副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

いつもの私のセリフ「日本人は馬鹿じゃないですよ」

2011-02-07 08:05:24 | Weblog
WEB入口は、阿修羅掲示板。(asyura.com)一粒万倍日。来訪者様に感謝。
私のブログタイトル「朝鮮半島での戦争はない」を、2010-12-20日に書きました。
そこにコメントをいただきました。
コメントの内容を、調べるために紹介するのを時間を置いてみました。
2月6日、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙、名古屋市議会解散の是非の投票がありました。
愛知県知事に大村秀章氏、名古屋市長に河村たかし氏。議会解散を賛成。
コメントにある

>世界観とは、自分がどのような世界に住みたいかという、非現実的な内容である。

愛知県市民は、上記の意思表示が出来なかったのだろうか。
私には少なくとも、宣伝に踊らない、自分で考える、市民が存在していたと、考えます。

いつもの私のセリフ「日本人は馬鹿じゃないですよ」

紹介するコメント
朝鮮半島での戦争はない 2010-12-20 17:25:20 | Weblog
Japanese leader (noga)
2010-12-29 10:53:53
日本の政治指導者は、民衆の感情をたきつけて自己の勢力を得ようとする。
民衆の感情が自己の力である。民衆が理性を取り戻すことを呼びかける者ではない。
感性あって、理性なし。指導者は、ブレーキの効かない機関車の役割を果たしている。

「理解」という日本語は、首を縦にふることであって、話の筋を把握することではない。
だから、理解しているにも拘わらず反対であるというと意味がわからなくなる。
国民の理解を求めるとは、あくまでも肯定せよということである。
一種の「長いものには、巻かれろ」という指導者の要求でもある。
決して民衆の理性に訴えるものではない。

理性のない民が問題である。国を危険にさらすのである。このことは、今も昔も変わらない。

リーズン (理性・理由・適当) の理解は、日本人にとって難しい。
それは、日本人が世界観を持たないことに関係がある。
世界観とは、自分がどのような世界に住みたいかという、非現実的な内容である。
自分が見たくもなく、聞きたくもなく、話したくもない内容の存在しない世界は、一体どのようなものであるかということである。
このような内容を持ち合わせていないならば、憲法を含む基本法の改正など思いもよらない。

日本語には時制がない。だから、日本語脳は、現実とは違った別世界の内容を考察するのには都合良くできていない。
日本人は、考えの上であっても現実の世界を脱出できない。
世界観の代わりに「世の中は、、、、」の内容を考えている。
「人をなぜ殺していけないのか」の問いには、「それは、自分が殺されたくないからだ」と答えることになっている。
もしも、自分が殺されないのであれば、その時の基準はどうなるのであろうか。
恣意の世界の自由主義 (自由の履き違え) になるのであろうか。

現実の内容と非現実の内容を区別することなく語れば、それは空理空論となる。
これは、日本流高等教育の行き着く先でもある。卒業生は曲学阿世の人になる。
現実を離れた問答ができなければ、人間は、子供かアニマルのようになる。
これは、昔マッカーサが観察した姿の日本人と同じである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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