生田耕作先生は京都大学のフランス語の先生だった。すでにマンディアルグなどの翻訳を数多く出していた。その先生が、同じゴシック小説に入る18世紀末の作品『ヴァテック』に興味を寄せていた。作者はイギリスの貴族だったが、語学の才能を生かしてフランス語で書いて発表したから、フランス語の先生が興味を持ってもふしぎはない。
本来なら、自分が翻訳をやろうと思い立つはずである。ところが先生は昭和の初めに矢野目源一という人が訳した作品があって、優れているから自分で新訳することをあえてしようとしなかった。そのかわり部分的に語学上おかしいところだけを修正し、「補訳者」として遠慮深く後ろに控えた。実際はかなり翻訳がよくなり、作品の味わいを深めることになった。
たかが翻訳と一般の読者は思うだろう。誰が訳したっていいじゃないかと考えるかもしれない。しかしことばというものは、そんな安直な考えで読み、書くものではない。もっと心して接する価値があるものなのだ。それを知っていた生田先生だけに、ことばにこめた心意気は人とちがっていたといまでも思っている――というだけの話である。(写真は作者が建てて住んだフォントヒルの僧院)
本来なら、自分が翻訳をやろうと思い立つはずである。ところが先生は昭和の初めに矢野目源一という人が訳した作品があって、優れているから自分で新訳することをあえてしようとしなかった。そのかわり部分的に語学上おかしいところだけを修正し、「補訳者」として遠慮深く後ろに控えた。実際はかなり翻訳がよくなり、作品の味わいを深めることになった。
たかが翻訳と一般の読者は思うだろう。誰が訳したっていいじゃないかと考えるかもしれない。しかしことばというものは、そんな安直な考えで読み、書くものではない。もっと心して接する価値があるものなのだ。それを知っていた生田先生だけに、ことばにこめた心意気は人とちがっていたといまでも思っている――というだけの話である。(写真は作者が建てて住んだフォントヒルの僧院)