goo blog サービス終了のお知らせ 

コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

鞆の浦(常夜灯へ)~広島県福山市鞆町

2018-11-15 05:50:25 | 町並み

2018年10月17日 【広島・岡山・大阪2018】 広島県

鞆の浦(常夜灯へ) 広島県福山市鞆町

鞆町 

福山市鞆町伝統的建造物群保存地区には,中世の骨格を引き継ぎながら江戸中期までに整えられた地割に,江戸時代からの伝統的な町家や寺社,石垣等の石造物,港湾施設などが一体となって良好に残る瀬戸内の港町としての歴史的風致が高く

鞆の浦

広島県福山市、沼隈半島の先端に位置する鞆の浦は、「潮待ちの港」として江戸時代に栄えた町でした。鞆の浦には、その頃から残る常夜燈や寺社・町家が大切に保存されています。坂本龍馬が属していた海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖で沈没させられたいろは丸事件でも知られています。

※福山駅前から路線バスで30分程で鞆の浦へ着く。宿に荷物を預け鞆の浦観光のシンボル的存在の常夜灯へ向かう。

▲高く積み上げられた石垣が目を引く 福禅寺の対潮楼

常夜灯が見えてきたが、そこまでは狭い路地を抜けて行く

▼常夜灯

▼いろは丸展示館

 

▼太田家
  

▼改修中の江戸時代からの雁木
  

▼江戸時代に築かれた波止

 

▼宿泊先より

 

2018-11-15 05:50:25

cosmophantom


備後護国神社~広島県福山市丸之内

2018-11-14 05:44:41 | 神社・仏閣・教会

2018年10月17日 【広島・岡山・大阪2018】 広島県

備後護国神社

広島県福山市丸之内

主祭神として、備後国出身の護国の英霊を祀るほか、阿部神社に祀られていた大彦命・武沼河別命・豊幹別命、阿部正弘をはじめとする歴代の備後福山藩主を祀っている。

   

▼宮本武蔵腰掛石

武蔵は、三河刈谷三万石城主水野日向守勝成の陣に属し参陣。大阪陣中におけるよしみにより、水野家二番家老中山将監が武蔵を自邸において饗應。その時、武蔵が将監屋敷庭園の庭石に腰を掛けたのが、武蔵腰掛石として伝承されていた。

 

  

▼阿部正弘公石造

正弘公は天保十四年(一八四三年)二十五歳にして江戸幕府老中、今の大臣になり教育に力を注ぎ嘉永五年(一八五二年)老中筆頭、今の総理大臣に就いた。

cosmophantom


福寿会館(洋館)・~広島県福山市丸之内

2018-11-13 05:46:25 | 洋館

2018年10月17日 【広島・岡山・大阪2018】 広島県

福寿会館

広島県福山市丸之内

個人の別荘として建てられた木造,2階建ての洋館。屋根を急勾配とし外壁をモルタル塗りとした,立ちの高い外観に,昭和初期の洋風の住宅建築の特徴がよくあらわれている。庭に面した側の妻にある中央部の浮き彫り装飾や窓上部のアーチ形装飾が美しい。1935-1937頃

▲福寿会館 全貌

▲福寿会館洋館

福寿会館の庭園
 

 ▲庭園からは福山城がよく見える

   

  

 

和館

和館は廊下で洋館とつながっている。
 

     

▲福寿会館と福山城

▲正門?

cosmophantom


福山城(100名城)2018~広島県福山市丸之内

2018-11-12 05:49:35 | 100名城

2018年10月17日 【広島・岡山・大阪2018】 広島県

福山城(100名城)2018

広島県福山市丸之内

元和8年(1622)に築城。伏見櫓,筋鉄御門は,京都伏見城から移されたもので重要文化財。5層の天守閣は戦災で焼失したが再建され,内部は郷土博物館として歴代藩主の遺品,草戸千軒町遺跡からの出土品が展示されている。◎水野勝成(1564-1651)安土桃山・江戸初期の大名。関ケ原の戦,大坂夏の陣で数々の功を挙げ,元和5年,福山に移封された。福山藩祖。

▲手前:湯殿 奥:月見櫓

伏見櫓 重要文化財

 

筋金御門 重要文化財
 

▼伏見櫓
 

 ▼鐘楼 再建

▼湯殿(消失後復元)
  

▼月見櫓 昭和41年秋、天守閣とともに外観復元
  

▼伏見櫓と筋金門

▼鏡櫓 明治6年の廃城の際取り壊されたが,昭和48年9月30日外観復元

 

▼天守閣 昭和41年秋復元

天守閣最上部より 

▼中央奥 福山駅 伏見櫓と筋金櫓
   

福寿会館
   

 ▲鏡櫓

▲月見櫓

 

2018-11-12 05:49:35

cosmophantom


福山城周辺散策~広島県福山市

2018-11-10 05:28:26 | 町並み

2018年10月17日 【広島・岡山・大阪2018】 広島県

今回は一人で広島・岡山・大阪を巡りました。今回のメインは広島県にある古からの漁港である鞆の浦であります。

品川駅発6:07分 のぞみ1号で福山駅へ 約3時間20分で福山駅に到着

福山城周辺散策~広島県福山市

先ずは福山駅脇にある福山城とその周辺を巡る。

 

 

▼福山城
  

▼福寿会館(洋・和)

 

▼旧内藤家長屋門 福山市指定重要文化財

この長屋門は福山城の西外濠に面した位置にあった武家屋敷内藤家に所在したもので,昭和51年現位置に解体移築したもの。

弘化3年(1846年)

▼備後護国神社

▼宮本武蔵腰掛石

▲阿部正弘公石造

▼赤門 詳細不明

 

▲福寿会館正門?

 ※福山城の脇を通り福山駅へ。その後鞆の浦へ向かう
  

 ▲鏡櫓

▲月見櫓

cosmophantom


文殊仙寺~大分県国東市国東町大恩寺

2018-11-09 05:57:55 | 神社・仏閣・教会

2018年9月29日 大分県

文殊仙寺

大分県国東市国東町大恩寺

「三人寄れば文殊の知恵」の発祥の地とされている日本三文殊のひとつです。
境内や付近の森林には、樹齢約1,000年のケヤキや樹齢約400年のスギをはじめとする巨木が立ち並ぶ自然林は、大分県の天然記念物に指定されるとともに、21世紀に残したい日本の自然100選に選ばれています。

    

 

▲鬼大師坐像「元三大師」

2018-11-09 05:57:55

☆cosmophantom


富貴寺~大分県豊後高田市田染蕗

2018-11-08 05:55:40 | 神社・仏閣・教会

2018年9月29日 大分県

富貴寺

大分県豊後高田市田染蕗

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。
中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。

     

 

 ▼ 富貴寺大堂

宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつであり、現存する九州最古の木造建築物です。
堂内に収められた本尊の阿弥陀如来像も国重要文化財に指定されており、日本四壁画の一つとされる阿弥陀浄土変相図は、極楽浄土の世界を描いているとされています。

  

▼本堂

  

2018-11-08 05:55:40

cosmophantom


真木大堂~大分県豊後高田市田染真木

2018-11-07 05:46:27 | 神社・仏閣・教会

2018年9月29日 大分県

真木大堂

大分県豊後高田市田染真木

大分県北東部に拳のように突き出した“仏の里”国東半島。
宇佐の八幡信仰と古代仏教とが融合した「神仏習合」が今も残る地でもあります。

平安時代から中世にかけて半島には来縄(くなわ)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、武蔵(むさし)、国東(くにさき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、山あいには天台宗と結び付いた65ヶ寺ともいわれる数多くの寺院が作られ、これらは総称して六郷満山と呼ばれ、独特な仏教文化が花開きました。

真木大堂は六郷満山本山本寺8ヶ寺の一つとして36坊を有し六郷満山寺院最大の寺院であった馬城山伝乗寺の故地として今も多くの仏像を守り続けています。

▼旧本堂

▲仁王像・吽形

▲仁王像・阿形
 

▲菊の御紋 お寺なのにネ これが六郷満山文化の一端ではないか?神仏集合の文化

▼収蔵庫

旧本堂から移された9体の仏像が安置されています。本尊阿弥陀如来坐像をはじめ木彫り日本一の不動明王立像、日本一の大威徳明王像他すべての仏像が国の重要文化財に指定されています。

内部は撮影禁止

以下の写真は真木大堂のHPより転写いたしました。
 

▼木造阿弥陀如来坐像

真木大堂の本尊である阿弥陀如来は西方浄土の主尊であり、極楽へ導いてくれる仏とされています。

木造四天王立像

写真左から持国天・増長天・広目天・多聞天・持国天

▼木造不動明王立像及び二童子立像(不動三尊)

大日如来の名を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる不動明王が中心に立ち、両脇を矜羯羅(こんがら)、制吒迦(せいたか)の二童子を従えた三尊形式で祀られています。大日如来の名を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる不動明王が中心に立ち、両脇を矜羯羅(こんがら)、制吒迦(せいたか)の二童子を従えた三尊形式で祀られています。

二童子立像

▼木造大威徳明王像

 像高241cm。本地は阿弥陀如来で、西方を守護して、人々を害する毒蛇・悪竜や怨敵を制服する明王で、六面六臂六足の忿怒相(ふんぬそう)で、中央の手は中指を立てて合わせる檀陀印(だんだいん)を結び、神の使いである白い水牛に跨っています。
 

2018-11-07 05:46:27

cosmophantom


熊野磨崖仏~大分県豊後高田市田染平野

2018-11-06 06:05:20 | その他

2018年9月29日 大分県

熊野磨崖仏

大分県豊後高田市田染平野

平安時代末期の作と言われている「大日如来(約6.7m)」と「不動明王(約8m)」の磨崖仏があり、国指定の重要文化財となっております。国内最古にして最大級の磨崖仏です。また、鳥居から熊野磨崖仏まで続く100段もの石段は、昔、鬼が築いたと伝えられています。

 雨の中どんどんと山を登って行く

▲この階段が鬼が造ったと言われる階段。厳しい登り!

▲磨崖仏に到着!傘をさしている人と比べると大きさが分かる

あいにくの雨でもやっている
     

  

▲磨崖仏からさらに登ると熊野神社がある。下山

2018-11-06 06:05:20

 cosmophantom


国東半島(大分県)へ~六郷満山ってなんだろう?②

2018-11-04 05:45:10 | 旅行

2018年9月29日 大分県

国東半島(大分県)へ~六郷満山ってなんだろう?②

宿泊先(鉄輪温泉)にて・・・この日はあいにくの雨

▲高崎山は見えない・・・

※熊野磨崖仏へ

雨中の中、一行は山道を歩いて熊野磨崖仏へ

▼胎蔵寺

熊野磨崖仏へ
 

雨にけむる磨崖仏

 

▼真木大堂

 

収納庫内の仏像

注:収納庫内は撮影禁止 下の写真は真木大堂のHPより転写いたしました。

▼富貴寺
 

▼文殊仙寺

関連記事:国東半島(大分県)へ~六郷満山ってなんだろう?①

 

2018-11-04 05:45:10

cosmophantom


宇佐神宮と六郷満山~大分県宇佐市

2018-11-03 05:46:39 | 神社・仏閣・教会

2018年9月28日 大分県

宇佐神宮と六郷満山

大分県宇佐市

大分県国東半島一帯にある寺院群の総称を「六郷満山」と呼び、神仏集合の文化が今日まで受け継がれています。
六郷は両子山を中心とした山陵の間に開かれた六つの郷、満山はそこに築かれた寺院群を指し、古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄え、2018年は開山1300年という大きな節目を迎えた。

宇佐神宮には、宇佐宮弥勒寺といわれる神宮寺がありました。現在もその跡は宇佐神宮の境内に残っています。この弥勒寺から国東半島の山々へ厳しい修行の場を求め数多くの寺や岩屋が開かれ、半島に点在しています。

この写真は宇佐神宮境内に掲出されているもの。神仏集合を表している

 神仏集合:神と仏とを調和させ,同一視する思想

▲団体旅行ということで、案内人がつきました。案内人はお坊様!(ここは神社ですけど)。普段は入れない閉ざされた門から内部に入り、今度は宮司さんから色々な説明を受けることができました。これは神仏集合のあらわれか

関連記事

宇佐神宮2017  宇佐神宮2014

※宿泊先へ(鉄輪温泉)

2018-11-03 05:46:39

cosmophantom


杵築城~大分県杵築市大字杵築

2018-11-02 05:50:39 | その他の城

2018年9月28日 大分県

杵築城

 大分県杵築市大字杵築

室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、その後の小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。現存するのは一部石垣など。天守閣は観光用

▼青筵神社

 

  

▲この海の先で関サバ、関アジがとれる
 

 cosmophantom


杵築北台南台(重要伝統的建造物群保存地区)~大分県杵築市

2018-11-01 05:35:25 | 重要伝統的建造物群保存地区

2018年9月28日 大分県

杵築北台南台 重要伝統的建造物群保存地区

大分県杵築市

保存地区である北台と南台の武家地は住宅地として今日に至り、正保以来の藩政期の地割を良好に留め、武家屋敷も良く残っています。
 北台と南台は酢屋の坂、塩屋の坂を介して南北の道で結ばれ、台地上には家老丁、本丁、裏丁等の区画がなされ、杵築藩の家老等の上層藩士の居住区でした。敷地は石垣などで造成して土塀などで囲い、通りに面して長屋門や薬医門などの門を開きます。武家住宅の主屋は茅葺や瓦葺で、式台を構えて格式を示しました。主屋と門の間には前庭を設け、目隠しとなるソテツやマツを植えます。代表例としては、県指定文化財の大原邸や市指定文化財の磯矢邸などがあります。

南北台地上に区画された杵築城下の武家地で、藩政期の地割を踏襲し、近世武家住宅の主屋と門及び、その形式を受け継いだ近代の住宅主屋を伝統的建造物として良く残しています。高低差のある地形を生かして天然の要害を成し、坂を巧みに配した武家地は、石垣や石段、土塀などによって、雄大で独特な景観を形成しています。

▲観光案内所から散策開始
  

 番所の坂を登り、北台武家屋敷へ
  

 ▲北浜口番所
 

酢屋の坂と塩屋の坂⇒人気のスポット

 

▼大原邸

明治元年(1868年)の絵図では、大原家の屋敷となっています。嘉永(1848年から1853年)の藩士帳にみえる用人大原文蔵(200石)の屋敷地です。

  

 

杵築藩 藩校「学習館跡」 

1788年に藩校となる「学習館」を設立しました。士族の子弟だけでなく、平民の子弟も藩校へ通うことが許された。

 

▲藩主御成門

現在でも杵築小学校の校門として使われている。

 

▼能見邸 幕末期のものと推測されている
 

 

▼磯矢邸

屋敷は、明治以降の増改築部分を除き、文政天保期(19世紀前半)のものと思われていましたが、最近の調査で、文久4年(1864年)と刻まれた瓦や、元治元年(1864年)の棟札などが発見されています。

▼勘定場の坂

2018-11-01 05:35:25

☆cosmophantom