて行く事になった.
けれども人々は優しい心を失わず、優しい心によって冷たい心の時代を終わらせて、新しい時代を築いて行かなければならないのだ.


貧しい農民の暮らしからは信じられない、
     別世界がそこにあった.















そりゃ、まあ、これだけお金が有れば、不幸では無いはず.




公爵は死んだ人間にはひざまづくが、生きた人間、貧しい農民には下品と蔑む人間だった.
『我らの願望は、忘却だ.忘れ去られたいのだ』
眠りを求め、何も変わろうとしない.公爵の考えは生きた人間ではなく、死んだ人間の考えであった.