2013年2月24日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「潜入! ウワサの現場」で記事
「キヤノン偽装請負事件〝劇的和解〟の報告集会に潜入!」
を企画、取材、執筆しました。
昨年の年も押し迫った12月21日、キヤノンの非正規労働者が会社を相手取った労働争議が急遽、和解した。通常、非正規の労働事件は、契約期限が切れた時点で、労働者としての地位を失うケースが多い。そのため、正社員同様に何年も働いていたのに、ある日突然、雇い止めに遭ったことを不服として裁判を起こしても、大抵は負ける。そんな中、キヤノンの事件では、なんと原告5人のうち2人は正社員として雇用し、残り3人についても相応の解決金を支払う、という勝訴判決に近い和解内容だった。
これは日本の労働史に残る事例といっていいかもしれない。その「キヤノン偽装請負争議 勝利報告集会」が2月3日、東京都千代田区内で開催された。主催はキヤノン非正規労働者組合を支える会。
原告たちは何を語るのか。それを知るため現地へ向かった。
会場は立食形式で約300人が参加していた。参加者は労働事件の裁判を起こしている組合員や、弁護士など、大半が関係者だった。テーブルには、ローストビーフや海の幸、山の幸、ビールなどが盛りだくさんだった。しかも参加費はゼロ円だった。カンパなどで細々と運営している団体が多い中で、破格の大盤振る舞いといっていい。この一事をみても、キヤノン事件の和解内容がいかに画期的で、めでたいことだったかを窺い知ることができよう。
そもそもこの事件の発端は、06年7月にさかのぼる。キヤノン宇都宮光学機器事業所で働いていた原告たちは、職場の休憩所にあった新聞に「偽装請負 製造業で横行 キヤノンや日立でも」という見出しの記事を読み、「自分たちの職場もこの記事とまったく同じ偽装請負だ」と気づいた。それが始まりだった。
その後、原告の1人、大野秀之氏が東京ユニオンという労組に相談し、職場の上司に、正社員にさせてほしい、と直談判したが、かなわなかった。そこで大野氏は、労働組合をつくり、団体交渉をすれば、会社のトップとも対等に渡り合えると考えて、同僚に声をかけ、7人で東京ユニオンに加盟した。
そして06年10月17日、栃木県労働局に、「偽装請負で長期間働かされている。正社員にするようにキヤノンに是正指導をしてください」と告発した。同日、キヤノン本社に行き、偽装請負の謝罪と正社員化を求める内容の手紙も渡した。この様子は、新聞やNHKの首都圏ニュースでも流れ、組合の存在を世に知らしめることとなった。翌年2月には、衆院の予算委員会公聴会で大野氏が、偽装請負の実態を訴えた。
同年9月12日には、栃木労働局が、キヤノンの就労は違法である、と認定し、是正指導するに至った。
この是正指導に対応する形で、キヤノンは組合員たちの所属する部署で働く請負契約者全83人に対し、最長2年11か月の期間社員として直接雇用を申し入れる、と発表した。しかし直接といっても期限付きである。そのことについて会社側は、年1回、正社員登用試験があるので挑戦してほしい、と言っていた。こうして直接雇用されたのも束の間、リーマンショック後の09年1月、キヤノンは希望退職者を募り、期間社員の大半を辞めさせた。残った組合員たちも、7か月後、契約打ち切りとなった。
最後まで残っていた組合員5人は同年6月、地位確認や損害賠償、謝罪を求め東京地裁に提訴。同年12月には、東京都労働委員会にも正社員の地位などを求める申し立てをした。なお、組合活動は、雇い止め前までは大野氏中心で、それ以降は、ほかの組合員たちの仕事や生活が厳しいため、組合員の阿久津真一氏が活動した。
こうして審議を重ね、冒頭の勝利判決に近い和解が成立した。当時、キヤノン側は広報を通し、「これ以上長く係争が続くと双方に無益と考えて和解した」とのコメントを出した。
こうして終結をみたキヤノン事件の原告たちは、集会の終わりの時間に近づき、宴もたけなわの席で、こう語った。
原告T氏は、「自分は最初、告発した時、仲のいい正社員から、話かけられることもなくなり、つらい思いをした時期もありました。その時、自分が告発したのが、正しかったのかどうか、わからなくて大分悩みました。ただ、そのなかで、組合の仲間たちが励ましてくれて、ここまでくることができました。今は、胸を張って自分たちのしてきたことが正しかったと思います」と語った。
原告N氏は、「この5人でなかったら、たぶん、途中で組合がなくなっていましたし、この5人で最後まで誰ひとり欠けることなく、続けられたことが自分の宝物です。たぶん、この5人との付き合いは一生、仲良く続くと思います」と述べた。
原告M氏は「やっと戦いに終止符を打つことができました。これから組合員の中でも5人、別々の人生を歩んでいくと思うのですが、この戦いを胸に刻み、別々の人生を、たまには飲んだりするかもしれませんが、歩んでいきたいと思います」と言った。
原告の大野氏は「キヤノンで告発して以来、色々な事がありましたが、何とか乗り越えられたのは、ここにいる多くの皆さまたちと、ここにいる5人とずっとがんばってこれたこと。今日という、この横断幕をみて、こういう日がくると、あの時から想像もできませんでした。そういうことが走馬灯のように浮かんできて、何を話していいかわからない状態なんですけど、本当にいえるのは、皆さまに対して感謝の気持ちだけです。本当にありがとうございました」と話した。
そして阿久津氏はこう語った。「解雇後は、組合を引っ張っていく役割を、私が担うことになりしたが、本当に、このような日がくるとは夢にも思いませんでした。提訴した時は、傍聴が大事だということで、知らない組合、聞いたこともないところに、色々頭を下げて傍聴席が埋まるのか、直前までドキドキして法廷で振り返ってみれば、たくさんの人にきていただいていた。見ず知らずの、赤の他人の自分たちに、こんなに多くの人に支援して頂いた。その時、人生のなかで、これほど人に感謝したことはありませんでした。なんとか今、その恩返しができる解決ができたと思います。本当に皆さん、ありがとうございました」と涙ぐみながら語った。
原告たちが話す間、会場は拍手喝さいだった。
キヤノン事件が、社会で横行する非正規社員の“被差別待遇”に一石を投じることを期待したい。(佐々木奎一)
写真は組合員たち。
そして、契約期間終了後には契約更新をしないとともに、キヤノンMJとキヤノンSSから、理由も告げずに1000人を順次、手取り15万円前後になる等級まで降格させ、解雇か夜勤かを選択させた。
更には、キヤノンからの工員への職種変更をともなう出向基準では、できない社員は引き受けないとのことのために、仕事ができる社員が通称「片道切符」で出向した。
通常のキヤノンMJやキヤノンSSやキヤノン間でよくある職種転換や出向とは異なり、家賃も自腹でだし、帰省費もでないし、最下位までの降格をともなう、解雇かどちからを選択しなければならないと命じられた上での職種転換である。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/company/1320450451/