砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

限りある愛

2023-03-03 17:21:27 | 日記
疲れているので断片的な話をぱらぱらと。
急な話で恐縮ですが、愛に限りがないのは神や仏だけなんだろうな、と思います。
キリスト教の神が与える愛は「無償の愛」「アガペー」と言われますよね、英語だとunconditional loveだそうです。無条件の愛。どんな状態でも愛してくれるわけです。人間の家庭だとそうはいかないよね。シンナー吸ったりアル中になったり、はたまた不貞を働いたりすると愛は確実に損なわれていく。

仏教でも「阿弥陀仏(阿弥陀如来)」という仏が、主に大乗仏教系で信仰の対象となっています。阿弥陀仏は、サンスクリット語でアミターユス(無限の寿命を持つ者)とアミターバ(無限の光明を持つ者)として表されるらしいのです。たとえ人間が輪廻をぐるぐる廻っているあいだでも、阿弥陀仏はずっと光を与えてくれる。そういう存在として信仰されたようです。人間には決して真似できない芸当ですね、限界がありますから。皆死にますから。

ちょっと前に研修会に参加して。そこで、ある男性の方が「人間が誰かに与えられる愛って限りがあると思っていて」と発言されていたのがずっと記憶に残っています。だから何だって話ですけど。
いろんなことに関心や興味を持つのもいいけど、どこかに限界があって。
取捨選択をしていかなくては、と思う次第です。


人間の有限性、限界について考える日々です(なんでそんなことばかり考えているんだろうか、死期が近いわけではないのですが)。
昨今もてはやされているケアの概念やアンガーマネジメントもなあ。
最近ではスマホのアプリでAIによるカウンセリングを受けられたリ、CBTが受けられたりするみたいです。色々と開発されていくのはいいんだけれども、人間は社会的動物であり、他者とつながることでしか回復しない面があると思うけど、他者が開発したAIに委ねられるというのも皮肉なものですね。

大半の人はそれでいいのかもしれないけど、どうしたってそこから外れていく人もいるよなあ…と思ったり。
某ひ〇ゆきから「なんかそういうデータとかってあるんですか?」と言われたら、こちらは「ぐぬぬ…」と呻きながら憤死していくしかありませんが…。基礎系の心理の方に頑張ってもらいたいところです、私はSPSSを操作しようとすると目がつぶれる呪いにかかってしまっているので…。


先日ラジオを聴いていたとき、エルレガーデンの「風の日」という曲を初めて通して聴きました。
部分的に聞いたことはあるけど、ちゃんと聴いたのは初めてで。
すごくいい曲でした。もちろん音楽もいいんですけど、歌詞がすっと身体にしみ込んでくる感覚があって。天気が変わるように、どうしようもなく周囲の環境に振り回されていく私たち。どうしたって影響を受けざるを得ない。ふとそういう自分を、有限性のある存在を意識しました。

最近、漱石の『草枕』を読んでいます。
冒頭の「とかく人の世は住みにくい」で有名な小説です。確か『坊ちゃん』の次あたりで書いた作品です。この辺から『虞美人草』までは、頭でっかちな文章が多いですね。本作でも絵描きである主人公が、ああでもないこうでもないと、詩作や美学について思い巡らせているのを見て「なんだこいつ?」と思ってしまいます。
イギリスの詩人の作品を諳んじている箇所は知識をひけらかしているように見えるし、目の前の熊本の景色を眺めつつ芸術とは…と小難しく考えている箇所は「いい気なもんだよ。この高等遊民が!」と詰りたくなります。

しかしながら。
そう感じるのは自分に余裕が無いせいでは?と思ったり。
話が冒頭に戻ってきますが、私自身の限界もあり、興味を持てること、学びたいこと、関わりたい人…注げる熱には限りがあります。何かを切り捨てたいわけじゃないけれども、やはり選ばざるを得ない状況があります。
そういえば、昔通っていた下北沢のおじさんからもそんなことを言われた気がするな、あのおじさん元気かしら。


そう、人生は有限。
一生懸命仕事している場合じゃないんです。
そう思った私はやおら仕事をさぼりはじめ、こうしてインターネットの大海に文章を投棄するのでありました。
めでたしめでたし。