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「8・1/2」と「甘い生活」の感想をさっぱりわかんなかったけど、がんばって書いてみよう・・・の巻

2009-08-11 20:56:24 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
NHK BSにてフェデリコ・フェリーニの代表作「8・1/2」(はっかにぶんのいち)を観賞。

個人的にはフェリーニという監督の作品を楽しく見れて、かつ、ちゃんと語れるかどうかで、自称映画評論家の実力が判るんではないかと思っている。へっぽこ評論家が語るとたちまちボロが出てしまう作家ではなかろうか。そういうわけで自称へっぽこ評論家の私も避けたい監督である。
ベルイマンやキューブリックなら判ったフリして何とでも書きようがあるし、ゴダールくらいになると開き直ってけなしまくる手もないではない。
だが、フェリーニさんは・・・さっぱりわからないのである。だが、がんばってフェリーニ作品の感想を書いてみよう。無謀な戦いに挑んでみよう。

さて「8・1/2」であるが実は観賞するのはこれで4度目である。
なんだけっこう観てるんじゃないか、なんだかんだで好きなんじゃないの・・・と思わないでほしい。

過去に観た3回は3回とも、始まって30分くらいで寝てしまったので、どんな話なのかさっぱりわからなかったし、評価のしようもなかった。
そして3回目からけっこう間をあけて4回目の観賞。私の映画経験値も上がった筈だ。あのころは観ていなかったアンゲロプロスとかソクーロフとかよく判んなくて長くて重い奴らの映画を楽しめるようになってきた。今ならフェリーニも楽しめるかもしれない!!という期待と、バルタン星人のような限りなきチャレンジ魂をもってフェリーニとの4度目の戦いに挑んだのであった。

そして
60分か90分くらいまで意識を保つ事に成功した。自己ベスト更新だ。僕はあのフェリーニと1時間以上も闘ったんだよ!!と未来世界に帰るドラえもんに報告したくなった。
残りの70~40分は夢うつつで断片的にしか記憶がない。大勢の人たちが音楽にのって1列になって踊ってるみたいな画面が記憶の片隅にあり、気がつくとエンドクレジットだった。
では、意識のはっきりしていたという60分~90分のストーリーを要約してみろ・・・と言われると、これがまた困った事にさっぱりわからない。
作品の時間は132分であるから特別長いというわけでもない。そしてエピソードにたーっぷり時間をかけてなかなか物語が進まないような(「2001年」とか「ヴェニスに死す」とかアンゲロプロスの諸作のような)長さではなく、ぽんぽんと速いテンポで次から次へとエピソードが畳掛けられるのだが、それぞれの意味するところも、他のエピソードとの関連も、全体として訴えたい事も「さっぱりわからない」

しかしだ。もし残りの70~40分くらいを意識を保って見続けたとしても、感想も「物語」に対する理解度もそんなに変わらないのではなかろうか?
というか「物語」と考える時点で、この監督を楽しむ事はできなくなりそうな気がする。メッセージもなんもないし、じゃあ映像とかリズムとか芝居とか音楽とか・・・でもない。
夢のように支離滅裂に映画が溢れ出してくる映画・・・と、ようするに全然わかってないけど直感的にそう表現することとする。
少なくとも本作は「ある映画監督の白昼夢と妄想と現実とが入り乱れる幻想的な映画」であり、これは見るものを夢見心地にすることを目的としているとも考えられないだろうか。と、するなら、うつらうつらと意識を飛ばしながらの観方というのも決して間違いではないような気もするのだった。
この映画は「難解」な映画とは言えない気がする。「難解」という以前に解答など存在しないのではなかろうか?

きれいな女優さんたちと、なんとなくポップでお洒落っぽい雰囲気(といっても「ポップでお洒落っぽい」ってどういう意味かよ説明できないけど)の中で、なんだかうまく映画撮れないんですけど・・・って困っている映画監督の脳内世界が溢れ出し、その脳内麻薬にひたっているうちについ眠ってしまうような心地よさに襲われる、そんな映画・・・ってことにしておこうと思う。

だが、機会があれば、5度目の挑戦をして次こそ最後まで意識を保ってやろうと思う。なんかライバルみたいに思えてきた。

-----
で、その翌日、何もやる気がしなかったので、映画でも観ようと、撮りためたビデオをチェックしていたら見つけてしまった。
フェリーニの「甘い生活」。
これもまた巨匠フェリー二先生の代表作の一つにかぞえられるやつだ。
前述の「8 1/2」とだいぶ前に観た「アマルコルド」はさっぱり理解できなかったが、「道」は泣いた。
多分「道」がフェリーニでは一番通俗的な映画なんだろうが、「俗」でもなんでもいいよ、話がわかれば・・・と弱気になったりもする。
「甘い生活」はどっちだ?まあ、とりあえず観てやろうか、暇だし・・・と3時間近い「甘い生活」を観始める・・・

「8 1/2」とちがって、最後まで意識を保ち続ける事は出来た。
しかし、これがまた困った事に、話がさっぱりわからない。かえってたちが悪い。
「しゅじんこうのおとこの人はなんかしらないけど女のひとにもてまくる人でした。いろんな人とエッチなことしたり、けんかしたり、ごろごろしたりしているおはなしでした」としか言いようがない。この説明で別に間違ってはいないと思う。
必要なんだか、なくてもいいんだかよく判らないエピソードが入れ替わり立ち替わり、「退廃的」といえばいいのかも知れないけど、暇してごろごろテキトウにすごしている男の生活をぼーっと観続ける3時間。
あ、でも今の俺も、暇しててごろごろテキトウにすごしているところだっけ・・・だから今の自分と波長があって、とりあえず眠らずに最後まで観れたのかもしれない。

いちおう、気になるのは冒頭のキリスト像をヘリで運びながら水着姿の女の子たちに挨拶するシーン。
そして中盤の聖母を見たと言う子供たちのシーン。
退廃と神秘なるものとの対比というか、主人公には決して神様関係者の姿は見えないのだろうな・・・とぼんやり思った。
それからラストの少女はちょっと良かった。何が言いたいのかさっぱりだが、無垢なる者の瞳で締めくくるのは素敵だ。しかもラストシーンのラストカットはちょい役でしかない少女のクローズアップ。
「E.T.」のラストはエリオット少年のクローズアップだったが、その目はまっすぐ宇宙に飛んでいった友を見つめ、ロマンチックな未来を見据えていた。
「甘い生活」の少女のクローズアップは何かを観ているのではなく、監督から観られるためのショットだ。だが同時に監督も我々も少女から見返されている。そこにいるのは無垢だった頃の自分なのだ。きっと。

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2 コメント

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フェリーニ (タルコフスキー)
2009-12-14 15:27:15
フェリーニの映画は解り易いと個人的に思います。フェリーニは「道」で映画監督としてやりたかったことはすべてやってしまったと思ってます。「甘い生活」は「道」の挫折版で、「道」で語られた美しいものがすべて否定されてしまいました。フェリーニ自身の愛や人生が、「道」以降崩壊してしまったのでしょう。あとは太宰治のように、自分自身の切り売りのみ・・・映像技術や展開は面白くても、話の内容はナンセンス。きっと人が自分自身の人生を描いたら、他人が見ても意味不明で、こんな感じになるのでは?だから私にとってのフェリーニは、「道」のみ・・・あとは映像をぼーっと眺めていればいいんです。
返信する
投稿コメントについての「配慮」依頼への対応 (しん)
2010-07-14 22:16:41
当ブログ管理人です
投稿コメントについての「配慮」依頼がありましたので対応をしてみました
経緯を記載します。

投稿者名「A」(仮名)を名乗る人物から以下の書き込みをいただきました。

-----引用---
タイトル「解らない?映画?」
投稿者「A」
2010-05-21 05:15:05

これを読んで正直「バッカみたい」と思いました。
解らない,解らないと言いながら何故見るのですか?
解って楽しめるのを見たらよいではありませんか?

大体映画に「解る」という事を先行させるのも正しいとは思いませんね。日本人の悪い癖だと思いますが「解る」「解らない」が「楽しむ」に先行し皆必死で解ろうとする、でないとインテリと呼ばれない、それが誇りを傷つけるのでしょうか。

人は元来それぞれ違う物です。感受性や洞察力、または教育や育った背景によって物の見方も当然異なります。
一度目で解らなければ解らないでしょう。詳細が解らなかったから再度見るという種類の「解らない」ではないからです。

映画だけでなく芸術に対し日本人は教育が悪くて皆「芸術至上主義」が横行し批評家の言うことも一体だから何が言いたいの?という様なものばかり。解らないなら解らないと言えばいいのに解ったふりするから誰かに追求されないようそれで曖昧模糊になるのでしょう。映画だけではありません,この傾向は。

分からない,分からないと言いながら何故見るのでしょうか?
人にはそれぞれ違う物です。感受性や洞察力、または教育や育った背景によって物の見方も当然異なります。

日本人の悪い癖だと思いますが「解る」「解らない」が「楽しむ」に先行し皆必死で解ろうとする、でないとインテリと呼ばれない、それが誇りを傷つけるのでしょうか。

映画だけでなく芸術に対し日本人は教育が悪くて皆「芸術至上主義」が横行し批評家の言うことも一体だから何が言いたいの?という様なものばかり。解らないなら解らないと言えばいいのに解ったふりするからです。

元来日本の教育では「表現する事」を学びませんので感想についても表現力が豊かではありません。その点欧米文化は異なるので「甘い生活」やアントニオーニの様な映像作家が産まれるのです。

文化が異なるので解らないならそれでいいとしてもっと芸術を「楽しむ」事ができないものでしょうか。まあ管理社会の教育では無理でしょうか・・・
------引用終わり----


私は基本方針として書き込みは批判的なものでも公開はしますが、リンクのない書き込みには返事を書かないことにしています。
今回も投稿を公開しました
すると、同じ「A」という投稿者名で別の書き込みがありました。

-----引用---
タイトル「本物」
投稿者「A」
2010-07-13 08:19:30

上の方へ。
誰かは想像つきますが すでに警察、弁護士へ言ってあります。行き過ぎた嘘はこれ以上お止め下さい。観覧されるかたの多くが誤解します。私を名乗るのは 違法です。このサイト管理の方も削除など ご配慮されますことをお願い致します。
------引用終わり----

後の「A」による書き込みにもリンク先やメールアドレスの記載はありません。
件の「A」という名前をインターネット検索してみても複数の人物がヒットし、最初の「A」が、後の「A」の主張の通り本物の「A」を貶めようとして書き込んだものだとしても、沢山の「A」の中の誰を標的にしていたのかわかりません。
また後の「A」が「本物」なのかどうかも判断材料がありません。
そういう訳で、投稿者名だけ伏せて、ここに転載することにしました。

以上
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