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黒石市中町(こみせ通り)(青森県)~重要伝統的建造物群保存地区

2017-11-14 05:40:19 | 重要伝統的建造物群保存地区

2017年8月23日 青森県

黒石市中町(こみせ通り)(青森県)~重要伝統的建造物群保存地区

黒石市街地の形成は、明暦2年(1656)、津軽信英(のぶふさ)が弘前藩より黒石津軽家の創立を許され、黒石の浅瀬石川北側に陣屋を築き、その北側の町を整備したことに始まる。陣屋の北側に武家地を、その東側の浜街道沿いに中町等の商家町を配した。浜街道は弘前と青森を結び、黒石はその中継地点として発展し、江戸中期には重要文化財の高橋家住宅などの規模の大きな商家が建てられ、町並みが整えられていた。保存地区は、東西約170m、南北約260m、面積約3.1haの範囲で、規模の大きな町家が残り、その前面には連続して庇を張り出し、「こみせ」と呼ばれる通路を設ける。町家の主屋は主として切妻造妻入の二階建とし、二階正面には出格子窓を付け、前面のこみせは冬期には正面の柱間に板戸や障子戸を落とし込み、雪や風の吹き込みを避ける構造とする。こみせは今日も日常の往来に供され、こみせが連続して並ぶ町並みは東北地方北部の他地域ではすでに失われ、極めて貴重である。

松の湯交流館

▼中村亀吉酒造

(株)中村亀吉は酒名を「玉垂(たまだれ)」とし、大正2年(1913年)この地区で当主中村亀吉により創業されました。以来、長年に渡り酒造りの名工といわれる津軽杜氏によって大切に造りつづけられました。

 

▼高橋家住宅 重要文化財

宝暦年間(1751年~1763年)に建設され、築270年以上経過している建物です。高橋家の当主は代々「理右衛門」を名乗り、藩政時代は黒石藩御用達の米問屋でした。主に米を扱っていたことから屋号は「米屋」といい、米だけでなく味噌や塩、油、薬などの販売・製造もしていたといわれています。

 

   

▼鳴海家住宅 市指定有形文化財

鳴海家住宅は、文化三年(1806年)に創業された造り酒屋で、屋号は創業以来「稲村屋」を名乗るが、一般に「菊乃井」の名で知られている。 

詳しく見る:鳴海家住宅(市指定有形文化財)

    

 

 

 

2017-11-14 05:40:19 

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