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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

等々力渓谷~東京都世田谷区等々力

2017-05-12 05:51:21 | 自然

2016年8月14東京都

等々力渓谷

東京都世田谷区等々力

大井町線等々力駅近く、ゴルフ橋のたもとから階段を降りると、そこはまるで別天地の渓谷。多摩川に向かう谷沢川の流れに沿って散策路を歩むと、ついさっきまで街中にいたことがうそのような気分になってきます。等々力不動のみごとな桜、すがすがしい新緑、季節ごとに自然のすばらしさを思い出させてくれます。

 ☆ ☆ ☆  寄り道  ☆ ☆ ☆ 

野毛大塚古墳

野毛大塚古墳は、国分寺崖線上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかで最大規模の古墳です。平成元~4年に行われた発掘調査によって、古墳の形は帆立貝形古墳(全長82メートル、後円部直径67メートル、高さ11メートル)で、 同種の古墳としては最大級の規模を誇っています。

また、周囲には馬蹄形(ばていけい)の濠(ほり)がめぐり、これを含めた全長は104メートルになることがわかっています。なお、古墳の表面は葺石(ふきいし)で覆われ、都内最古の埴輪列が立てられています。後円部の頂上には遺体を埋葬する施設である主体部(しゅたいぶ)が50年ほどの間に4カ所設けられています。中央の第1主体部からは関東地方最古の鉄製甲冑(かっちゅう)や石製品など、多種多量の副葬品(ふくそうひん)が出土しています。

 

▲頂上部

▲前方部

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
 

 等々力不動尊明王院

▲剣のかたちの石碑

  

等々力渓谷3号横穴 

等々力渓谷横穴(墓)群は、等々力渓谷6基以上からなる横穴墓群のひとつで、昭和48年に発掘されています。横穴墓は全長が13メートルで、崖に横穴を掘った墓室=玄室(げんしつ)・羨道(せんどう)の部分とそこに至る通路である前庭部(ぜんていぶ)にわかれ、横穴部は羨門で区画されています。

▲横倉内部

  ☆ ☆ ☆  おまけ  ☆ ☆ ☆

鈴木家住宅穀倉

鈴木家は谷沢川(等々力渓谷)の脇に構えられ、主屋、土蔵2棟と穀倉が建っています。穀倉は、明治8年(1875)に建てられた小規模な建物です。外壁には板を打ち付け、建物の三方に下屋を設けて屋根を深く葺き下ろし、風雨から建物を守っています。

 

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琴平(香川県仲多度郡琴平町)にて

2017-05-11 05:44:44 | 町並み

2016年12月28日 香川県

琴平にて

香川県仲多度郡琴平町

▼金丸座(旧金毘羅大芝居)

▼琴平市公会堂

昭和7年に建造された木造日本建築の公会堂は、象頭山を見上げる金刀比羅宮参道に程近いところ、美しい緑の山を借景に荘厳な佇まいを見せています。

▼高燈籠

1865年(慶応元年)に完成した、高さ27メートルの日本一高い灯籠で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。瀬戸内海を航海する船の指標として建てられ、船人がこんぴらさんを拝む目標灯となっていました。

 

 

▼琴平駅
 

 

四国旅行はここで終わり。岡山駅経由で帰宅する。

 

☆☆☆ 車窓より ☆☆☆
  

 

▼瀬戸大橋より
   

  

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金丸座(旧金毘羅大芝居)(重要文化財)~香川県仲多度郡琴平町

2017-05-10 05:55:03 | 芝居小屋

2016年12月28日 香川県

金丸座(旧金毘羅大芝居) 重要文化財

香川県仲多度郡琴平町

天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。年3回の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎興業などを行っていましたが、江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、門前町の形態が整うにつれ常小屋が必要となりました。設置は多数の庶民にも求められ、富籤(現在の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられました。
「金丸座」の名称は明治33年につけられたものです。昭和45年に国の重要文化財に指定され、昭和47年から4年間の歳月をかけて現在の場所に移築復元しました。昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、四国路に春を告げる風物詩となっています。また、平成15年度に復原及び耐震構造工事(平成の大改修)が行われ、調査中に発見された痕跡を検証し、「ブドウ棚」と「かけすじ」 を復元してより江戸時代の情緒あふれる姿に再現されています。
映画「男はつらいよ寅次郎の縁談」「写楽」「阿修羅城の瞳」「UDON」「最後の忠臣蔵」のロケ地にもなりました。

▲櫓

常設の芝居小屋正面の破風に、官許・公認の証として組み上げた木材の構造物。座元や一座の紋を染め抜いた幕を張り、梵天(劇場の正面櫓に立てた御幣)を立て、毎朝櫓太鼓を打ちました。

▲鼠木戸

正面中央にある出入口を鼠木戸といいます。一般の観客が入場する木戸で、大人が一人づつかがんで、やっと通れる高さしかありません。これは無料の入場者を防ぐ為、考え出されたものだといわれています。

▲下足馬

▲歩み

客席に入る通路として仮花道と本花道の間を横につなぐ幅の広い(約15㎝)「歩み」と言う敷き板が五箇所渡っています。

▲顔見世提灯

葡萄棚と呼ばれる天井

▲桟敷席

 空井戸とスッポン

空井戸とは、舞台と花道の付け根に構えた半間四方の空枠です。現代の劇場では姿を消してしまった舞台機構のひとつで、江戸時代、上方の劇場に設けられたといいます。舞台下の奈落に通じており、井戸や池などに見立てたり、役者の出入り、早変わりなど、空井戸の機構を使い自由自在に舞台演出ができ、その様式を残しているのは旧金毘羅大芝居だけだそうです。

スッポンとは、花道の七三(舞台から三分、揚幕から七分の位置)の位置にある小さな〝セリ〟(0.8m)×(0.6m)という切り穴のことです。旧金毘羅大芝居では人力で上下に動かします。スッポンという呼び方はせり上がってくる役者が、スッポンが首を出す様子を連想させるところから付けられたものだといわれています。主に幽霊、妖怪、妖術使いなどが登場する時に使用されます。

▲二階の桟敷席

▲櫓へ上がる階段

楽屋

▼奈落

  

2017-05-10 05:55:03

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善通寺(香川県善通寺市善通寺町)の町並み

2017-05-09 05:52:59 | 町並み

2016年12月28日 香川県

善通寺( 香川県善通寺市善通寺町)の町並み

空海が父・佐伯善通を供養するために創建した善通寺の門前町である。そうしたことも関連し、四国八十八箇所が多く点在し、松山市の8霊場、今治市や西条市の6霊場に次ぐ5霊場を持つ。

1896年(明治28年)から陸軍の第11師団が置かれており、当時四国最大の基地を持つ軍都でもあった。 そのため、その跡地の一部に陸上自衛隊の旅団司令部や駐屯地が配置されている古い歴史を持つ軍事都市でもある。

善通寺

▲五重塔 重要文化財

▲金堂 重要文化財

▲善通寺参道の雰囲気ある商家

▲善通寺駐屯地

▲乃木館

▲旧善通寺偕行社 重要文化財
 

 ▼善通寺駅

     

讃岐富士 ?
 

 次の目的地琴平(駅)へ

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善通寺(重要文化財)~香川県善通寺市善通寺町

2017-05-05 05:46:39 | 神社・仏閣・教会

2016年12月28日 香川県

善通寺

香川県善通寺市善通寺町

善通寺は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。

平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。

 東院
  

南大門
 

▲大楠

五重塔 重要文化財

1884年再建。高さ43m(礎石上〜相輪頂上)、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。

 

▲鐘楼

▼金堂 重要文化財

南大門をくぐって東院に入ると正面に見えるのが金堂です。金堂は元禄12年(1699年)に上棟したもので、七間四面の二層楼、本尊は薬師如来(やくしにょらい)です。旧本堂は永禄の兵火で、空海自作の本尊とともに焼け落ちましたが、仏師・運長の手によって元の本尊の焼け残りを胸に納めた現在のものに生まれ変わりました。金堂の周囲には創建当時の礎石が残されています。そして近くにある巨大な手洗い石は、赤穂浪士で有名な大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が奉納したものといわれ、「手洗い大石」として親しまれています。金堂上層に掲げられた額は有栖川熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)の直筆といわれています。さらに中に入ると、本尊のまわりを巡れるようになっており、そのかたわらにはさまざまな表情の五百羅漢が置かれています。なお、金堂は平成24年12月28日に国重要文化財に指定されました。

▼金蔵院(毘沙門天)

▼権智院

 

 

西院 

▼仁王門

 

▼御影堂
   

    

 

 

2017-05-05 05:46:39

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丸亀市(香川県)の町並み

2017-05-04 05:58:26 | 町並み

2016年12月28日 香川県 

丸亀市(香川県)の町並み

早くから海上交通の要衝として、また、物資の集散地として発展し、特に金刀比羅宮(こんぴらさん)の参道口として大いににぎわいました。1602年(慶長7年)、生駒氏が亀山に築城し、丸亀城と名付けたのが「丸亀」という名の起こりといわれており、以後、城下町として栄えてきました。丸亀城は扇の勾配と呼ばれる美しい石垣が有名で、その石垣は高さ日本一を誇り、現在も市のシンボルとして、また市民の憩いの場としても多くの人たちに親しまれています。
丸亀うちわの製造が伝統産業で、生産量は全国の9割を占める。

まずは、夜明け前に丸亀港から本島港へ

▲船内より

▲本島港

▲塩飽(しわく)勤番所

▲塩飽本島町笠島地区~重要伝統的建造物群保存地区

本島港から丸亀港へ
 

 ▼万象園
  

▼万象園脇を流れる金倉川(中津大橋)より

▼金比羅講中燈籠

かつて金毘羅詣でで賑わった丸亀港のシンボル。旧金毘羅五街道・丸亀街道の出発点にあたり、琴平の高灯籠までの 150丁(約12km)の道のりを、参拝客はこの太助灯籠を目印に丸亀港に入港したもの。

この燈籠そばの公園内にあった船(遊具かも?)

▼丸亀城

 

 

▲瀬戸ノ路????

▲丸亀駅

ホームからは丸亀城が見える

次の目的地善通寺(駅)へ

 

2017-05-04 05:58:26

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丸亀城(100名城)~香川県丸亀市一番丁

2017-05-03 05:45:24 | 100名城

 2016年12月28日 香川県

丸亀城 100名城

香川県丸亀市一番丁

白鳥が遊ぶ内堀から積み重ねられた石垣は、高さ60mを超えて日本一といわれる。扇の勾配と呼ばれ、ゆるい曲線を描いて美しい。その上に木造の天守がそびえる。1660年(万治3年)に建てられた3階3層で、千鳥破風、唐破風もちょっぴり。瀬戸大橋一帯を見渡せる。日本城郭協会より日本百名城に選定される。

生駒親正(1526-1603)美濃生れ。武将。織田・豊臣に仕え、賎ヶ岳・小牧山の戦などで軍功を挙げ、近江高島田、伊勢神戸、三田城主、赤穂城主を経て讃岐高松城を築城、城主となる。

山崎家治(1594-1648)対馬生れ。武将。江戸幕府の命により、西讃岐統治のため丸亀城に移封される。築城の名手で、三原・松山・大坂城など修築。

京極高和(1619-1662)播州竜野から西讃岐に移封され、丸亀藩京極家初代藩主となる。京極家は近江源氏佐々木信綱の子氏信より続く。

     

▼大手一の門
 

 

丸亀城の石垣は美しい

  

 

  

 

▲三の丸井戸
  

  

  

 

 

   

 

三の丸

 

  

 

 

2017-05-03 05:45:24

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万象園~香川県丸亀市中津町

2017-05-02 05:47:19 | 庭園・公園

2016年12月28日 香川県

 万象園

香川県丸亀市中津町

1688年丸亀藩京極二代目藩主高豊により築庭された約15,000坪の大名庭園。南庭には枝葉の直径15m、樹齢600年と言われる大傘松があり、日本名松100選にも選定されている。

  

▲美松 残念ながら一部が枯れている・・・・

 

      

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