街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
「是より北木曽路」の碑
ここは長野県と岐阜県の境、木曽路の入口にもあたる。昭和15年(1940年)7月、当時68歳だった藤村が、地元の要請によって揮毫したものである。藤村は60歳頃から自らを「老人」と記すようになった。この碑は藤村記念館の落成10周年を記念して、昭和32年(1957年)11月に藤村記念館建設の実行母体である「ふるさと友の会」によって建立された。
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
「是より北木曽路」の碑
ここは長野県と岐阜県の境、木曽路の入口にもあたる。昭和15年(1940年)7月、当時68歳だった藤村が、地元の要請によって揮毫したものである。藤村は60歳頃から自らを「老人」と記すようになった。この碑は藤村記念館の落成10周年を記念して、昭和32年(1957年)11月に藤村記念館建設の実行母体である「ふるさと友の会」によって建立された。
本文 cosmophantom
2012年10月7日 岐阜県
新茶屋
岐阜県中津川市馬籠
この場所は信濃と美濃の国境に位置し、本陣と本陣の中間地点にあることから立場茶屋と呼ばれ、お茶屋を営んでおりました。大名行列、皇女和宮、水戸浪士などが通った旧中山道沿いにあり、江戸時代より立場茶屋と旅籠を営んでおりました。昭和25年より、民宿として営業いたしております。 民宿新茶屋ホームページより
この辺りの地名を「新茶屋」という。江戸のころ宿場と宿場の間にある茶屋を「立場茶屋」といった。かつての茶屋は、ここから岐阜県側に数百mほど入った場所にあったが、江戸の終わりころに現在に移った。そのためここを新茶屋と呼ぶようになった。わらび餅がこの茶屋の名物だった。
cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
新茶屋
岐阜県中津川市馬籠
この場所は信濃と美濃の国境に位置し、本陣と本陣の中間地点にあることから立場茶屋と呼ばれ、お茶屋を営んでおりました。大名行列、皇女和宮、水戸浪士などが通った旧中山道沿いにあり、江戸時代より立場茶屋と旅籠を営んでおりました。昭和25年より、民宿として営業いたしております。 民宿新茶屋ホームページより
この辺りの地名を「新茶屋」という。江戸のころ宿場と宿場の間にある茶屋を「立場茶屋」といった。かつての茶屋は、ここから岐阜県側に数百mほど入った場所にあったが、江戸の終わりころに現在に移った。そのためここを新茶屋と呼ぶようになった。わらび餅がこの茶屋の名物だった。
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
馬籠のいわれ
昔のまごめは、生活物資は馬の背で何でも運んでいた。馬は大切な動物でした。馬方を本職にしていた人達も数人居ました。朝八時ごろ中津の町中や落合まで出て帰りは十一時頃、荷物を持ち帰る其の人達が馬方衆であった。また、人間が病気や怪我などで中津まで行くのに籠で地区の組内の皆が担んで行った。まごめ、つまり馬と籠であります。
本文 cosmophantom