中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)158 「東京中心部南 640」 赤坂界隈

2021-07-10 16:38:47 | 東京中心 南

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

赤坂 (東京都港区)

東京都港区のうち、旧赤坂区の範囲に当たる、赤坂総合支所(赤坂4-18-13、郵便番号:107-8516)の管轄下になる区域を赤坂地区と呼ぶ。赤坂一丁目 - 九丁目、北青山一丁目 - 三丁目、南青山一丁目 - 七丁目、元赤坂一丁目・二丁目が属する。

歴史[編集]

地名の由来は、紀伊国坂赤土が多い土壌に幾多の坂があることの二説ある。

紀伊国坂説はまた、この赤坂の地は古くは『茜坂』と呼ばれていて、その名の通り茜草が群生していた赤根山へ上る坂(現在の紀伊国坂)を茜坂と呼んでいたのが赤坂に転訛したというものと、染物屋が坂に赤いを干したことからの二説がある。

1567年に人継村(ひとつぎむら)が開拓される。

赤坂の地名は中世以前には見られず、江戸時代初期に発祥したと考えられ[5]、現在の元赤坂付近に町屋、武家屋敷が造られたのを皮切りに次第に市街化していくが、寛永年間に建てられた江戸城の門が地元の小字から「赤坂御門」と呼ばれるようになり、ここから赤坂が一帯の地名になったと考えられている[6]

明治時代に入り、1878年郡区町村編制法により、この地区は東京15区の一つ、赤坂区の一部となった(港区の前身。その範囲はおおむね港区の北-西部。今日「赤坂」あるいは「青山」を町名に含む地区)。かつて、多くの大名屋敷や旗本屋敷が存在した高台の地域は官吏や軍人、ブルジョワ家庭からなる都心部有数の邸宅街へと発展。それらの地域以外は庶民の住宅街、個人商店、高級料亭旅館などが密生していった。

1950年代後半から1980年頃までの赤坂は銀座と並ぶ高級な繁華街として栄華を極め、高級料亭、キャバレーナイトクラブ、ゴーゴークラブなどが多く集まっていた。欧米諸国の企業および大使館の駐在員や同じく欧米諸国のスチュワーデスが常宿していた高級ホテルが至近だったこと、そして当時の東京と周辺には米軍住宅が多かったこと、さらに1ドル360-310円だったこともあいまって外堀通りを挟んだ永田町2丁目を含めレストランシアターのミカド、ナイトクラブのコパカバーナニューラテンクォーター中華料理の山王飯店、ロシア料理のマノス、ゴーゴークラブのムゲン、ビブロスなどには外国人客が多かった。また、アマンドやトップス&サクソンにはTBSやレコード会社に出入りする芸能人、ファッションモデル、文化人などが多く、街は華やかさを呈していた。

 

 

 

 


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