副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

めざめよ! 日本人。 外人から見た日本のマスコミ

2008-07-21 07:02:23 | Weblog
一粒万倍日。阿修羅への投稿の紹介です。近藤勇さんに感謝。来訪者に感謝。
めざめよ! 日本人。外人から見た日本のマスコミは、みんなモノマネ。白痴にされているぞ。

ここから紹介です。
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日本のマスコミ、物まねオウムに過ぎないのか ~外人たる僕の目から見た日本マスコミ~
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/363.html
投稿者 近藤勇 日時 2008 年 7 月 19 日 07:10:27: 4YWyPg6pohsqI

Tuesday, June 17, 2008
日本のマスコミ、物まねオウムに過ぎないのか ~外人たる僕の目から見た日本マスコミ~
http://www.beholdmyswarthyface.com/


【修辞学。レッスン1: 反米感情を煽ること】

              例A:

文学の専門で政治問題はあまり自分の研究に直接の関係がないと去年まで思ってきた私だが、今年元日から日本の新聞を毎朝読むと決心し、この三ヶ月で気づいたことは山々ある。左から右への広い範囲でのさまざまな新聞を読むことで、マスコミ全体が少し見えてくるだろうと期待して、一週間毎に違う新聞を読んだ。

例えば、一方の極端から他方の極端へと変えて行き、先週は『赤旗新聞』だったとすれば、今週は『朝日新聞』を読んで、そして来週からは『讀賣』で再来週からは『産経』、とした。この循環を何度も繰り返せば、たいてい日本マスコミの傾向が分かってくるだろうと期待していた。何がタブーなのか、情報や表現の自由はどの程度か、これらの疑問点が少しずつ解けていくことを目指したわけである。

そしてちょうど三カ月がたった今、この期間で気づいたことを以下に述べる。

第一。『産経』にせよ『朝日』にせよ、国際ニュースにおいては、何の変わりもなきに等しいことに気づいた。『赤旗新聞』を除き、どの新聞も大体同じ内容で、何らかの相違があるとしても、それは国内問題に関する社説などに限られている。誰かに命令が下されているかのように、国際や米国に関しての報道は、必ずアメリカのマスコミと一致する。ボスニア内戦、イラク侵略戦争、チベット対中国の紛争、イスラエルのパレスチナ占領、アメリカの日本永久占領、あるいはアメリカの世界諸国への介入などの問題の扱いに見られるように、すべての国際問題に関して、日本マスコミの表現や見解は、なぜか必ず米国マスコミと一致するのである(この事実は、もちろん自分の発見ではないが)。

これは確かに偶然ではない。十年ほど前の『ニューヨーク・タイムズ』が暴露した記事で、戦後の日本では、米国のCIA(中央情報局)から資金援助を受ける見返りとして、自民党はマスコミ報道機関の自由を制限すると約束したことが分かった。 その記事によると、自民党が50年代から70年代までずっと資金援助を受け続けていたが、それ以来は受けていない。にもかかわらず、当時からの思想取り締りが未だに残っているのは一体なぜか。

この一貫した世界観はどこから生まれるか。情報の出所を探れば、きっと『ニューヨーク・タイムズ』や『ウォール・ストリート・ジャーナル』に辿りつくだろう。大ざっぱな言い方かもしれないが、諸親米国の世界観は、この二つの大規模な通信社で製造されているように見える。そしてそこで作られた物語が多くの通信社に送られ、世界中に広がっていく。

例えば、一昨日の『ニューヨーク・タイムズ』で、五年前の今日から始まったイラク戦争を振り返り米国や世界が何を習うべきか、という記事が掲載された。その翌日、予想通りに日本の主流の諸新聞が、それと全く同じ内容の社説を繰り返し掲載した。追加や日本人の立場からの解釈などは一切無い。

よって日本のマスコミのジャーナリストたちは、米国マスコミの直訳者に過ぎないのか、という疑問が否応なしにますます高まっていく。昨日、日本のどの新聞を読んでも、内容は『ニューヨーク・タイムズ』の社説担当記者たち、すなわち新保守派(NEOCON)の、デビッド・ブルックス、リチャード・パール、ジョン・バーンズなど最も熱烈なイラク戦争主戦論者たちが書いた内容と全く同様だった。NHKニュースに出た「政治専門家」と呼ばれる人の分析にも何の違いもなかった。

昨日見たのは、『産経新聞』の「イラク戦争開始五年、習うべきことは何か」だった。まず、アメリカは万能ではない、そして、イラクの国民に対する責任をしっかりと持つ、責任をもつからこそ撤退するわけにはいかない、という主張だった。イラクの国民を裏切ってはならない、という理由を付けて(イラク国民が米国に裏切られたことがないかのように)米軍撤退を拒む。これは一昨日の『ニューヨーク・タイムズ』と同じ主張だ。こういう理屈は、まさにフランスがアルジェリアから、または40年前の米国がベトナムから撤退することを渋った時を彷彿とさせる。帝国主義者の常套手段だ。撤退したらあいつらが混乱状態に陥るから、我らが壊したこの国を救済するために残るのだ、と。

そしてこの『産経』の記事は最後に、占領以来、方針に誤りがあったことを認めなければならない、と主張している。『タイムズ』と同様に、この戦争はそもそも正しかったのか間違っていたのか、犯罪だったのではないか、などという根本的な批判は一切回避。
この米国から渡された物語によれば、侵略したことは当然正しかったが、もう少しイラク国民に抵抗するのを控えてほしかった、というのである。

要するに、テレビも含めて日本の多くのマスコミが報道していることは、アメリカのマスコミや国務省報道官からの発言そのままだ。日本人には分析力、解釈力、自立性は全くないかのようである。

日本の政治やマスコミの問題を巡って、日本の皆さんに改めて慎重に検討してほしい。