負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

喧嘩ありお笑いありの国会中継って楽しいですよ

2006年10月14日 | Weblog
国会中継がインターネットでストリーミング配信されるようになってから、国会討論の様子を見るのが大いなる楽しみになった。以前ならTVやラジオで中継されていたが、録画・録音でもしておかないかぎり、つい見逃してしまう。

それがインターネットのおかげで、好きな時間に質疑応答を見聞きできるようになった。馴れ合いの質疑応答などは、飛ばしながら、これは面白そうだと思う質問と答弁だけをじっくり鑑賞する。TVや新聞を通さない第一次資料だから、迫力があり、真相が仄見えてくる。

例の民主党代表による偽メール事件のころ、前原とかいう「真似した整形塾」卒業生や永田某が見せた力みだけの空疎なことば、狂牛病国会で現地の工場を視察した議員によるきわめて具体的なレポートなど、なかなか鑑賞に堪える喜劇だった。

田中真紀子が安部首相と対決した今国会の質疑も、見なければ、その実態がわからなかっただろう。寸鉄人を刺すとかいわれる彼女の短評は、断片的に取り上げるTVでは大向こうをうならせるが、「子供がおとなの靴をはいて、外に出て」に始まった今回の発言を聞くと、それほどうまいなあと感心してばかりはいられない。

舌鋒鋭い彼女の批判は、安部が幹事長で参加した北京での日朝会談に触れ、外交とはあんなものではない、なぜその場にとどまって徹底的に交渉を続けなかったのかと非難の嵐。彼女のことばの裏には父親の日中会談のイメージが下敷きになり、父親や大平が果たした死に物狂いの外交を讃えるふうだった。

彼女には自らの経験を唯一のよりどころとして、一般論化するところがある。それだけに視野が狭く発言や行動に柔軟性や広がりが欠ける。わが家ではこうだから、あなたもこうなさいよといった主婦的な色合いが濃くなる。外務省でなくなった宝石に右往左往し、官僚を走り回らせるように、いかにも主婦むき出しの態度を持ち込む。

思えば、短絡的ことばを連発した小泉のパフォーマンスに似ているのだ。ふたりは意外に似たもの同士だった。自分の理屈だけを押し付ける子供の喧嘩である。似たもの同士はどこかで齟齬をきたすから、スカートを踏んで、喧嘩別れしただけだったのではないか。彼女もまた客観的に見て重要なポジションには向かない。

愚にもつかない芸人のTV番組に現を抜かすくらいなら、寝転がってノートパソコンで国会中継を見ることにしよう。喧嘩あり、お笑いあり、それも真に迫っているから、心から笑ったり怒ったりできるし、なにより政治家や政党を見極めることができる。