負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

野菊の墓にはとうてい心酔できない男の感性

2006年10月17日 | Weblog
菊の花といえば、多くの人が「野菊の墓」(伊藤左千夫)を思い出すようである。矢切の渡しに近い千葉県の田舎を舞台に、まだ十代半ばの若者に起きた儚い恋物語である。最近の若者にとってどうだか知らないが、中高年世代には必ず小説や映画でお馴染みだろう。

個人的なことで恐縮だが、どうも私はあの手の作品が苦手だった。多分、情感に乏しい雑駁な性格のせいだろう。皆に倣って読んだことはあるが、ふたりが山畑に綿を採りに遠出する光景で憶えているのは、少年が摘んで少女に渡す野菊よりもっと別な植物だった。

陰暦の九月十三日というから、ちょうど今頃の季節だろう。「綿の花」「水蕎麦蓼」「都草」「蕎麦の花」「竜胆」「春蘭」といった小さく地味な花々であり、「あけび」「野葡萄」といった野生の木の実だった。野菊はそれほどありふれた花だったせいか、好みが合わなかったせいか。

初恋の淡い恋心よりも、食い気のほうが先走って、つい果物に目がいったようである。少年にとって自然とは、往々にしてそんなものだった。私だったら、野菊を摘んで渡し、君のようだなんてとてもいえない。あけびや野葡萄を摘んで渡し、おいしそうに食べる顔を見ることのほうがどれだけうれしいことか。

そんなこんなで、女性に好かれない生涯を送っているのだが……。