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湯島聖堂~東京都文京区湯島

2016-08-07 06:18:41 | 建築物(洋館以外)

2015年10月25日 東京都

湯島聖堂

東京都文京区湯島

東京都文京区湯島にある孔子廟(こうしびょう)。聖堂は3度の江戸の大火、関東大震災、第2次世界大戦時の空襲によって焼失・改修を繰り返して現在にいたるが、もともとは、1632年(寛永9)、徳川幕府の政治顧問であった林羅山(はやしらざん)が上野忍岡(しのぶがおか)(現在の上野公園)に建てた孔子廟「先聖殿」を移築したもの。徳川綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し、それに付属する建物を含めて「聖堂」と総称し、建物全体を朱塗りにして青緑に彩色したと記録に残されており、1922年(大正11)に国の史跡に指定された。翌年の関東大震災で全焼したため、復興計画が立てられ、1935年(昭和10)に竣工、木造だった建物は鉄筋コンクリート造りに、大成殿は建物内外を黒色エナメルペイント塗りにし、屋根は入り母屋造りで両端に青銅製の鬼犹頭・鬼龍子を置いた。現在、構内に建てられている世界一大きい孔子像は、1975年(昭和50)に中華民国台北ライオンズクラブから贈られたものである。 

  

▲入徳門(にゅうとくもん)

  

▲杏壇門(きょうだんもん)

▼大成殿

       

 

 

▲世界一大きい孔子像(丈高4.57メートル 重量約1.5トン)

▲仰高門(ぎょうこうもん)

 

近代教育発祥の地

所在地 文京区湯島一丁目4と5

(湯島聖堂・東京医科歯科大学) 

江戸時代、このあたりは学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部、昌平坂学問所(昌平黌)があったところである。 寛政9年(1797)学問所の学寮、宿舎が建てられ、旗本は藩士の子弟を対象とした教育が施された。明治維新後、学問所は新政府に引き継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していった。
明治4年(1871)に文部省が設置され、我が国の近代教育の原点となる施策が展開されることになった。当地には明治5年師範学校(翌年、東京師範学校と改称)が開校し、その後、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。東京高等師範学校は明治36年に大塚窪町に移転し、後に東京教育大学(現筑波大学)となり、東京女子高等師範学校は昭和7年大塚に移転し、後に新制大学としての発足の折、この場所の地名を校名に冠し、お茶の水女子大学と称し現在に至っている。  文京区教育委員会 平成19年3月

 

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