砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

池内紀「カフカの生涯」

2018-03-24 20:21:13 | 


・・ログ・・・ウッ
・・・・更・・・更新・・あ、頭がッ・・・!!



そんなわけで久しぶりの更新となります。春ですね。
春といったらアレですよね、えーとなんだその...春的な何かですよね!!!!(年度末で疲れてます)


さて本日紹介するのは伝記です、池内紀による『カフカの生涯』。
先日プラハに行きました。そこでカフカミュージアムに行き、展示が印象的だったのです。あとスタッフのおばあさんも、こちらが日本人だとわかるやいないや「オハヨウコンニチハ、コンバンハアリガトウ、アケマシテオメデトゴザイマス!」と話しかけてきて(しかもこちらのリアクションをまったく省みず)、その姿が非常に印象的だったのです。
いかにもカフカの小説に出てきそうなおばあさんでした。そんなわけでチェコの偉大なる作家、フランツ・カフカの人生をたどってみたくなり、手に取ったのがこの1冊です。


こちらがカフカミュージアム、入口にある大きなKの文字がオシャレ。ちなみにミュージアムの前には立小便をしている成人男性の像が向かい合うように配置されており、そちらは全くオシャレではありません。なぜ作ろうと思ったのか。不条理を身をもって体験させるためでしょうか。

この本に話を戻します。
カフカの人生も大変興味深いのですが、この『カフカの生涯』は文章そのものが時に文学的で、とても面白い、いきいきしています。いわゆる「伝記」にありがちな事実の羅列、出来事の時系列だけでなく、随所に挿入して紹介される時代背景や当時の文化、生活に割り込んでくる戦争のエピソード、ユダヤ人を巡る複雑な状況。そういったことがきれいに整理されて描かれています。カフカについて、筆者独自の「推理」や「思索」も織り交ぜられていて、ある部分では「伝記」というより「小説」に近いものを感じる。さすが、白水Uブックスでカフカの翻訳をすべて担当している筆者。読み応えがあります。

この本から浮かび上がるカフカの人物像について。彼は物静かで、理知的ありながらも空想的な人物でした。就活で苦労した末、保険協会でせっせと働きながら、自分の命を削ってでも作家業に取り組んでいます。そして女性関係ではあれこれと揉め事が多かった。揉めるといっても浮気や不倫など、複数の女性と関係を持っていたわけではありません。むしろ一人の女性に対して非常に情熱的でした。そして奇妙とも思えるくらいに筆まめで、1日に2通も3通も手紙を送っていました、朝送って昼送って夕方送っていました。慣れるまで、相手はかなりビビったのではないでしょうか…。
では一体何に揉めていたのか?それは交際が進展して相手が結婚の話に触れると―いわば「現実」を突きつけてくると―カフカが一気に及び腰になってしまうことでした。「直接会って話をしたい」という相手の誘いを「ちょっと都合が...」と先延ばしにしたり、「今は行くつもりだけど行けないかもしれないから」「来なくても失望しないでほしい」と保険をかけるように伝えたり(さすが保険協会の職員!)。果ては結婚相手として自分がいかに向いていないか、たぐい稀なる文才で滾々と説得しています。交際相手の友達にも伝えるし、相手の親にも手紙を送ります―自分は結婚するのはやぶさかではないが云々、結婚相手としてはふさわしくないし他の男性の方がいいのではないか云々―何したいんだお前は、と言いたくなりますね、カフカのお茶目さが伝わってきます。

彼自身に気持ちの浮き沈みもあったのでしょう。文通の最初はとても控えめ、回りくどくて何が言いたいのかわからない「官僚的」な手紙ですが、2回、3回と回数を重ねていくうちに、途端に文章に熱がこもっていきます、頻度も増えます。そしてその内容はかなり浮足立っているようにも感じられる。でも実際に結婚の話になると、熱が速やかに冷めていく。そういったことが、一種の病理なんじゃないか?と思えるくらいに、何人もの女性との間で繰り広げられます。それはなぜなのか?
結婚することで作家業に打ち込めなくなるのも厭だったのでしょうが(かなり無理して時間を捻出していたので)、女性と結婚することに伴う「現実性」が恐ろしかったのではないか、とも思います。「自分はこうやって生きていかなきゃならない」「この現実を受け入れていくしかない」といった現実性、限界性が。だからこそ彼の小説はリアリズムの手法を取らなかった、現実離れしたようなことが描かれているのかもしれません。ちなみに小説のなかでも女性と懇ろになりそうなシーンも描かれますが、結局ちゃんと結びつくことはないのです。キスしそうでやめる、いい感じのところで邪魔が入る、そういった描写もスリリングで面白いですよね。


不条理文学と言われる彼の作品ですが、実生活が小説のベースとなっていた部分もあると紹介されています。短編「バケツの騎士」では、石炭を入れるバケツにまたがって空を飛んでいく、荒唐無稽な展開です。しかし書き出しの部分、石炭が切れて部屋がめちゃくちゃ寒い、というのは第1次世界大戦後の彼の暮らしぶりをありのままに描いています。「断食芸人」でも、カフカが口頭結核になり食事がほとんど喉を通らなくなったことが影響していたのでしょう、どうしても物が食えない辛さが語られます。

彼の作品は、きっと多くの作家に影響を与えたのだと思います。「カフカの最大の特徴は、センテンスが変わると次に何が起こるか予想がつかないにところにある」と小説家の保坂和志は述べていますし、保坂は『カフカ式練習帳』といった短編集も出しています。そして村上春樹は『海辺のカフカ』という長編を書いていますし、『騎士団長殺し』でも「フランツ・カフカは坂道を愛していた」という逸話が語られます。長嶋有(ブルボン小林)も、何かのエッセーでカフカの『アメリカ』について触れていました。やっぱりタイトルは改定後の『失踪者』よりも『アメリカ』の方がしっくりくる、と。えーと、あとは誰かいるかな。まぁ多分いるでしょう、いるよ、私、見たんだよ...この目で...。


この伝記を読んで思うのは、カフカが実に多くの人から愛されていたということ。両親(特に父親)とは価値観が合わなくて苦悶したようですが、妹たちからは強く愛されていました(妹たちは、のちにアウシュヴィッツ収容所で亡くなります)。そしてカフカの遺稿を託された、大学依頼の友人マックス・ブロート。彼がいなければカフカの多くの作品は世に出なかったはず。あるいは小学校以来の友人であるフーゴ・ベルクマン。彼の影響で、カフカはフローベールなど多くの作家に親しみました。
そして多くの女性―カフカの送った大量の手紙を大切に保管していた恋人たち。初めに婚約した女性であるフェリーツェ、そしてユーリエ、ミレナ、ドーラ。彼女たちが手紙を取っていたから、カフカの姿が今でもこうして描かれ、伝記が非常に魅力に満ちたものになったわけです。これだけの手紙が保管されていたこと。彼がどれほど愛されていたかを物語っているのではないかと思います。
カフカ本人がどこまで自覚していたかはわかりませんが、冷徹で不条理に満ちた彼の作品の背後には、数多くの愛があったのだと私は思います。そう思うと、カフカを違った視点から読み返したくなりますよね。一番好きなのは『審判』ですが、現在は一度挫折した『城』を読んでいます。




というわけで城の画像を。プラハの城は、それはもうたいへん美しいものでした。カフカの『城』とは大違いでした。だってちゃんとたどり着けるもの。入ろうとして「だめだ、許可がないとだめだ」とか言われないもの。