広島の乱読ジジイ

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自分の親父について

2006年11月01日 | 人間
[ 親不孝 ](自分の父親について)

オヤジが亡くなってから もうすぐ17年になる
死んでしまっても当分の間、実感はなく乗っていた水色の軽トラックを見ると
「こんな所で何やっているんだろう」と思ったものです

先日、現場で昔の知り合い、屋根職人さんに合いました、ホント偶然でオヤジが死んでからも1度も会ったことは無く、凄く懐かしかった。
その職人さんが「あんた所のオヤジさんには世話になったよな~」
「いい人だったで、な~」と言われました。
そうか、オヤジを覚えてくれている人がいるんだ、嬉しいな、懐かしいな。
昼ご飯を食べるために敷いた、ブルーシートに座り込み、その頃の話しをして。
元気で何よりだと笑い会ってコンビニで買ったむすびを食べたんです。

オヤジは外面がいい人で、いっぱい仲の良い職人さんたちが居たなと思いだした。
(家族は放っておかれたような気がする)
オヤジは仮にも「大工の棟梁」で、下請けの仕事はしたことがない。
言ってみれば、請け負った仕事については1番の責任者であり、腹をくくって命がけの仕事をしていたと言っても決して言い過ぎじゃないと、今さら感じる。

私はサラリーマンであり、社員だから会社の責任者ではない、重さが違うのかも知れない、でも、自分が契約した建物の1番の責任は、自分にあると感じる。
心意気だけはサラリーマンでは居られない。
オヤジが教えてくれたことは、今でも生き続けている。

「自分は何でも出来るよ」とオヤジに言って事があるんですが、なんと無意味な言葉だったんだろうかと、今更思い出してしまう。
本当に親不孝な人間です。

自分が死んでしまって、この世に欠片さえ無くなった時に、家を建ててくれた人、家造りに関わった人に少しでも自分の事を、覚えていてもらえるだろうか?
仕事としての家造り、決して職業と言うことでは無く、数十年経った後で思い出してもらえるだろうか、、

オヤジが生きていたら、自慢したい家も有るし、見せてやりたい現場もある、でも、オヤジが亡くなって、こんなに年月が経って自分が歳を取っても「まだ越えられない」と思う。

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