負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

萩の花くれぐれまでもありつるが・・・

2006年10月09日 | Weblog
愁風驟雨一過して、東京は7日も8日も好天に恵まれた。東京湾から金色の巨大な満月がゆるやかに昇った。中天に達して、雲ひとつない空に銀色の光が溢れる。高い中空の部屋だから、広い窓越しに月光が惜しみなく注ぐ。窓の外は限りない空だけである。庭も萩の花もない。仕方なく、源実朝の歌を思い出した。

萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはなかさ

月の光は色彩を消してしまう。夕方までは咲いて見えた萩の花が、月が出て見ると、その光のなかで姿を消し去っている。22歳で刺殺された鎌倉の青年将軍、実朝の透徹した虚無の心象である。何も見えない萩を詠んだ秀歌である。

一方、やはり20代の泉鏡花は「薬草取」と題した名品で、富山と石川の県境にそびえる医王山(いおうぜん)の「美女ケ原」に花を描いた。「月影に色の紅(くれない)な花」である。月光に赤い花が赤く見えるはずがないのに。

実朝と鏡花、ふたりの若者が月下に描く花の対照は何だったのか。一方は消え果てた花、一方は紅の花。ことばと想像力に託す人の心の測りがたさ。この秋の満月は、月影だけの中空にふたつの花を見せてくれた。