広島の乱読ジジイ

日々色々Blog https://kurookahaiku.muragon.com/entry/7.html

更新をさぼっていました(最近の状況)

2009年07月14日 | ふと考えた
ブログの更新をずっとさぼっていました!!

ここ最近、と言うか春先から 仕事がやっと忙しくなってきました。
昨年の秋から不景気の嵐が吹き荒れ、どうなることやらと言う経済情勢の中ですが、やっぱり家が欲しいという方が増えてきたようです。
業種によっては、まだまだという感じかも知れませんが、全体的には底を打った感があり。 これ以上の悪化はなく、ここで考えれば失敗はないという感じなんだと思います。

なのでやっと自分も余裕が出来たので しっかり更新していきます。

民営化の嘘

2007年09月30日 | ふと考えた
過疎の郵便局続々閉鎖、受託の農協が撤退…民営化で競合(読売新聞) - goo ニュース

民営化すると、利益が望めない事は打ち切ってしまうのが、常識です。

小泉内閣が「民営化することでサービスが向上する」と言っていた「嘘」は今現実として現れてきました。

国民にとって重要なインフラをアメリカの圧力で民営化するのはいかがかと思った。
「郵便配達部門」を「金融部門」と切り離さなければ、郵便局の廃止も考えなくて済んだはずだし、過疎地の局も廃止しないで済んだはず。

儲かっている側のエゴではないかと思う。
年金の破綻も無駄金を使った、政治家と役人のエゴ、しかも責任すら取るつもりもない。

国民は今日も、救われないな~ と 感じる

何というか ひどい世の中です

2007年09月13日 | ふと考えた
安倍首相、辞意表明 「私が残ることが障害に」「党首会談を断られ」(gooニュース) - goo ニュース

動でも良いけど、マスコミというのは酷い物です。
民意と言いながら、国民の意見を聞く前に煽動してしまう。

ニュースでは事実をそのまま報道して欲しいのに、BGMさえ付けてまるで面白いこと、或いは不気味なことのように、TVで流し続ける。
(政治問題も、殺人事件も)

特に今回の安部総理に対する報道については、行き過ぎなのではないかと感じる部分が多い。
担ぐだけ担いでおいて、いったん総理になったら、批判しまくる、私は安部総理を支持するとか、しないとかと言う立場ではないが、一国の総理に対する態度ではないといたく感じる。

政治家同士がつぶし合いをするのは、仕方ないけれど(馬鹿馬鹿しいことだ)民意をタテにしているが、実は民意を煽動しているとしか思えないのである。

どうにも仕方のない自体だが、おそらく総理を本気でやりたい政治家が居るのだろうか?
現時点では、福田さんが現在の自民党では一番適任だと思う。
小泉さんはあまりにも酷く、いい加減な政治家だからとても期待できないし、麻生さんの本音は今すぐにはやりたくないと言うのが本音かもしれない。
(麻生さんは個人的には全く嫌いだ)

で、小沢さんは自衛隊の補給活動をどうするのか?
 今回のことで、落としどころを無くしてしまった様な気もするので、その点は興味津々。

自民も民主も、金儲けの政治は辞めて欲しい。
その他の、雑魚のような党は解体するべきだと思う。
良い悪いは取りあえず、ほっといて、二大政党制には是非成ってもらいたい。

そこから、新しい政治が生まれそうな気がする。
期待度は、、40%だけどね、、

人の弁護をちゃんと出来るわけがない

2007年09月06日 | ふと考えた
橋下弁護士が改めて弁護団批判 光市事件懲戒請求問題で(朝日新聞) - goo ニュース

自分の住む、広島にこんなひどい弁護士が居ることが残念でなりません。

死刑廃止を論ずるならば、絶対に刑務所から出られなくする、終身刑を訴えるべきです。
まずそれを確立してから、議論をするべきだ。

http://hikarimatome.my-php.net/index.php?FrontPage

クールビズ

2007年09月03日 | ふと考えた
うちの会社も今年から「クールビズ」と言うのを始めました。
温暖化を緩和するための制作としては有効だと思いますが、今いる事務所は住宅展示場なので、微妙に一般の職場とは異なります。

事務室は展示場内の一室ですので、その中は室温調節をしていますが、展示場自体はなんたって玄関からして開けっ放しなのでどうにもこうにも対応できません。

ネクタイを絞めないのは楽だとも思いますが、どうも間が抜けて感じます。
ノーネクタイでスーツの上着を着るというのも微妙にかっこ悪く、基本的に上着は着ないこととしました。
ネクタイ着用の必要がある場合のみ上着を着ることにしていますが、きっちとネクタイをして上着を着ている人と同席すると、なんと間抜けだなと感じます。

本日9月3日は、9月になって初めての月曜日でしかも会議がある日、「あれもしかして9月からクールビスじゃなくなるのかな?」なんて思ってしまったり、微妙な朝でした。

もうすぐ50歳(1)

2007年05月30日 | ふと考えた
ついに50歳の大台に近づいてきた。(1)

30代
40代
それなりに、、大台だな~と それぞれ言っていましたが、、
さすがに 50歳と言うのは重いです。

60歳の人から見れば「まだ10年活躍できる」と言う感じかもしれないけど、逆に考えると「ガンガン仕事できるのはあと10年か、、」と感じます。

若いときに考えていたことが、だんだんと形になって来た。
でも、まだまだ思い通りにならないことも多い。
「体を使う」「1日中クタクタになるほど走り回って仕事をする」そう言うことはもう出来ない。
そう言う働きに対する、期待も、望む気持ちもないのだが、その点が余計に年を取ったんだなと感じる原因なのかもしれない。

現場、設計、営業と建物に関する仕事ばかりやってきて、現在は営業職、思い返すと、楽しいのはやはり現場のような気がする。
現場は活気があるし、現実がある、嘘もないしミスをすればそのまま欠陥となる、消しゴムで消すことも、破り捨てることも出来ない、何十年も使う建築物なのだ。
設計が作った収まらない図面を、いかにイメージのまま綺麗に仕上げるか、そこが現場監督の腕の見せ所。
職人さんとさんざん議論をしながら(けんかしちゃだめなんですよ)誰もが納得する仕事に仕上げなくてはいけない。難しいからやり甲斐があるし、結果が見えるので手応えを感じる。

会社自体が大手企業ではないので、営業と言ってもそれに専念するだけではなく、計画に色々口出しをすることが出来る、自分が思っている理想や、拘りを反映させたり、嫌な提案は潰してしまったり、自分は一円もお金を払わないのに感動することも出来る。
計画から完成まで、見守ることが出来る。でも、さすがにいちいち口を挟んでいたのでは、現場は進まないので(自分の本業も進まない)有る程度、、と、、言うことになる。
そのあたりが、ちょっと楽だけど、寂しいような分岐点なんだと感じる。

約2ヶ月で50歳
さて、ここからどの様な仕事が出来るのか?
真面目に言うならいかに社会的な責任を果たせるのか?
個人的に言うと、もっと楽しく生きていけるのか?

あ、、やっぱり振り返ることが苦手な人間だ。
このまま過ぎていくのかな? ま、、前向きに歩けるなら良いか?

やってみたい事

2007年04月24日 | ふと考えた
それは、、「古本屋」です

TV番組で「人生の楽園」という番組が好きで録画してみたりしています。
いわゆるセミリタイアしてセカンドライフをおくる、夫婦のドキュメンタリーを毎夕30分間綴っています。
で、先週有ったのが、金沢の古い町並みで(綺麗なところです)古本屋とカフェを営む方の話しでした。(広島では07年4月21日)

子供の頃、歩いて20分くらいの所に「若宮書店」と言う本屋さんがあって良く行っていました。
親父さんと奥さんが営む個人商店で、思い出すと広さ的には畳8畳くらいしかなかったんじゃないかと思います。
子供だからいっぱい本を買うというわけにも行かないけど、棚にぎっしりと詰め込まれた本の背表紙を見ながら、興味の湧く文庫本を手にする、汚さないように折れ目が付かないように、表紙をめくり、物語の初めを読んでみる。
よほど気に入ったら買う、金額的にはいくらだったんだろうか?
100円前後だったんじゃないかと思う。

本を読んでいると物語の中にまったりとはまり込んでしまいます。
なので、平行して何冊か読むというのは苦手です。
しかも本というのは、殆どが仮想の物語です、その物語は本を手にしても、99%読み返すことはない。
好きだけど高いと言う気持ちが大きかったように思います。
だからこそ、慎重に選ぶんです。自分が買って読み切ることが出来る物語なのか? 自分が好きな文体なのか? 凄く慎重です。

実は今でも、古本屋さんとかに行くと、端から端まで文庫本を見て歩き、慎重に選びます。
そう言えば、新刊を置いてある本屋さんより「ブックオフ」等の古本屋さんに行くことが多いかな?
しかも、、いまだに単行本に手が出ない臆病者です。

本屋さんって良いよね~
買わないのに、売るだけ本が手元に有るんですから。
(当たり前)
しかも中古の本屋なら、置いている物を自分が読んでも値が落ちない!
何だか、自分の利害が一致するな~と思うんです。

店番しながら、1日中本を読む「京極堂」みたいに、、
と、、言うわけには行かないかな?

PS 参考
「京極堂」とは下記リンクの古書店の主人は「中禅寺秋彦」
http://www.jidai-show.net/kyo_char.htm

たまには ちょっと硬い話を

2006年08月12日 | ふと考えた
靖国神社も先行きは大変のようで
http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200608110434.html

一般的に言われている、戦争賛歌とか英霊、供養、懺悔、後悔、非難、美化、反対、賛成、議論等はとりあえず置いておいて、、
戦争で亡くなられた方を祭って居る神社だから、遺族が少なくなればそうなってしまうのかと感じました。
自分の先祖も三代前には、戦争で亡くなったご先祖様が居るのですが、詳しくは知っていません。
小さい時に、先祖が軍服を着て馬に乗っている写真を、今は亡くなったおばあさんから見せてもらった記憶は有ります。

戦争死別者も神になる、この点には大きな疑問が湧きます。
自分の父は死んで「あの世に行った」あるいは「仏さん」と言う認識が有るからでしょうか。
神になるのは(神社に祭って有る)歴史的に見て、英雄だったんでしょうね。
で、、戦争に行って(実は行かされてと言うほうが正しいのかもしれない)死んだ人は国を守ろうとした(戦争に予定見合いが違うかもしれない)「英雄だから、神になったんだ」と言うくくり方をすることで「決して犬死にじゃなかったんだ」と「思いたかった」、「思わせたかった」、あるいは「思い込め」とするための靖国神社だったんでしょう。(もともとは国家が作ったんだから)
ただ、その時代に置いての価値観は大きく変わってゆくものだから、戦争を本や映画でしか知らない自分には批判する事は出来ないとも思います。

でも、結果においての評価はしても良いんだと思います。

個人的に思うのは、おやじから聞いた「勝てば官軍」と言う言葉です。
原因はさておき、日本は連合国と言うよりも、勝てるわけが無い戦いアメリカに負けてしまった。
しかも、原子爆弾を2発も投下されて。
負けたのは事実だから仕方がない「負ければ賊軍」なわけです。
どうにも「アメリカに」逆らえない日本。
かつて占領していった某国にも避難される始末。
勝っていれば官軍だから「日本が正しい」でも、、第二次世界大戦には負けてしまったから、どうにも成らない。
(アジア諸国との軋轢は議論したくないのでコメント不要)

そんなこんなで、思うのは日本人が宗教を嫌ってきた原因は、この「戦争で死んでも神になれるよ」と言う様な考え方を嫌になった(或いは信じたく無い)と言うことナノだと思うんです。

「信じなさい」と言われるのは「死になさい」と言われることに等しい。
ほら、考えてみると{おーむしんりきょう}でも結局はそこにたどり着いたでしょ?
信じると言うことは危険な事なのかもしれない。

自分は生まれ持って「仏教」お祭りが有ると「氏子」何ですが、盲目的に信じては居ないのですね。
神や仏がいれば諍いがなぜ有るんだろうと思うからです。
神や仏は自分の心の中に居るものだと思っています。いや、いろいろ考えてそこにたどり着いたんだと思います。

聖書も「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯を点けましょう」と言っていた朝のラジオ番組で送ってもらって読みました。聖書は不思議な物語の集約で嫌でもないけど、不思議な現象が有るからこの人が神なんだと言うための本ですから、単に読んでいるだけではダメなのかもしれないと思いました。(でもそれで終わっているんですが)あ、、脱線している、、

その宗教も、神をあがめるのに戦争をする、戦争をするための重要な要因になってしまう。
アラブ諸国と白人社会、神が一つなのか神ではないのか、或いは人類こそが「地球を滅ぼすウイルス」なので神が滅ぼそうとしているのかしれない、、
今現在、地上で戦いは続いている、、

そう考えると、日本人が宗教観を無くしてしまった事にも一利有るのかと考える。
(そのように、自分自身が納得したいのかもしれない)

今日も、首相参拝でもめている。
靖国神社も、衰退してしまう時代は来るのかなと、ふと考えてしまった。

ちなみに、私は右翼でも左翼でも無い、一般的なお馬鹿庶民です。
悪しからず、、


天気と時計

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