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牧野図鑑の「誤植」に対する推理について

2006年10月22日 | Weblog
昨日の記事に対するYUJI(U-2)様のコメントをいただきました。ありがとうございます。本来ならそのスレッドとして以下のコメントを記載すべきですが、たしかコメント欄に文字量の制限があったように思い、またコメント欄の文字が小さくて読みづらいこともあり、長たらしい文章をブログ本体として以下に掲載します。

私は問題の図鑑にも、牧野富太郎博士にも、ましてYUJI(U-2)様にも、なんらの他意はありません。牧野博士の業績や生涯、あるいはYUJI(U-2)様のブログから推測される自然に対する態度に尊敬すら感じています。事実をしっかり見極めたい、ただそれだけの発想からですので、誤解のないようにお願いします。

なるほどおしゃるように辞書や図鑑の誤植はあまり聞いたことがない、というより本来ならあってはならないですね。仮にあっても版を重ねる段階で必ず修正していきます。そうした図鑑の外的条件である「権威」から見れば、簡単に「誤植」というのは、性急かもしれません。

しかしそれはあくまでも一般論としての外的理由ではないでしょうか。もし必要ならこの側面から論じてもいいですが、それより第一に問うべきは、内的理由、つまり誤植と思われる文章が、文章として意味をなしているかどうかということではないでしょうか。

問題の文章、菊は「古く唐(今の中共)より渡米したものであるが、今は国華とされている」ですが――私には、618年~907年の中国、唐の時代になぜ菊がアメリカに渡らなければならないのか意味が理解できません。

この唐の時代は、1454年ー1512年に生きたイタリア人アメリーゴ・ヴェスプッチによって発見されたアメリカ、メイフラワー号による移民のあった1620年頃のアメリカ、独立宣言をした1776年のアメリカよりも遥かまえです。そんなアメリカに菊が「渡米」するという意味は何でしょうか。もしかして私の知らないアメリカと菊の秘話があったのでしょうか。

これと関連して気になるのは、YUJI(U-2)様が「当時の時代背景を考えますと、当時の日本もアメリカ状態そのものだったのではないでしょうか」とお書きになっていることです。当時の時代とおしゃるのは、問題の『学生版牧野日本植物図鑑』が「新制高校生をスタンダードとして簡潔明解につとめた」「コンサイス型」として出版された年、「二十四年三月十日頃」だと思われます。この年、牧野富太郎は88歳の高齢でした。

つまり占領下にあった戦後日本を「アメリカ状態」とお考えになったようですが、それが、菊が「古く唐(今の中共)より渡米した」ということとどういう関係にあるのか、表現の意味がよくわからないのです。この点も、もう少しわかりやすくご教示いただければ幸いです。

ついでに些少なことのようですが、同書の昭和四十二年二月に書かれた「新訂の序」をご覧になってください。半ば辺りの「必然的に」の前に一字の空白があると思います。これは「必然的に」以降のパラグラフが、明らかにここで改行されるべきものを、改行されないまま放置された痕跡です。

意味もなく一字分の空白が残されているのは、文字の誤植とは違いますが、出版社あるいは編集者あるいは校閲者としては、どうしても見逃せない間違いの部類に入ります。長い間、本を作ってきた私自身の経験からも、校正段階でこれに気付けば、必ず改行に修正するか、改行でなければ、意味のない一字分の空白を埋めてしまいます。些細なことですが、このわずかな傍証を見ても、どこか散漫なところがあったのではないかと思われて仕方がありません。