菊の花について書いた幸田露伴は、「菊つくりの菊には俗趣の厭ふべき匂(におい)が有る」と書いていた。菊の愛好家にはひんしゅくを買いそうだが、わたしもかねてそう思うことが多く、好んで菊の品評会とか、まして菊人形の展示会などに出かけることはなかった。
江戸や明治になぜあれだけ流行したのか、本郷の菊坂とか団子坂などに代表される菊花や菊人形に大勢の人々が押し寄せたのも、ほとんど想像外である。江戸時代の三代目尾上菊五郎が愛用した「斧(よき)、琴、菊」の文様を染めた浴衣や菊五郎格子なども関係があるのだろうか。もし菊の愛好家がいるなら、教えてもらいたい。
ちなみに元禄八年の『花壇地錦抄』に書かれた菊の一覧表を数えてみたが、二百を越える秋菊の名が羅列されていた。本家の中国よりはるかに多い種類が育成され、その数の多さが当時の人々にさえ揶揄されるしまつだった。江戸末期の国学者・橘曙覧の和歌に、「秋のきくおのずからなる華は見でうるさく人の作りなすかな」。
うるさく作られた花よりも、おのずからなる自生の花がいい。
江戸や明治になぜあれだけ流行したのか、本郷の菊坂とか団子坂などに代表される菊花や菊人形に大勢の人々が押し寄せたのも、ほとんど想像外である。江戸時代の三代目尾上菊五郎が愛用した「斧(よき)、琴、菊」の文様を染めた浴衣や菊五郎格子なども関係があるのだろうか。もし菊の愛好家がいるなら、教えてもらいたい。
ちなみに元禄八年の『花壇地錦抄』に書かれた菊の一覧表を数えてみたが、二百を越える秋菊の名が羅列されていた。本家の中国よりはるかに多い種類が育成され、その数の多さが当時の人々にさえ揶揄されるしまつだった。江戸末期の国学者・橘曙覧の和歌に、「秋のきくおのずからなる華は見でうるさく人の作りなすかな」。
うるさく作られた花よりも、おのずからなる自生の花がいい。