2010年11月29日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「朝刊ピックアップ」で記事
「〝札束の山〟の跡に残った所有者不定の山林」
を企画、取材、執筆しました。
キーワードは「土地」…
27日付の産経新聞によると、北海道の山林を所有していることになっている900社以上の企業が音信不通で、所有者不明の状態になっているという。
こうした誰の所有かわからない森林は全国に膨大にある。
そもそも企業が森林を買い漁り始めたのは1960年代(昭和35年~昭和44年)からで、目的は公共事業の用地買収に絡む「投機」だった。
この流れに当初から危機感を抱き、警告し続けてきた人物がいた。
作家で歴史家の故・司馬遼太郎氏である。
司馬氏は「土地と日本人 対談集」(中央公論新社刊)でこう述べている。
「昭和三十年代の終りごろから、土地を公有化しなければ日本はどうにもならなくなるのではないかと思うようになりました。国民経済もめちゃめちゃになるし(略)自然は破壊されるし、町はきたなくなるし、公害というものが出てくるし、バスの停留所でかたまって待っている人々の顔に、かつての日本人の面差しにはなかった卑しさが出ている」。
「私を絶望的にさせたのは、国民総不動産屋の時代の代表のような人物が首相になり、列島改造案という、山林地主と土地投機業者だけをよろこばせるような政策ともいいえぬ政策をかかげ、右の傾向を極度に過熱化したことである」。
「土地の上に成立している政治、経済あるいは人文などの諸現象の生理は土地の病気をそのまま受けますから、異常が異常をかさねてゆく」
「戦後社会は、倫理をもふくめて土地問題によって崩壊する」。
「いずれ土地という泥舟といっしょに沈んでしまうでしょうけど、その泥舟に私ども日本中の人間が乗っているのだからやりきれない」。
司馬氏の洞察通り、日本はその後、土地バブル崩壊の憂き目をみて、失われた20年といわれるように、いまだに立ち直れていない。土地を正常化するにはどうすればよいのか。司馬氏はこう指摘している。
「まず山林の検地をしなければいかんと思います」
「国有地をも含めて山林を平場並みに測量して(略)余った分は(略)市町村なり国なりに公収するようにしたらどうか」
「産業家というのは、本来物をつくって売って利潤を得るだけでいい。これが大原則であるべきで、土地でもうけてはいけない」。