里山の野草と花木 宮城県北トレッキング

宮城県北部の山野を歩き回り、季節ごとの草花や果実を撮影し、その特徴や自生地の環境等について記録する。

金糞 たたら製鉄の鉱滓

2017-03-19 | 日記
本吉町の馬籠川中流域で川沿いを歩いていると、砂礫の堆積した川原があった
ので、どんな種類の石があるのか調べていると、凹凸だらけの黒い石がポツポツ
と見つかります。大きさはアサリくらいの小さなものから、大きなもので拳くらい。
印象としては隕石、或いは火山ガラスのようで、これは金糞(カナクソ)と呼ばれる
鉱滓(コウサイ)ですね。金属冶金の業界では、スラグと呼ぶようです。


                                 2016. 1.28撮影

金糞があるということは、かつて上流で「たたら製鉄」が行われていた証で、川近くの
製鉄跡地から、大雨の際に流されて来たものと推測されます。
たたら製鉄とは何でしょう ?
たたら製鉄の歴史や、製鉄炉の構造を簡単に記した記事がありましたので、
下に貼り付けます。


                                 2016. 1.28撮影

たたら製鉄は、粘土でつくった箱の形をした低い炉に、原料の砂鉄と還元のための木炭を入れて、
風を送り、鉄を取り出す日本古来からの鉄を作る技術です。
6世紀後半(古墳時代後期)に朝鮮半島から伝えられ、江戸時代中期に技術的に完成しました。

昼夜にわたる鉄づくり(現在行われている日刀保たたらでは)砂鉄を集めて、炭を作り、
炉を作ってから操業が始まります。 炉の下から風を送りながら、木炭と砂鉄をかわるがわる
入れます。時間がたつとともに、砂鉄は還元され鉄になります。
さらに炭素を吸収してズクが炉の下の穴から流れ出ます。そして最後にケラができます。
1回の操業は、3昼夜、約70時間にもおよび、 炉の壁が侵食されて薄くなり、耐えられなく
なったところで終了します。炉の壁の成分と砂鉄が反応して生まれたフロ(スラグ)」は、 鉄の
不純物を取り除き、再酸化を防ぐ役割をします。



            たたら製鉄(日刀保たたら)より

かつて伊達藩では盛んにたたら製鉄が行われていて、製鉄作業場を烔屋(どうや)と
呼んだようです。烔屋は岩手県南から宮城県北部にかけての、南部北上山地で広く
稼行されていて、江戸時代においては、伊達や南部の鉄は出雲と並び称されるほど
だったと言われています。上流の馬籠地区もたたら製鉄が盛んだった地域です。
製鉄原料の木炭は周辺の山地から得られますが、砂鉄はどこで産出されたのでしょう。
本吉町あたりは頁岩などの堆積岩が殆どで、砂鉄の元となる火成岩は多くはありません。
一関市室根町とか、同藤沢町北東部には花崗岩や閃緑岩が分布していますので、
それらの地域で採取した砂鉄を、牛馬の背に載せて運んだものと推測されます。
小泉海岸で浜砂鉄が採れた可能性もありますね。


                                 2016.1.28撮影

かつての馬籠集落は、高い製鉄技術を有した佐藤一族の本拠地でした。
当時、製鉄の最先端地であった出雲で技術習得し、それを持ち帰ってから更に改良を
加え、周辺の山地で烔屋を経営しました。
藩の要請によるものか、領内各地や他藩の烔屋の技術指導にもあたったようです。

当時の烔屋は恒久的な製鉄所ではなかったようで、周辺の山の木々を伐り尽して
木炭が得られなくなると、別の山に移動して新たな烔屋を築いたようです。
数年ごとの移動があったと推測されますから、比較的小規模な施設だったのでしょう。
そんな事情から、各地に烔屋跡が残されています。
なお、一関市大東町大原地区に「たたら製鉄炉」が復元され、毎年製鉄が行われて
いるようです。




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