久賀島のレンタカー会社で借りた車がこれです。
近所のコンビニで配達などに使われている電動自動車と同じものです。
一回のレンタル料は3300円でした。
電動自動車の操作説明を受けるとすぐ、私は久賀湾沿いを北上する道を、五輪教会目指して走り始めていました。
やがて、北の方角に湾口を開く馬蹄形の島の、東の丘陵地を越えると、眼下に蕨の集落が見えてきました。
斜面だらけの島の僅かな平地に、寄り添うように民家が庇を並べていました。
道は蕨集落の横で、海岸線に沿って南下し、鬱蒼とした森が周囲を包み、道幅は一層細くなってゆきます。
それにしても予想通り、この道で事故でも起こしたら、すぐに助けに来てはくれないと考えたほうが良さそうです。
しかし、実は私は、こんな道が大好きなのです。
こんな道を走っていると、体中の全ての細胞にアドレナリンが染み渡るような充実感に満たされます。
但し、誤解なきようお断りしますが、暴走族ではないので、スピードは控えめです。
めったに来れる所ではないので、途中で何度も車を停めて、小雨に濡れる景色をカメラに納めました。
6~7㎞程も進んだ後「旧五輪教会来訪者駐車場」に車を停め、傘を片手に歩き出しました。
舗装された道を、更に数百メートル歩いた所に、車両進入禁止の看板が掲げられて、
そこから先は土の道が、海岸に向かって下ってゆきます。
道の周囲にキブシが、水に晒した木綿糸の色合いに花を飾っていました。
足元に名も知らぬ種類のアザミが、赤紫の花を茎先に掲げていました。
五島の島は既に、早春の息吹の中にあるようです。
海岸に下りて、波打ち際の堤防を進むと、
小さな入り江の岸に、五輪教会の姿が見えてきました。
2020年、五島の地域活性化を目指すプロジェクト「椿サポーター」に吉永小百合さんが就任したとき、旧五輪教会がお気に入りの場所と仰られたそうです。
振り返ると、さっき土の道を下りてきた、海に突き出た尾根の鼻が見えていました。
それにしても不思議な光景です。
先ほど目にした蕨集落から、森に包まれた道をかなり走って来た先の、小さな入り江の岸に、小さな教会が忽然と現れたのですから。
教会に近づくと、入り江に注ぐ小川の上流に、小高い尾根が見えて、小川の両岸は鬱蒼とした木立に包まれ、「九州自然歩道」の小道が心細げに藪の中に分け入ります。
この場所には教会以外、人の気配を感じさせるものが見当たりません。
もっとも、レンタカー会社の社長の説明に因れば、最盛期の久賀島の人口は昭和30年に3800人で、現在は300人だそうですから、現状からの印象で、潜伏キリシタンの生活を推察するのは間違いかもしれません。
しかし、禁教が解かれる以前の江戸時代、潜伏キリシタンがこの島に集落を作った頃は、更にもっともっと、人里から離れた、寂れた光景だったと思うのです。
福江港から直接水上タクシーで、五輪教会を訪ねる方法もありますが、手間暇かけて訪ねた、今回の五輪教会への道は、潜伏キリシタンを理解するための最善のルートだったかもしれません。