2016年7月4日 群馬県
伊香保口留番所
群馬県渋川市伊香保町伊香保
伊香保関所(伊香保口留番所)は、寛永8年(1631年)幕府の命によりこの地に設置された関所を復元したもので、当時の関所は間口五間、奥行三間の約15坪の藁葺屋根の建物で、周囲に木棚が巡らされ、東西に門扉が設けられていました。当時高崎より渋川、北牧、中山を経て越後に至る三国往還にあった杢ケ橋関所が、吾妻川の増水で通行できない事もあり、渋川から伊香保、中之条を経て中山宿へ至る三国街道の裏往還が利用され、また湯治に訪れる人たちの往来も多く、その要所として伊香保関所(伊香保口留番所)が設置され役割を果たしていました。関所は番役人として伊香保の大屋2名(年番)、下番2名の計4名が勤め、明治2年の新政府誕生と共に関所廃止令によって閉所となる間、約238年にわたって役割を果たしました。
▼「取調べ石」と「お辞儀石」
ここで並んだ石は、当時の関所で使用したもので、左右のやや高い石は「取調べ石」と言われ、関所役人が腰を掛けて取調べに当たったとされるもので、中央の平らな石は「お辞儀石」と言われ、旅人が役人の前で調べられるときに、平伏して手をついた石であると言われています。
▼門柱の礎石
三国街道の裏往還の要所として、寛永8年(1631)幕府の命により伊香保村口留番所(関所)が設置されました。当時の関所は約15坪の萱葺屋根の建物で、周囲に木柵があり、東西に門扉が設けられており、その当時の門柱の礎石です。
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