EMKさんが教えてくれたページに飛んでみました。まるコピなのでこっそり読んでね(^人^)
★☆ミュージカル ファントムD-21 ☆★ ミュージカルの公演を観覧するのに必ず予習が必要と言うことではないが分かってみればさらにおもしろいビハインド ストーリーがあります!
今日は最初! たくさんの方々が最も心配している[ファントム] vs [オペラ座の怪人]に関する話を聞かせて差し上げますね~
あなたが知らなかったオペラ座の怪人のビハインド ストーリー! 国民日報チャン・ジヨン記者のコラムを紹介します~!
公演会場歩き
あなたが知らなかったオペラ座の怪人のビハインド ストーリー
ミュージカル[ファントム]
ミュージカル[ファントム]の海外公演会場面
1 原作者ガストン・ルルー
推理小説分野でアメリカのエドガー・アランポー(Edgar Allan Poe、1809-1849),英国のアーサーコナン ドイル(Arthur Conan Doyl、1859-1930)と肩を並べるフランスの作家としてはガストン・ルルー(Gaston Leroux、1868~1927)が挙げられる。
ルルーが1907年に発表した『黄色い部屋の秘密』は、世界最初の密室ミステリー小説という栄誉を得た。
だが、今日の彼を不滅の地位に押し上げたのは1909~1910年にフランスの新聞「ル コルルア」に連載した『オペラ座の怪人』であろう。
ガストン・ルルー 1907年
若い時に新聞記者として活動した彼は専業作家になった後、過去に取材したものなどを小説の素材としてたくさん活用した。 [オペラ座の怪人]はパリオペラ劇場の取材でモチーフを得た。
劇場を設計したシャルル ガルニエの名前を取って‘パレス ガルニエ(Palais Garnier)’とも呼ばれるこの劇場は1875年に完工し、1989年に最新式オペラハウスであるバスチーユ オペラ劇場が開館する時まで100年間余りフランス オペラの中心地であった。
事実[オペラ座の怪人]のフランス語原題である‘Le Fantome de l'Opera’でl'Operaはジャンルとしてのオペラでなくパリオペラ劇場を示す言葉だ。参考で現在のパルス ガルニエはパリオペラ バレエの拠点で活用されているけれどバロック オペラのような規模が小さいオペラが公演されたりもする。
派手なネオバロック様式で建てられたパリオペラ劇場は開館直後パリのシンボルになった。ルルーは劇場を取材して地階が過去パリ コミューン時代に囚人を閉じ込めた監房と重なるということを知った。
また、1841年パリオペラ劇場の前身だった劇場のオペラのバレエシーンで、以前のバレエ練習生の骨を実際に使ったといううわさも聞いた。このようなミステリーな話にインスピレーションを得て書き記した小説がまさに[オペラ座の怪人]である。
醜い顔を仮面で隠したまま劇場の地下に隠れて暮らす‘ファントム’と美しいプリマドンナ‘クリスティーヌ’そして貴族の青年‘ラウル’の交錯した愛を神秘的に描き出したという評価を受けた小説は、翌年英語で翻訳されるなど世界各国で翻訳された。
そして映画、ドラマ、演劇など多様なジャンルで相次いで製作された。映画の場合、1916年ドイツで白黒映画が初めて作られた以降、数編出てきた。小説を現代的に脚色したりパロディを含むバージョンまで合わせればはるかに多い。
2 オペラ座の怪人vs.ファントム
醜い顔を隠すために地下劇場に住む‘ファントム’と美しい女性‘クリスティーヌ’の話
小説が初めて舞台化されたのは1946年ドイツの演劇だ。しかし以後大衆的な関心を引いたのは英国劇作家兼演出家であるケン ヒル(Ken Hill)が1976年作った同名ミュージカルだ。
ただし、ヒルが小説を初めてミュージカルとして作ったとはいうがヴェルディ、グノー、モーツァルト、オッフェンバックなどのオペラのアリアに英語の歌詞を付けた程度であった。ヒルは7年後になる1984年にこの公演をリバイバルして若干の商業的な成功を収めることになる。
ヒルのリバイバル バージョンが重要なのはミュージカル[エビータ],[キャッツ]等でオリヴィエ賞を受けた有名な作曲家アンドリューロイド ウェーバー(Andrew Lloyd Webber)にインスピレーションを与えたという点だ。
だが、これより1年先立ってアメリカでは[オペラ座の怪人]のミュージカル化が推進されていた。ミュージカル[ナイン]で1982年トニー賞作品賞を受賞した作曲家Maury Yestonと脚本家Arthur Lee Kopitは翌年演出家兼俳優のGeoffrey Holderから小説『オペラ座の怪人』をミュージカルで作ろうという提案を受けていた。
当時ホルダーはガストン ルルー財団からこの作品の公演権を取得していた。 イエストンは初めはホラーをミュージカルとして作ることに対して懐疑的だったがすぐに気持ちを変えてコピットと共に本格的な創作に出た。そうミュージカル[ファントム]だ。
ところで、ホルダーが見逃した部分があった。 それはルルーの小説『オペラ座の怪人』が、2年以内に共有著作物になるということだった。すなわち誰でも著作権に対する負担なく自由に利用することができるようになるという意味だ。
実際にコピットが台本を書きイエストンが作曲を相当進めた1984年、英国でアンドリューロイド ウェーバーがやはりこの作品をミュージカルで作るというニュースが伝えられた。先に作業を始めたのはイエストンとコピットではあるが、アンドリューロイド ウェーバーが先に言論に報道されたのだ。
仮にアンドリューロイド ウェーバーが製作計画を発表したとしてもイエストンとコピットは投資家を集めて作品を製作することに決めた。
しかし1986年ウェーバーの[オペラ座の怪人]がロンドン ウェストエンド舞台に上がるやいなや爆発的な反響を呼びおこしたのに続きニューヨーク ブロードウェイの進出が決定されるとすぐに[ファントム]の投資家が相次いで途中放棄を宣言した。結局イエストンとコピットは公演製作を中断しないわけにはいかなくなった。
後にアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]を見たイエストンとコピッは[ファントム]と基本的に違うということを確認した。音楽的にオペレッタに近い[ファントム]は韓国でも何回も公演されて良く知られている[オペラ座の怪人]に比べ、ファントムの人間的な部分に焦点を合わせたのが特徴だ。
劇作家アーサーコピット
作曲家モリー イエストン
3 あらすじ
話は19世紀後半パリオペラ劇場の前で美しい少女クリスティーヌが歌いながら楽譜を売るところから始まる。オペラの後援者であるシャンドン伯爵はクリスティーヌの歌に魅了され劇場で歌のレッスンを受けられるように紹介状を書く。
だが、クリスティーヌが劇場に着いた時にはシャンドン伯爵が紹介した劇場長キャリエールは解任され新しい劇場長であるショレが就任していた。キャリエールはショレに劇場地下の湖畔にファントムすなわち幽霊がいると話すがショレはキャリエールが嘘をついていると思ってしまう。
そしてショレの妻でありプリマドンナであるカルロッタはクリスティーヌの美貌と才能に嫉妬し彼女を衣装補助として雇用する。
ある日クリスティーヌの歌を聞いたエリック(ファントム)はその清らかな声に死んだ母を思い出し、彼女に自分の姿を見せないまま歌唱指導する。
以後、劇場で開かれたコンテストで優勝したクリスティーヌは大きな配役を任される。だが、公演初日カロッタが渡した薬を飲み舞台を台無しにしてしまう。
怒ったエリックはクリスティーヌを自分の地下の隠れ場所に連れていくが、これが、彼を人々の前に露出させる危険を招いた。クリスティーヌも彼の醜い姿を受け入れることができない。
ついに警察が地下に到着し彼を囲んで銃口を向けた瞬間キャリエールが近づき彼をかばう。そうキャリエールは彼の父だったのだ。キャリエールは若い頃、劇場の美しいソプラノ歌手ベラルドーヴァとの恋に落ちてエリックを授かった後、秘密裏に育ててきたのだ。
[オペラ座の怪人]がファントム、クリスティーヌ、ラウルの三角関係を中心に扱っているのに対し、[ファントム]にはラウルの代わりにキャリエールがいてファントムの秘密の幼年期が描かれている。
劇場コンテストで優勝したクリスティーヌは舞台の大きな配役を引き受ける。
ファントムはクリスティーヌの清らかな歌声を聞き彼女に対して密かに歌を教える。
ミュージカルとしての[ファントム]はすぐには作られなかったがイエストンとコピットはあきらめずに適当な時を待った。数年後コピットはNBC放送で[見知らぬ人の手をあげる]というミニシリーズで成功を収めた。NBCから再び作品の依頼を受けた彼はイエストンと相談したあげく[ファントム]をドラマに使った。
1990年に放送されたこのドラマは[オペラ座の怪人]という題名で放映され、イエストンの音楽でない既存のクラシック音楽をバックミュージックとして使った。
原作小説の実際の背景であるパリオペラ劇場で撮影されたこのドラマはエミー賞5部門にノミネートされ2個を受賞するなど期待以上の成果を収めた。
そしてドラマのおかげでミュージカルの製作に関心を持った投資家が出てきて、ついに1991年テキサス州、ヒューストンのシアター Under the Starsで[ファントム]が公演されるに至った。
当時ニューヨークタイムズが“忘れられないうっとりとした音楽、ミュージカル黄金期をつなぐ作品”と褒めるなど報道機関と評壇は好評すると共にこの作品がアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]より遅く出てきたことに対する遺憾を表わした。
以後[ファントム]はアメリカの様々な都市でツアー公演を行い、2007年に続き今年もリバイバル公演がなされるなど確固たる地位を位置づけた。
また、海外でも相次いでライセンス契約がなされ、1996年オーストラリア、ドイツ、2004年日本、2007年エストニア、2013年英国そして今年韓国で公演されることになった。
4 いよいよ韓国初演
EMKミュージカルカンパニーが製作する韓国プロダクションの場合、以前のプロダクションと比較していくつか変わった点が目につく。まず音楽的な部分でイエストンがファントムとクリスティーヌのためにそれぞれ二曲ずつ全四曲のナンバーを新しく作曲した。ここにエレクトロニック要素を加えた編曲を通じて音楽が一層豊かになった。
そしてEMKミュージカルカンパニーが製作した[エリザベート],[レベッカ],[マリー・アントワネット]の演出を引き受けたロバート・ヨハンソンは今回の公演で若いキャリエールとベラドーヴァの愛を正統クラシカルバレエで表現するようにしたが、これは韓国プロダクションだけで見ることができる特別な場面だ。
リュ・ジョンハン
パク・ヒョシン
カイ
一方で、[ファントム]のナンバーが俳優に既存ミュージカルより優れた歌唱力を要求する為、韓国プロダクションのキャスティングに大いなる関心が集められた。
ファントム役では優れた歌唱力を認められているリュ・ジョンハン、パク・ヒョシン、カイがキャスティングされ、ファントムの運命的な相手であるクリスティーヌ役にはイム・ソネ、イム・ヘヨン、キム・スンヨンが出る。
特にクラシック声楽家として活動している女優の参加でミュージカルの舞台で高難度のテクニックを曝け出すクリスティーヌのナンバー二曲が新しく作られた。
また、バレエの分量は多くはないがインパクトある場面であるだけにスター舞踊家が出演する。ベラルドーヴァはキム・ジュウォンとファン・ヘミンが引き受け、若いキャリエール役にはユン・ジョンイルとアレックスが出る。
これらのスター舞踊家はしっかりしたテクニックと深みのある芸術性でクラシカルバレエの節制された美しさを見せる予定だ。
イム・ソンヘ
イム・ヘヨン
キム・スンヨン
出演陣の他にも[ファントム]には興味深い要素が多い。パリオペラ劇場を再現した3階構造の雄壮な舞台セットと派手なシャンデリア、約200セットの多彩な衣装は観客に見る楽しみをプレゼントする。特に劇中でファントムは感情の状態により多様な種類の仮面を着用し彼の内面をより一層ドラマチックに表現する。
今まで国内ではアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]が良く知られてただけに今回[ファントム]が公演されれば自然に比較されるものと見られる。
おそらくミュージカル ファンならば同じ原作小説から作られた別バージョンの二つのミュージカルを比較してみるのは、非常に興味深い事となるだろう。
★☆ミュージカル ファントムD-21 ☆★ ミュージカルの公演を観覧するのに必ず予習が必要と言うことではないが分かってみればさらにおもしろいビハインド ストーリーがあります!
今日は最初! たくさんの方々が最も心配している[ファントム] vs [オペラ座の怪人]に関する話を聞かせて差し上げますね~
あなたが知らなかったオペラ座の怪人のビハインド ストーリー! 国民日報チャン・ジヨン記者のコラムを紹介します~!
公演会場歩き
あなたが知らなかったオペラ座の怪人のビハインド ストーリー
ミュージカル[ファントム]
ミュージカル[ファントム]の海外公演会場面
1 原作者ガストン・ルルー
推理小説分野でアメリカのエドガー・アランポー(Edgar Allan Poe、1809-1849),英国のアーサーコナン ドイル(Arthur Conan Doyl、1859-1930)と肩を並べるフランスの作家としてはガストン・ルルー(Gaston Leroux、1868~1927)が挙げられる。
ルルーが1907年に発表した『黄色い部屋の秘密』は、世界最初の密室ミステリー小説という栄誉を得た。
だが、今日の彼を不滅の地位に押し上げたのは1909~1910年にフランスの新聞「ル コルルア」に連載した『オペラ座の怪人』であろう。
ガストン・ルルー 1907年
若い時に新聞記者として活動した彼は専業作家になった後、過去に取材したものなどを小説の素材としてたくさん活用した。 [オペラ座の怪人]はパリオペラ劇場の取材でモチーフを得た。
劇場を設計したシャルル ガルニエの名前を取って‘パレス ガルニエ(Palais Garnier)’とも呼ばれるこの劇場は1875年に完工し、1989年に最新式オペラハウスであるバスチーユ オペラ劇場が開館する時まで100年間余りフランス オペラの中心地であった。
事実[オペラ座の怪人]のフランス語原題である‘Le Fantome de l'Opera’でl'Operaはジャンルとしてのオペラでなくパリオペラ劇場を示す言葉だ。参考で現在のパルス ガルニエはパリオペラ バレエの拠点で活用されているけれどバロック オペラのような規模が小さいオペラが公演されたりもする。
派手なネオバロック様式で建てられたパリオペラ劇場は開館直後パリのシンボルになった。ルルーは劇場を取材して地階が過去パリ コミューン時代に囚人を閉じ込めた監房と重なるということを知った。
また、1841年パリオペラ劇場の前身だった劇場のオペラのバレエシーンで、以前のバレエ練習生の骨を実際に使ったといううわさも聞いた。このようなミステリーな話にインスピレーションを得て書き記した小説がまさに[オペラ座の怪人]である。
醜い顔を仮面で隠したまま劇場の地下に隠れて暮らす‘ファントム’と美しいプリマドンナ‘クリスティーヌ’そして貴族の青年‘ラウル’の交錯した愛を神秘的に描き出したという評価を受けた小説は、翌年英語で翻訳されるなど世界各国で翻訳された。
そして映画、ドラマ、演劇など多様なジャンルで相次いで製作された。映画の場合、1916年ドイツで白黒映画が初めて作られた以降、数編出てきた。小説を現代的に脚色したりパロディを含むバージョンまで合わせればはるかに多い。
2 オペラ座の怪人vs.ファントム
醜い顔を隠すために地下劇場に住む‘ファントム’と美しい女性‘クリスティーヌ’の話
小説が初めて舞台化されたのは1946年ドイツの演劇だ。しかし以後大衆的な関心を引いたのは英国劇作家兼演出家であるケン ヒル(Ken Hill)が1976年作った同名ミュージカルだ。
ただし、ヒルが小説を初めてミュージカルとして作ったとはいうがヴェルディ、グノー、モーツァルト、オッフェンバックなどのオペラのアリアに英語の歌詞を付けた程度であった。ヒルは7年後になる1984年にこの公演をリバイバルして若干の商業的な成功を収めることになる。
ヒルのリバイバル バージョンが重要なのはミュージカル[エビータ],[キャッツ]等でオリヴィエ賞を受けた有名な作曲家アンドリューロイド ウェーバー(Andrew Lloyd Webber)にインスピレーションを与えたという点だ。
だが、これより1年先立ってアメリカでは[オペラ座の怪人]のミュージカル化が推進されていた。ミュージカル[ナイン]で1982年トニー賞作品賞を受賞した作曲家Maury Yestonと脚本家Arthur Lee Kopitは翌年演出家兼俳優のGeoffrey Holderから小説『オペラ座の怪人』をミュージカルで作ろうという提案を受けていた。
当時ホルダーはガストン ルルー財団からこの作品の公演権を取得していた。 イエストンは初めはホラーをミュージカルとして作ることに対して懐疑的だったがすぐに気持ちを変えてコピットと共に本格的な創作に出た。そうミュージカル[ファントム]だ。
ところで、ホルダーが見逃した部分があった。 それはルルーの小説『オペラ座の怪人』が、2年以内に共有著作物になるということだった。すなわち誰でも著作権に対する負担なく自由に利用することができるようになるという意味だ。
実際にコピットが台本を書きイエストンが作曲を相当進めた1984年、英国でアンドリューロイド ウェーバーがやはりこの作品をミュージカルで作るというニュースが伝えられた。先に作業を始めたのはイエストンとコピットではあるが、アンドリューロイド ウェーバーが先に言論に報道されたのだ。
仮にアンドリューロイド ウェーバーが製作計画を発表したとしてもイエストンとコピットは投資家を集めて作品を製作することに決めた。
しかし1986年ウェーバーの[オペラ座の怪人]がロンドン ウェストエンド舞台に上がるやいなや爆発的な反響を呼びおこしたのに続きニューヨーク ブロードウェイの進出が決定されるとすぐに[ファントム]の投資家が相次いで途中放棄を宣言した。結局イエストンとコピットは公演製作を中断しないわけにはいかなくなった。
後にアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]を見たイエストンとコピッは[ファントム]と基本的に違うということを確認した。音楽的にオペレッタに近い[ファントム]は韓国でも何回も公演されて良く知られている[オペラ座の怪人]に比べ、ファントムの人間的な部分に焦点を合わせたのが特徴だ。
劇作家アーサーコピット
作曲家モリー イエストン
3 あらすじ
話は19世紀後半パリオペラ劇場の前で美しい少女クリスティーヌが歌いながら楽譜を売るところから始まる。オペラの後援者であるシャンドン伯爵はクリスティーヌの歌に魅了され劇場で歌のレッスンを受けられるように紹介状を書く。
だが、クリスティーヌが劇場に着いた時にはシャンドン伯爵が紹介した劇場長キャリエールは解任され新しい劇場長であるショレが就任していた。キャリエールはショレに劇場地下の湖畔にファントムすなわち幽霊がいると話すがショレはキャリエールが嘘をついていると思ってしまう。
そしてショレの妻でありプリマドンナであるカルロッタはクリスティーヌの美貌と才能に嫉妬し彼女を衣装補助として雇用する。
ある日クリスティーヌの歌を聞いたエリック(ファントム)はその清らかな声に死んだ母を思い出し、彼女に自分の姿を見せないまま歌唱指導する。
以後、劇場で開かれたコンテストで優勝したクリスティーヌは大きな配役を任される。だが、公演初日カロッタが渡した薬を飲み舞台を台無しにしてしまう。
怒ったエリックはクリスティーヌを自分の地下の隠れ場所に連れていくが、これが、彼を人々の前に露出させる危険を招いた。クリスティーヌも彼の醜い姿を受け入れることができない。
ついに警察が地下に到着し彼を囲んで銃口を向けた瞬間キャリエールが近づき彼をかばう。そうキャリエールは彼の父だったのだ。キャリエールは若い頃、劇場の美しいソプラノ歌手ベラルドーヴァとの恋に落ちてエリックを授かった後、秘密裏に育ててきたのだ。
[オペラ座の怪人]がファントム、クリスティーヌ、ラウルの三角関係を中心に扱っているのに対し、[ファントム]にはラウルの代わりにキャリエールがいてファントムの秘密の幼年期が描かれている。
劇場コンテストで優勝したクリスティーヌは舞台の大きな配役を引き受ける。
ファントムはクリスティーヌの清らかな歌声を聞き彼女に対して密かに歌を教える。
ミュージカルとしての[ファントム]はすぐには作られなかったがイエストンとコピットはあきらめずに適当な時を待った。数年後コピットはNBC放送で[見知らぬ人の手をあげる]というミニシリーズで成功を収めた。NBCから再び作品の依頼を受けた彼はイエストンと相談したあげく[ファントム]をドラマに使った。
1990年に放送されたこのドラマは[オペラ座の怪人]という題名で放映され、イエストンの音楽でない既存のクラシック音楽をバックミュージックとして使った。
原作小説の実際の背景であるパリオペラ劇場で撮影されたこのドラマはエミー賞5部門にノミネートされ2個を受賞するなど期待以上の成果を収めた。
そしてドラマのおかげでミュージカルの製作に関心を持った投資家が出てきて、ついに1991年テキサス州、ヒューストンのシアター Under the Starsで[ファントム]が公演されるに至った。
当時ニューヨークタイムズが“忘れられないうっとりとした音楽、ミュージカル黄金期をつなぐ作品”と褒めるなど報道機関と評壇は好評すると共にこの作品がアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]より遅く出てきたことに対する遺憾を表わした。
以後[ファントム]はアメリカの様々な都市でツアー公演を行い、2007年に続き今年もリバイバル公演がなされるなど確固たる地位を位置づけた。
また、海外でも相次いでライセンス契約がなされ、1996年オーストラリア、ドイツ、2004年日本、2007年エストニア、2013年英国そして今年韓国で公演されることになった。
4 いよいよ韓国初演
EMKミュージカルカンパニーが製作する韓国プロダクションの場合、以前のプロダクションと比較していくつか変わった点が目につく。まず音楽的な部分でイエストンがファントムとクリスティーヌのためにそれぞれ二曲ずつ全四曲のナンバーを新しく作曲した。ここにエレクトロニック要素を加えた編曲を通じて音楽が一層豊かになった。
そしてEMKミュージカルカンパニーが製作した[エリザベート],[レベッカ],[マリー・アントワネット]の演出を引き受けたロバート・ヨハンソンは今回の公演で若いキャリエールとベラドーヴァの愛を正統クラシカルバレエで表現するようにしたが、これは韓国プロダクションだけで見ることができる特別な場面だ。
リュ・ジョンハン
パク・ヒョシン
カイ
一方で、[ファントム]のナンバーが俳優に既存ミュージカルより優れた歌唱力を要求する為、韓国プロダクションのキャスティングに大いなる関心が集められた。
ファントム役では優れた歌唱力を認められているリュ・ジョンハン、パク・ヒョシン、カイがキャスティングされ、ファントムの運命的な相手であるクリスティーヌ役にはイム・ソネ、イム・ヘヨン、キム・スンヨンが出る。
特にクラシック声楽家として活動している女優の参加でミュージカルの舞台で高難度のテクニックを曝け出すクリスティーヌのナンバー二曲が新しく作られた。
また、バレエの分量は多くはないがインパクトある場面であるだけにスター舞踊家が出演する。ベラルドーヴァはキム・ジュウォンとファン・ヘミンが引き受け、若いキャリエール役にはユン・ジョンイルとアレックスが出る。
これらのスター舞踊家はしっかりしたテクニックと深みのある芸術性でクラシカルバレエの節制された美しさを見せる予定だ。
イム・ソンヘ
イム・ヘヨン
キム・スンヨン
出演陣の他にも[ファントム]には興味深い要素が多い。パリオペラ劇場を再現した3階構造の雄壮な舞台セットと派手なシャンデリア、約200セットの多彩な衣装は観客に見る楽しみをプレゼントする。特に劇中でファントムは感情の状態により多様な種類の仮面を着用し彼の内面をより一層ドラマチックに表現する。
今まで国内ではアンドリューロイド ウェーバーの[オペラ座の怪人]が良く知られてただけに今回[ファントム]が公演されれば自然に比較されるものと見られる。
おそらくミュージカル ファンならば同じ原作小説から作られた別バージョンの二つのミュージカルを比較してみるのは、非常に興味深い事となるだろう。
エリザベートの宣伝に大きく
オクジュヒョンさん と ヒョシン君が 出てますよね。
あるのかしら(-_-;)×100
韓国は 2014二都も宣伝ビラにはジョンハン先生でてましたが出演されず。。 夜逃げ会社と違って 今回は EMK様ですけど。。 どうなんでしょうか?
これだけ 最後で がっかりになりませんように。。
パンフ^ ^
そ~なんですよ。
EMKさん、キャッチーな宣伝攻撃してきてますよね~。
どうなんでしょうね。
ハピコンでセットとかお借りしてるしね..
ご本人も前のトートよりも良いモノを見せたいという欲もありそうな気が... ^ ^
ファントムを一足早く切り上げて、エリザに行く可能性もなきにしもあらず...
ですかね... ^ ^
ここは、静かに見守りたいです。
それにしてもEMKさん、お写真使いすぎですよね