染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

映画「人生フルーツ」をみてきた。

2017-04-14 12:02:06 | 日々の政治・哲学
映画「人生フルーツ」をみてきた。横浜の映画館ジャックアンドベティでやっている、と教えてもらったのだ。4/21までは、やっている。夜遅いけど。

映画が終わったら、友人がいたのでびっくり!

図書館に、人生フルーツの主人公、津端夫婦の本を借りに行ったら、117人待ちという本もあるのですと。ひゃー。

友人が、二人の本「きらりと、おしゃれ―キッチンガーデンのある暮らし―」(ミネルヴァ書房新書、1070円)を買ってきてくれた。

津端英子さんの個性炸裂である。紀伊國屋(スーパー)。「良い食品を作る会」のこと。1928年生まれだから、私の母に近い年。戦後、良い食べものを家族に食べさせたい、と頑張った世代だ。
「人生フルーツ」については、また書く。
私が一番感心したのは、修一さんが、終戦直後厚木飛行場にいて、そこで、台湾の少年たちと親交があった、というところ!!


本が何冊も出ているので、映画が見られなくても、読んでみるといいと思った。津端英子(つばたひでこ)、津端修一(しゅういち)で検索を。

写真は中国の小さい急須で紅茶を淹れたところ。そばチョコカップ(現代のもの)、挽き肉と玉ねぎ、ニンジン、卵炒め。あとパン、ヨーグルト(スキムミルクで作った)
追記。
映画では、津端修一さんは、終戦直後、厚木飛行場にいて、マッカーサーが降りてくるときに立ち合ったようだ。飛行場の設計をしていたという。(映画の中、津端家の風見鶏は、飛行機の形だった)

修一さんは、台湾の少年たちと同じ屋根の下で寝泊まりして親しくしていたという。

津端夫婦の本が、台湾で出版されることになり、夫妻は台湾に行く。
昔厚木飛行場であった台湾の少年だったらしい人々がでてくる。修一さんに「津端」のはんこを作ってくれた少年は、早くに死んでいた。その墓参りもしてくる。

実は!
今年の2月、神奈川県大和市に「梅見」に行った。梅を見ながら、朱色の「あずまや」のような建物があるのを発見。詳しく見ると、戦争中、厚木飛行場に来ていた台湾の少年たちが、後に記念として建てたものだった。
日陰の、あまり風景のよくないところになけやりに建っていたが。
こんなゆくたてがあったのだなあ、と思ったことだった。
携帯に写真が入っていた!

「あずまやのような建物」は、「台湾亭」というのだそうだ。台湾の少年たちが、また大和市・綾瀬市(厚木飛行場はこの2市に及んでいる)を訪問することがあったのだなあ。

2月に撮った写真を添付しておく。



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