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『悲情城市』と候孝賢(ホウ・シャオシェン)

2005-05-04 02:01:14 | 過去に観た映画
世の中というものは、概ね何事もなく過ぎていく。どんな激動の時代でも、ヒートアップした状態が途切れることなく続きはしない。比率にすれば特に何も起こっていない時間の方が圧倒的に多いはずだ。1%の緊張と99%の弛緩。大抵の映画ではドラマ性を高めるため、1%の緊張を選びとってそれらを繋げていく。だが人間が考え、次の行動や、自分の目指す方向、悩み、悲しみ、喜びは99%の弛緩した時間の中で蓄積されていき、1%の瞬間にほとばしり出る。候孝賢が描こうとしているのは、ドラマチックな1%ではなく、次のドラマに向かおうとしている99%なのではないか?と、思う。
具体的な「イベント」を脚本に盛り込まず、その「イベントの前後」。一旦爆発した感情が収まって穏やかになったタイミングを狙ってはすくいとって映画を組み立てていく。描かれる人々は、決断した後であり、行動して失敗して後悔した後だったり、成功して喜びを噛み締めた後だったりする。
長い間、何故僕は候孝賢なんかが好きなのか、自分でその理由が判らなかったし、そもそも候孝賢が何を描いているのかイマイチ判らなかった(でも好きだった)。
上のような考えにいたった契機となった作品は「ミレニアム・マンボ」だ。この映画は主人公の女の子(スー・チー)のモノローグで進行していくが、モノローグを語るのは映画で描かれるている時勢より何年か後という設定。昔の自分をしかも「彼女は」と三人称で他人事のように語る。過去を振り返るのだが、過去に起こった出来事には関心がない。時の流れ、その流れの中に「彼女」が存在していた事を重要視しているのだ。
珈琲時光」という映画だって何も起こらない映画と思ってはいけない。あの映画は何かが起こった瞬間をエピソードから省いているだけで、確実に主人公の中で色々な事が起こっていたのだ。
ミレニアム・マンボ」も「珈琲時光」も傑作だと思っている。彼女に何があったのだろう?彼女はこの後どうするんだろう?と、そんなサスペンスに満ちている。種あかしはせず、上映が終っても心の中で映画は続いていく。

さて、候孝賢の最高傑作にして映画史に燦然と輝く名作が「悲情城市」だ。この映画は台湾で戦後に起こった弾圧事件を題材にしていながら、その事件について詳しく語ろうとしない。僕も未だにその事件について詳しいことは知らない。だが、その事件について何も知らなくてもこの映画を観て感動することにいささかの障害にもならない。黒澤明をはじめ多くの人が、「事件のことを知らないと内容がよく判らない」と言うが(そんな黒澤は候孝賢のベストとして「冬冬の夏休み」を挙げている)、「内容」というものが「ストーリー」を指しているのであれば、その意見は尤もだ。だが候孝賢の映画にストーリーとかドラマなんて求めても始まらない。初期の作品にはおぼろげながらもストーリー性はあった。というか、ストーリーを語ろうとしていた節がある。映画と格闘した候孝賢の辿り着いた境地が「悲情城市」であり、この作品は過去に流れていた時の中に、台湾という国(?) が存在していたことと、台湾に人々が存在していたことを描いている。その時どのような事件が起こったかなど、この際二の次なのだ。「台湾という国」の後ろに(?) を付けたのは、当時も現在に至るも台湾が非常に不確かな行政区域であるからだ。映画は天皇の玉音放送で始まり、終戦と同時に主人公となる家族に子供が生まれるところから始まる。映画の中では北京語と台湾の土着言語と日本語が混在し、起こった事件どころか台湾という「国家」そのものが歴史的に(または記録上)有ったのか無かったのか曖昧であったことが描かれている。しかし間違いなく「台湾」は存在していたし、人々も存在していた。不確かな「記録」と、間違いの無い確実な「存在」。両者の境目もまた曖昧だ。象徴するかのようにこの映画ではクローズアップはほとんど使用されず、それどころかハリウッドのみならず全世界で映画表現の常套手段となっているモンタージュにすら頼っていない。ほとんどのシーンが1シーン1ショットに近く、カメラも被写体を追ってパンするのみであまり動かない。いや、被写体が何なのかさえ、ロングショット主体の構図では曖昧となる。画面に展開されるのは、絵はがき・・・というより採用され掲載されなかった報道写真のような、対象の曖昧な静物画。しかしそうして捨てられるべきだった画の全てが、歴史的転換点に感じられる重圧と、そこに存在した人々の悲しみに満ちているのだ。
全てを曖昧にしながらも、悲情な時(歴史)がたしかに存在していたことを候孝賢は全身全霊でフィルムに焼きつけた。

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