道路がトンネルに入る手前で旧道と思われる道が左へ、海岸線に沿って尾根の上に通じていました。
その道へハンドルを切ると眼下に、遠浅のビーチが海底まで白砂を敷き詰めていました。
このビーチが日本の海水浴場88選の「高浜海水浴場」のようです。
天気の良い日であれば、コバルトブルーに染まる海が見られたかもしれません。
海に突き出た尾根の先が展望所となっていて、魚籃観音が海を眺めていました。
東シナ海の大漁と航海安全を祈願して建立された観音像は、よく見ると、鯛の入った篭を手にしておられます。
目の前の海に嵯峨ノ島が見えていました。
嵯峨ノ島はJTBの『日本の秘境100選』に選ばれた島で、古くは遠島とよばれた流人の島で、平家の落人も住み、名は京都の嵯峨野に由来すると言われます。
この島には国指定無形文化財の「オーモンデー」という念仏踊があるそうですが、平成30年の人口は124人とのことで、人口は減り続けているようです。
右手に貝津港が望めました。この港から嵯峨ノ島へ一日4往復の定期船が出ており、15分で島に着くそうです。
右手奥に見えるのは京ノ岳(標高183m)で、山頂部に航空自衛隊の基地があって、長さ900mの滑走路が備わっているそうです、
貝津を過ぎた辺りで車は三井楽半島に入りました。
三井楽の渕ノ元カトリック墓碑群を目指し走っていると、民家の庭にハクモクレンが満開の花を咲かせていました。
サクラが楽しめる季節は、もう目の前です。
ハクモクレンを咲かせた民家の少し先で、スケアン (石干見漁法遺跡)を説明する掲示板を目にしました。
スケアンという言葉を初めて目にしました。
解説には、
「スケアン、スケ網(九州一円ではスキ)は、起源が数万年前と言われる原始的漁法の一つで、遠浅の海岸に石積を築き、潮の干満を利用して魚を獲る方法で石干見(いしひび)漁業とも言われる」と記されていました。
今は潮が満ちているので、目の前の海は石積がはっきりしませんが、この場所のスケアンは、高さ1~1.5mに積み上げた石塁が約80mにわたって入江を中断し、今でもミズイカ、スズキ、チヌ、イワシなどが撮れるそうです。
スケアンが設けられた入り江を回り込むと、白塔型の灯台が現れました。
高さ15mの三井楽長崎鼻灯台で、昭和52年3月に初点灯されたそうです。
九州自然歩道案内板の地図を借りて示すと、赤い矢印が現在地で、この先の海岸線は国の名勝に指定されています。
そして、海岸沿いに「夕映えの路」と名付けられた九州自然歩道が伸び、
その先の荒涼とした景色の中に「渕ノ元カトリック墓碑群」が佇んでいました。
振り返る景色の中に、嵯峨ノ島が見えますが、周囲に人の気配を感じさせるものは何もありません。
迫害を逃れきたキリシタン達は、花咲く郷と異なる茫々たるこの場所を、生涯の最後の最後に、誰にも煩わされぬ平安の地とすることを定めたのだろうと思えるのです。
周囲には、海風に痛め付けられながら地を這う樹と枯れ草に覆われた荒野が広がっていました。