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【妻たちの手記】連載(3)「製版技術者としての技術と誇りをとりあげられて」

2012-06-27 17:16:51 | 妻たちの手記
「製版技術者としての技術と誇りをとりあげられて」

 今回は、会社の合理化・利益追求によって、専門技術職から肉体労働に追いやられ、体を壊して1990年3月に54歳で亡くなった中居和好さんの妻百合子さんの手記を紹介します。

 中居さんは1954年に大日本印刷株式会社の京都工場に入社しました。それから29年のあいだ、優秀な技術者として写真製版の校正をしてきました。

 ところが、1983年6月、同社の製販部門が分離独立しました。このとき、中居さんは大日本印刷をわずかな退職金で放り出されたのです。そして、大日本京都製版会社に再就職しました。

 さらに1985年2月、今度は製版技術と全く無関係な、大日本物流システムへ移されました。物流の仕事は、梱包や包装の作業で常に十数キロの荷物を持ち運ぶといったもので、日勤夜勤の2交代・12時間労働でした。それは50代にさしかかった中居さんにはきつい仕事です。亡くなる1990年の1月にはときどき胸が苦しくなる、と妻に訴えるようになっていました。しかし、休暇を取りにくい職場の雰囲気のために、なかなか病院に行くこともできませんでした。ケガで2、3日休んだだけでも、上司から「そんなに休んでもらったら会社はやって行けないから、そんな人はやめてもらわんならん」とおどされたこともありました。

 大日本印刷がこのとき行ったのは、「スクラップ・アンド・ビルド」と呼ばれるリストラ政策です。当時、大日本印刷は、儲けの追求と労働者分断、職場支配の強化をねらって、セクションを次々と分離独立させていくつもの子会社をつくっていました。これによって、京都工場の正社員は、ピーク時の1500人から700人ほどにまで減りました。会社が不要とみなした労働者は、ただちに子会社に追いやられ、賃金や労働条件は3~4割も切り下げられるのです。

 中居さんも、会社の利益追求の犠牲となった労働者の一人でした。百合子さんの手記から抜粋します。

 製版技術者だった夫に、物流システムへ行けというのは、会社を辞めろということと同じです。夫は、大日本印刷の合理化の犠牲者です。これは、夫の問題だけではありません。夫はよくこぼしていました。「『製版部門はもうからん』とさかんに宣伝し、結局独立採算ということで親会社から切り捨てられた。新しい機械が入り、わしらのような技術職や熟練工はもういらんのや。首切りと同じや」と。

 百合子さんは、過労死弁護団に相談するうちに、和好さんの死が単なる病死ではなく労働災害であると確信し、1990年6月に労災認定の申請をしました。しかし労基署は労災を認めず、審査請求・再審査請求も棄却しました。そのため、百合子さんは裁判をおこし、2006年にやっと過労死の労災認定を勝ちとりました。

 中居和好さんは、専門技術者としての仕事から肉体労働へと一方的に仕事を変更され、また同時に賃金・労働条件の切り下げも行われました。こうした一方的な変更に対し「諦めるしかない」ような労使の力関係では、労働者の側から過労状態について会社に改善を求めることは難しいと思われます。

 また、賃金や労働条件の切り下げは、労働者が過労に追い立てられる大きな原因となります。というのは、賃金を下げられた労働者が以前と同じだけの賃金をもらうにはより長い時間働かなければならないからです。今回のように3~4割も切り下げられた場合、実際には以前と同じだけの賃金を得ることは難しいと思いますが、生計を立てるために以前より長時間働かなければならなくなることがほぼ確実でしょう。

 賃金や労働条件が低いために過労に追い込まれるという状況は、最近の日本海庄屋での過労死の例でも同じです。中居さんの過労死は今も続く普遍的な問題を提起しているといえるでしょう。
(京都大学法学部二回生)



*中居さんの裁判についての詳細はこちら、京都第一法律事務所のHPで見ることができます。 http://www.daiichi.gr.jp/publication/makieya/2006f/03.html


***「過労死防止基本法」制定実行委員会が求めていること***********************

  「過労死」が国際語「karoshi]となってから20年以上が過ぎました。
  しかし、過労死はなくなるどころか、過労死・過労自殺(自死)寸前となりながらも
  働き続けざるを得ない人々が大勢います。

  厳しい企業間競争と世界的な不景気の中、「過労死・過労自殺」をなくすためには、
  個人や家族、個別企業の努力では限界があります。
  そこで、私たちは、下記のような内容の過労死をなくすための法律(過労死防止基本法)の
  制定を求める運動に取り組むことにしました。

  1 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること
  2 過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること
  3 国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと

署名へのご協力のお願い
私たちは「過労死防止基本法」の法制化を目指して、「100万人署名」に取り組んでいます。
署名用紙≫(ココをクリックお願いします)をダウンロードしていただき、必要事項をご記入いただいた上で、東京事務所もしくは大阪事務所まで郵送をお願いしたいと思います。

まずは過労死のことや過労死防止基本法を多くの人に知っていただきたいので、ツイッターでつぶやくなどして広めてもらえると助かります。記事の一番下についているボタンからも気軽にツイートできますので、ぜひともご協力お願い致します!
 

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HP:http://www.stopkaroshi.net/
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1 コメント

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先頭の世代 (delpara)
2012-06-29 20:02:04
過労死された方にはお悔やみ申し上げますが、この手の事象は今じゃ日常。

不幸だったのは、年齢から察するにこういった合理化によるリストラに直面した
はじめて世代だったいうこと。

今の世代(特に氷河期以降)は、技術の
陳腐化による首切りなんて当たり前ととらえ、はじめからリスクヘッジしていますから。
(こう言った先輩方の事例を目の当たりにしてるもので)

大日本印刷ともあろう大企業ですと、おそらくそれなりの勤続年数あれば仮に4割賃金が減ってもある程度生活できると思います。できないのであれば元々の生活が贅沢かと。
(まぁ、右肩あがりの時代を生きて来たなら、なかなかこの辺りのリクスヘッジは考える必要が無かったのかも知れませんが)

ちなみに私は、初期の氷河期世代で
入社5年目にして、会社が合併し 「設計・開発部門」→ 「現場作業」に移動を命じられました。
(すぐに辞めましたが、そのままいたら
過労死してたかもしれません。技術者として誇りも何もあったもんじゃない)

それから10年以上経ちますが、
常にリスクヘッジを考え、最低賃金でも
生きていける精神を身につけました。
(実際の賃金は、人並みより若干下くらい)

まぁ、あまり楽しくない人生ですが、
過労死や破産に極力追い込まれることが
無いようにする手段だと思ってやり過ごしています。

あと忘れがちですが、この方は左遷を喰らって割りに合わないと思ってるかもしれませんが、もしかしたら元々そこで働いてた非正規雇用の方なんかが、この方の移動により切られてる可能性だってあるのです。

54歳か。60歳から年金でる世代なので
あと6年、年金払いつつ細々と生きていくことは出来なかったんだろうか。
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