教会に近づくと、手前の新五輪教会と、その後ろの旧五輪教会の建物の輪郭が明らかになってきました。
新五輪教会は1985年に建てられた、正面に赤い煉瓦壁を設えたモダンな建物です。
そしてその横に、木造建築の旧五輪教会が佇んでいました。
ところで、旧五輪教会を訪問する時には事前連絡が求められます。
私は事前にメールで、訪問の許可を得ていましたので、建物に近づくと、インフォメーションセンターの方が出迎えてくれました。
そして丁寧に、潜伏キリシタン関連遺産である旧五輪教会の歴史と背景などの説明をしてくれました。
この旧五輪教会堂は他と異なり、教会内部も写真撮影が可能とのことで、説明を聞きながら、私はカメラのシャッターを押し続けました。
旧五輪教会は禁教が解けた1973年から僅か8年後の1881年に建てられ、初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定されたそうです。
教会内部の天井は、木材がアーチ型に組み合わされた構造を示しています。
センターの方の説明に因れば、この教会堂は船大工の手によって建てられたのだそうです。
再び天井を見上げ、さもありなんと思いました。
洋式の天井と異なり、窓は横へスライドさせる和式の引戸で、外側には雨戸が設けられていました。
内部は三つの廊に区切られ、左側の廊の先に赤い布で囲われた懺悔室が設けられています。
祭壇手前の柵に彫られた模様に気付いてレンズを向けていると、センターの方が、
「ここに彫られているのは小麦とブドウです。」
イエスが最後の晩餐の席でパンを取り、自分の体であると言って弟子たちに与え、杯を自分の血であると言って弟子たちに進めたことから、キリスト教ではパンとワインの原料である小麦とブドウが象徴的な意味を持つことを説明してくれました。
彼はキリスト教信者ではないそうですが、私の細部に及ぶ質問に、丁寧に答える真摯な態度がとても好ましい青年でした。
全ての説明が終わって、貴方の写真を撮らせてもらえないだろうか、と告げると、マスクを外し、カメラに顔を向けてくれました。
そうそう、これだけ丁寧な説明を頂けたのですが、料金などは一切請求されなかったことを、最後に付け加えておきます。
五島市にお金を落とすことが、彼の努力に報いることになるのかもしれません。
教会の外に出ると、2018年に長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたこと、久賀島の集落と旧五輪教会堂がその一部を成すことを説明するモニュメントが並んでいました。
車を停めた場所まで戻る途中、赤い落ち椿が、旧五輪教会堂を訪ねた今日の思い出を象徴するかのように、控えめながら、印象に残る色彩で私のあゆみを見送ってくれていました。