■3 時間とは"いのち"である
今回は仏教的な読み解きもしていきます
アナ:マイスター・ホラはどんな存在ですか?
教授:
時間を司る存在で、老人と若者の姿を行き来したりして
彼自身が時間を体現している
「どこにもない家」にはたくさんの時計がありました
珍しい光景に目を見張るモモ
そこへ優しそうなおじいさんが現れます
マイスター・ホラはモモのことも灰色の男たちのこともよく知っていました
何でも見えるメガネで街の様子を見ていたからです
その眼鏡をモモがかけてみると灰色の男たちが見えてきました
ホラは自分の役目は人間一人一人に定められた時間を配ることだと語ります
そしてこの家には人間に配るための時間の源があるというのです
ホラ:時間の源を見たいかね? 連れて行ってあげよう
アナ:灰色の男は「本当はいないはずのものだ」とありますね
教授:
床屋のフージーさんを思い出してくれればわかるんですけれども
彼は自分の人生はこうして過ぎていくのか
という虚無感にとらわれて灰色の男が出てきて誘惑される
灰色の男は人間の心の隙が生み出した存在だと言える
伊集院:
人間が感覚的な軸みたいのを失う
それがブレた時に他の軸をちょっと欲しがる時があるじゃないですか 他者から
最新のことで言うと
先にグルメサイトを見て点数を確認してじゃないと不安で美味しいと思えない
この関係に似てますね
教授:
灰色の男たちは何分何秒と計算して、それが価値なんです
同じようにグルメサイトが何点かということに我々はいつのまにか縛られていて
今食べているものの充実感とか美味しさから遠ざかってしまう
時間の豊かさを失う話とよく似ていると思います
(写メっている時もそう思う
対象を見る代わりに写メったら忘れて、味わえてない
時間の源とは?
教授:
ひと言で言えば人間の豊かさの源泉
もっと言えばベッポが一掃き一掃きごとに掃除に充実感を得ているということ
その源になっているのが時間の源であり、豊かさの源
そういう感覚を思想化して抽象化したのが仏教
一瞬でもそれは無限なんだとか
「華厳経」
仏の一毛孔の中には一切世界が入り
永遠の時間が一瞬にあるということを仏教は説いている
例えばコンサートとかスポーツとか
その時の充実した時間は時間の源から送られている
アナ:つまり灰色の男たちは時間の源とは繋がっていないんですか?
教授:
そうなんです
だから彼らは時間を盗まないといけない
じゃあ我々はどうなのか?
灰色の男に近づいているんじゃないか
典型的だと思うのは「まだ」という意識で生きていて
何か面白いことがあっても
もう終わってしまった
結局、今を生きていない
伊集院:
僕もうそういうところがちょっとある
分刻みの旅行のスケジュールを立ててしまう(私も同じ/苦笑
70時間しかないなら、これに何分使って、この新幹線に乗って
本当はたまたま入ったお寺を満喫し、終わりました
さあ次に行きましょうかっていう話なんだけれども
もはや時間が優先だから
1時間45分で満喫するとか
これは源とはつながっていないですね
教授:
結局、伊集院さんじゃなくてシステムやプログラムが満足している状態
ちょっと面白いことがあると平気でプログラムを変える人たちは
時間の根源に近いということが言えるかもしれない
ホラはモモを抱きかかえ、長い道のりを行きます
モモを降ろしたのは金色に輝く丸天井の下でした
(本当はエンデの描いた挿絵だけで
後は読者それぞれの想像力で補うのが楽しいんだけれども
テレビだと映像で見せなくてはならないから
こうして絵で表すとなると
イラストレーターもかなり苦心したのでは?
振り子は池の縁に近づくと水面から大きな花の蕾が伸びてきました
振り子が近づくにつれ蕾が膨らみ花開きます
それはモモが見たこともないほど美しい花でした
やがて振り子がゆっくり元に戻ると花はしおれてしまいます
振り子に合わせて咲いては枯れてゆく時間の花
これこそが時間の源なのです
伊集院:なんだか美しくも神秘的なシーンですね
教授:
金色の丸天井とかまんまるな池
幾何学的な形が強調されている
存在の根源とかマンダラにとても近い
「マンダラ」
古代インドにおいては洞窟での瞑想中に発生した
エネルギーが幾何学的に広がった図像
メディテーションをするとエネルギーが立ち上がって
天井に当たるとそれが四方八方に幾何学的に広がる
これは立体的な曼荼羅を示している
さらにこれは振り子が振れる
それに合わせて花が咲く動く曼荼羅
時間の曼荼羅と言えると思います
伊集院:
日時計の時間だけ切り出して機械仕掛けにしていくと
やっぱりどこか摂理と離れるから
これは一番最初の時計というか
まさに時間の源の感じがします
それを文章でこう綺麗に表すってすごいですね
教授:
いのちの時計
いのちを時計に合わせて生きてしまうんだけれども、いのちが時を作る
アナ:
さらにエンデが描こうとした世界観を知るために
ホラとモモの会話を見ていきます
アナ:ちょっと謎めいた会話ですけれども
教授:
面白いのは「私は怖くない」
近代人は死を恐れるわけです
死んであの世に行って、そこからまた帰ってくるという世界観で生きていると死は怖くない
モモは灰色の男たちに代表される
近代人の世界観で生きていないので死が怖くない
ホラの充実した世界が、同時に虚無であるというのは仏教でいう「空」
とても仏教に通じる世界観があると思います
ホラはモモが見た時間の源はモモだけの時間だと伝えます
(映画化するとさらに3次元にして見せるわけだから
本好きとしてはイマジネーションを壊される危険性があるんだよね
時間の源でホラからたくさんのことを教わったモモ
その経験を友達に伝えたくなりました
ホラに促されてモモは眠りにつきます
目を覚ますとそこは円形劇場跡でした
モモの中には時間の国の記憶がはっきりとありました
伊集院:
商売柄ぐっとくるものがあります
聞くエキスパートのモモが、次のステップとして話したくなる
話すにあたって熟すまで待つ
言葉がちゃんと出来上がるまで待つっていう
教授:
うまくいくタイミングをここでは星の時間として表現されています
ホラは星の時間がわかる時計を持っているんです
アナ:
モモは星の時間がわかる時計について質問した時に
ホラはこんな風に答えています
教授:
星の時間を言い換えるなら
時計では測れない質的?なタイミングのこと言えると思います
例えば心理療法のルールとして
子どもと遊んだ時におもちゃを持って帰ってはいけないというルールがあるんだけれども
何かの時に、ここは認めてあげないと
すごく大事だ、今だっていうタイミングが訪れる
ルール違反だとわかっていても勝負しないといけない瞬間がある
最初からルールを破るのでは意味がないし
失敗に終わってしまう
ここだっていう時にそれを破ることも大事
伊集院:
すごくよく分かる
ラジオの生放送でいろんなゲストが来てくださる
その方が軽いスキャンダルを抱えているとする
生放送に入る前に事務所のマネージャーが
「あのことだけは NG なんで絶対聞かないでください」
でもしゃべってもいいタイミングていうのがあって
それは多分100回やって100回違うんだけど
怒られますけど
本当にそのタイミングしかない
教授:
星の時間は人との関係で訪れる
ここで絶対言わないといけないとか
そういう時間が一番出てくるのは恋愛関係
ピンポンって鳴って、星の時間ですよって言ってくれればいいんですけどw
伊集院:そういう腕時計があったら欲しいな!
ホラのもとで素晴らしい体験をしたモモを待っていたのは
変わり果ててしまった街の姿でした
目覚めたモモは友達が来るのを待ちます
しかし誰も訪ねてきませんでした
実はモモが時間の国で眠っていたのはたった一晩ではなかったのです
全てを知るカシオペアが「みんないなくなった」と伝える
街はすっかり灰色の男たちに操られ
人々はただ時間を節約することだけに励んでいました
常連客だけが来る居酒屋も
ファストフード店に変わり、殺気だった雰囲気です
店主のニノはかろうじてジジとベッポの消息を教えてくれましたが
会話を続けてはくれません
「お願いだからもう行ってくれ!」
さらにカシオペイアともはぐれてしまいます
モモは一人ぼっちになってしまいました
伊集院:なんだかちょっと浦島太郎的な展開ですね
モモは丸1年も時間の国に行っていた
その間に親友のジジとベッポはすっかり変わってしまいました
ジジは物語の語り手としてお金持ちになって有名になるんですが
モモがいなくなると面白い話が思いつかなくなってしまって
モモのためにとっておいた話まで全て人に話してしまう
教授:
ジジはモモに話をすることで豊かな時間を過ごしていたけれども
空虚な作り話をする状態に陥ってしまう
伊集院:
ラジオのパーソナリティーの人が売れたりとかすると
スケジュールが忙しくなって
新しい話ができるような経験がなくなってしまうんです
(そう思ってた タレントは分刻みでテレビに出てて
もう一般的な生活に関わるネタも作れないんじゃないか
そうするとかなりきわどい話をしたり
親友のプライバシーに触れてしまうような話を始めたりとかして
ゾッとするような話ですよ
ベッポはモモがいなくなったストレスや
自分も灰色の男たちを見たことを警察に話すんですが
うまく話せないために精神病院に送られてしまいます
(ココロを病む人のほうが真実の世界にいると思う
ドラッグやアルコール、ココロを病んで早世した優れたアーティストもたくさんいる
そこに灰色の男が現れて
「自分のたちのことを黙って時間を貯蓄するならモモを返してやる」と言われて承諾してしまう
教授:
ベッポはシンプルな生き方の中で豊かな時間を過ごしていた人なんですが
一心不乱に掃除をしてしまう
どれだけ早く掃除をするかという灰色の男たちの論理に完全にハマってしまう
アナ:街の子ども達も施設に入れられるんですよね
教授:
施設って人間社会がうまく機能するために色々な人を収容する
近代社会になって周縁にいる人が施設に押し込められがち
子どもも同じ
現代において、例えば障害者や高齢者が施設に囲い込まれる傾向がある
そういう意味でエンデの描いている文明批判というのは
ますます今の世の中で強まっていると言えると思います
伊集院:
経済的に効率的であるみたいなことがすべてになってくると
規格外の人たちを受け入れないほうが早いってなってくる
まさに今この状態
(そこだよね みんな同じく並列化して
自分で考えない人間を作り出して
結果、自分を見失うシステム
教授:
そのほうが少女のためなんですよって言うんだけれども
失われていくのは「色んなものがある」という多様性の豊かさ
■4 「受動」から「能動」へ
灰色の男たちが奪っていった時間を取り戻すためモモは立ち上がります
勇気をくれたのは夢で見た友達の苦しむ姿でした
最終回は能動的に立ち上がるモモの姿から
混沌とした世界を再生するヒントを読み解きます
伊集院:
家内の本棚にも『モモ』を発見しました
ちょっと読み始めたんですが楽しみです
モモは時間の国から帰ってきたのですが
親友のジジもベッポも街の人々も灰色の男たちに洗脳されていました
ひとりぼっちになったモモのところに灰色の男がやってきて
「真夜中に会って話をしよう」と言います
モモは怖くてトラックの荷台に乗り込んで眠ってしまいます
教授:
モモはホラのところでも言葉が熟すために眠って
目覚めると円形劇場に戻っていたんですけれども
モモはただでさえ受動的なんですが、さらに受動的になる
これが次の転機に繋がるんですよね
完全にアクションを止めてしまうところから転機が訪れる
そういうところが面白いと思います
(いわゆる「ひきこもり」も必要な休養、自分を見つめて変容する前の大事な時間
モモは夢を見ます
夢の中でベッポやジジ、子ども達が苦しみもがいていました
目覚めたモモは決意します
モモが円形劇場に戻ると灰色の男たちが現れ叫びました
「我々はうんざりしたんだ
一人一人の人間から1秒1分1時間と、ちびちび時間をかき集めるのにな」
全ての人間の時間をまとめて自分たちのものにするため
マイスター・ホラの元へ案内しろとモモに迫ります
その代わり友達は返してやるといいます
伊集院:一旦寝たことで機が熟すというか、星の時間が来る感じ
教授:
受動的になったからこそ無から立ち上がれた
「自然(じねん)」という概念で説明できると思います
2つの読み方がありますよね
自らとおのずから
自らからというのは、主体的な印象を持った自分自身が何かをするということで
おのずからというのは、勝手にそうなるという意味
ここでのモモは自らとおのずからが一致して
それが自然だと思います
自らばかりだと空回りする
俺が俺がみたいな感じで
でもおのずからを待ってるだけでは何も起こらない
両方が合致する瞬間がホラのいう星の時間
主体が立ち上がるというのは自我だけのアクションではなくて
星の時間を掴んだ自分自身が
もっと広い自己とともに立ち上がるということが言える
モモの受動から能動というあり方は
ずっと耐えてきて最後の最後に立ち上がる
日本の昔話にも割とよくある
日本人として感情移入できる
伊集院:
私の師匠の円楽が「果報は寝て待て」
あれは正確に言うと落語家の洒落もあるんでしょうけど「果報は練って待て」
焦って動くんじゃないという話をしていたのが
自らと自ずからがちゃんとクロスする瞬間
星の時間と同じというのがすごく腑に落ちました
カシオペイアとの再会
モモはホラのもとに行こうとすると後ろから灰色の男たちが追います
さかさま小路でモモが振り向くと
男達は後ろ向きに進みながら消えて行きました
モモを迎えたホラは灰色の男たちの秘密を明かします
ホラ:
彼らは盗んだ時間でできている
だがここでは時間が逆に流れる
それで時間が体から抜け出してしまったのだ
時間の花を見ただろう?
灰色の男たちは人々の心からその花弁を盗み
葉巻にしてふかすのだ
教授:
若干作りすぎている
最初斜に構えててもだんだんと入れ込んで
好きになっていくところがあると自分でも思います
伊集院:
『モモ』っていう物語自体がモモっぽい
俺はこう思うってしゃべりたくなる
(そういう二重性って『はてしない物語』も同じだね
教授:
時間の源にいるホラが何とかしてくれよっていう感じじゃないですか
通常の役割分担と全く逆
これってラジカルなイニシエーションとして考えることができる
「イニシエーション」
人類学用語で若者が成人として承認される手続き・儀式
よくある抜歯とかそういうことで大人になる
個人のイニシエーションを受ける時
世界のイニシエーションが起きている
モモ個人の問題ではなく
世界自身が止まってしまう
世界が生まれ変わらないといけない
世界を再生させる任務を小さな女の子が担ってるということに
この物語の面白さがあると思います
ホラは時間を奪われた人間を救う最後の手段をモモに伝える
まずホラが眠りにつき時間を完全に止めます
時間を盗めなくなった灰色の男たちは貯蔵庫に向かうはず
そこでモモが時間の花を取り出せないように邪魔をしたら
男たちは消えてゆくというのです
しかしそのためにホラがモモに与えられるのは時間の花1輪分
つまりたった1時間だというのです
伊集院:
いろんな心理学的要素がいっぱい入ってそうなシーンですけれども
ただ単純に物語としてもとても面白いですね
アナ:アイテムのひとつの葉巻の秘密が明かされましたね
教授:
時間の花って根源につながっている
それに対して葉巻は根源に繋がっていない
1本吸うと終わるので、ある種空虚なものだから
満たされないからずっと葉巻を吸い続けないと
男たちは生き続けることができない
これって考えてみると何か依存症になるとか
空虚だからずっとネットに繋がっていないといけないとかに
通じるところがあるなと思います
伊集院:
見事にいろんな比喩を絡めてて
しかも普通に子どもが聞いてもワクワクするようなシーンを絡めながら
すごい物語を書く才能がある
(本当だよね!
ホラが眠りにつくと、灰色の男たちがどこにもない家になだれ込んできました
時計が全て止まっていることに気づいた男たちは、盗める時間がなくなった事を知ります
半狂乱で出ていく男たち
その後をカシオペアを抱いたモモが追います
彼らの貯蔵庫は街外れにあった
凍った時間の花がしまってある巨大な金庫の扉は開きっぱなしです
ためておいた葉巻を長持ちさせるため
男たちは人数を減らすことにします
コインを投げては消すメンバーを決め
ついには6人になりました
モモは残った6人が葉巻を取り出せないように金庫に近づきます
時間の花で触れれば扉が閉まるとカシオペイアが教えてくれたのです
驚いた男たちはモモを捕まえようとするうちに
葉巻を落として次々と消えていきました
ついに最後の一人となった灰色の男がモモに迫ります
「花をよこすんだ!」
最後の灰色の男が消えると、モモは金庫の扉を開けました
閉じ込められていた時間の花は自由になり
元の持ち主の元へと戻っていきます
世界は再び動き出すのでした
伊集院:
なんか意外な終わり方
勝負の付き方
最後の灰色の男の言葉はちょっと意外でした
教授:
モモと灰色の男たちは実際戦ってはいない
どっちかと言うと自滅していってくれた
善が悪に打ち勝つというわけではない
灰色の男達を生んでいるのは
結局我々の心なんだ
こちらの心の持ち方次第で彼らは消えていってしまう
伊集院:
貧富の差や搾取みたいなものが進んでいくと
こういう風になっていくんだろう
搾取される側の人がこれ以上やったら死んじゃいますよ
というところまで搾取してしまうわけじゃないですか
搾取できなくなると共食いが始まる
最終的に虚しさだけが残って死んでいくという
物語としてはめでたしめでたし感があるんだけれども
誰が悪かったのか分からなくなってくる
教授:
悪いやつなんだけれども
灰色の男がいるから時間の根源へ行けたわけです
悪いやつだけど役に立っている
意味があると言うか
こういう職業をしていると、何か症状があったり怖かったりする
困るんだけど、それと向き合うことによって心がもっと豊かになる
もっと何かを知ることができる
毒にも意味があると考えると儚さを感じる
アナ:
物語はこうして終わりを迎えます
モモはこの後友達と再会してお祝いをして
カシオペイアはホラの元に戻ります
これが最後に出ている最終章の挿絵
これでめでたしめでたしと言っていいんでしょうか?
教授:
この灰色の男たちは本当にいなくなったのかというとそうとは言い切れない
それが作者のあとがきに出ている
<作者によるあとがき>
あとがきに潜むエンデのメッセージ
アナ:
つまり過去にあった話とも、将来の予言とも読めるということですよね
教授:
モモっていろんな意味で現代文明の問題というもの
あるいは現代人の心の問題みたいなことを指摘していますが
それって灰色の男がいなくなったから終わったのではなくて
そういうのは繰り返し現れるんだよというようなメッセージとして取れる
伊集院:
若手芸人は常にアルバイトを探しているんですが
定期的なアルバイトには就けないんです
急にオーディションが入ったりするから
時間の調整がすごく難しい中で
例えば食べ物を配達するバイトとかはありがたいんです
空いた時間を全部バイトを入れられるから
ただこれは限りがないんです
本来だったらその時間に本を読もうとか
他のお笑いやコントを見る時間が
全部お金に変わっていく
これが後でどういう影響があるんだろう
すごくいっぱい恩恵を受けているんだけれども
それが行き過ぎた時にどうなるっていう
アナ:
今の現代人はモモのように救えますかね
今まさに時間が止まっているようになっている
伊集院:
モモの役割をしてくれるのは何なんだろう?
買いかぶりかもしれないけれども
本当は芸能とかが多少そういう役目をしているのかも
教授:
豊かな時間を思い起こさせるものって
昔は儀式とか宗教だったんだけれども
それがなくなって、芸能とかいうものは
すごく大事なんじゃないかな
伊集院:
本当はテレビとかもそうなんです
だけどやっぱり気がつくとテレビはお得っていう言葉のスペシャル番組が多い
のんびり見てたら結構時間過ぎちゃったねっていう
テレビの役割も本当はあるのに
皮肉にもこの番組も読むと長くなる本に対して
100分間で教えてくださいっていう番組なんですよ
でも本当に大事なのは、僕は今読み始めたんです
ここをきっかけに皆さん読み始めてもらうと矛盾がなくなると思う
『モモ』✕100分っていう豊かさだと思う
(私は今そうしてるv
教授:
私のやってる心理療法って
夢を聞いたりとか、箱庭を作ってもらったりとかするんですけど
ある種回り道というか
ファンタジーの世界に開けるということが心の本質に届くし
それが思わぬ解決をもたらしてくれるということがあるので
モモもそうだけれどもファンタジーってすごくリアルですよね
架空なんだけれども、だからこそある種の真実を伝えることができる
(だから私も絵本や児童書が大好き
シンプルに普遍的な真実を教えてくれる
伊集院:
いつもは100分が終わってから読み始めるところを
もう読み始めてるんです
より味わいたいから家で音読してるんです
音読すると入ってくる感じがする
本当に奥の深い本でした
この番組の役目をもう1回考えることになりました
今回は仏教的な読み解きもしていきます
アナ:マイスター・ホラはどんな存在ですか?
教授:
時間を司る存在で、老人と若者の姿を行き来したりして
彼自身が時間を体現している
「どこにもない家」にはたくさんの時計がありました
珍しい光景に目を見張るモモ
そこへ優しそうなおじいさんが現れます
マイスター・ホラはモモのことも灰色の男たちのこともよく知っていました
何でも見えるメガネで街の様子を見ていたからです
その眼鏡をモモがかけてみると灰色の男たちが見えてきました
ホラは自分の役目は人間一人一人に定められた時間を配ることだと語ります
そしてこの家には人間に配るための時間の源があるというのです
ホラ:時間の源を見たいかね? 連れて行ってあげよう
アナ:灰色の男は「本当はいないはずのものだ」とありますね
教授:
床屋のフージーさんを思い出してくれればわかるんですけれども
彼は自分の人生はこうして過ぎていくのか
という虚無感にとらわれて灰色の男が出てきて誘惑される
灰色の男は人間の心の隙が生み出した存在だと言える
伊集院:
人間が感覚的な軸みたいのを失う
それがブレた時に他の軸をちょっと欲しがる時があるじゃないですか 他者から
最新のことで言うと
先にグルメサイトを見て点数を確認してじゃないと不安で美味しいと思えない
この関係に似てますね
教授:
灰色の男たちは何分何秒と計算して、それが価値なんです
同じようにグルメサイトが何点かということに我々はいつのまにか縛られていて
今食べているものの充実感とか美味しさから遠ざかってしまう
時間の豊かさを失う話とよく似ていると思います
(写メっている時もそう思う
対象を見る代わりに写メったら忘れて、味わえてない
時間の源とは?
教授:
ひと言で言えば人間の豊かさの源泉
もっと言えばベッポが一掃き一掃きごとに掃除に充実感を得ているということ
その源になっているのが時間の源であり、豊かさの源
そういう感覚を思想化して抽象化したのが仏教
一瞬でもそれは無限なんだとか
「華厳経」
仏の一毛孔の中には一切世界が入り
永遠の時間が一瞬にあるということを仏教は説いている
例えばコンサートとかスポーツとか
その時の充実した時間は時間の源から送られている
アナ:つまり灰色の男たちは時間の源とは繋がっていないんですか?
教授:
そうなんです
だから彼らは時間を盗まないといけない
じゃあ我々はどうなのか?
灰色の男に近づいているんじゃないか
典型的だと思うのは「まだ」という意識で生きていて
何か面白いことがあっても
もう終わってしまった
結局、今を生きていない
伊集院:
僕もうそういうところがちょっとある
分刻みの旅行のスケジュールを立ててしまう(私も同じ/苦笑
70時間しかないなら、これに何分使って、この新幹線に乗って
本当はたまたま入ったお寺を満喫し、終わりました
さあ次に行きましょうかっていう話なんだけれども
もはや時間が優先だから
1時間45分で満喫するとか
これは源とはつながっていないですね
教授:
結局、伊集院さんじゃなくてシステムやプログラムが満足している状態
ちょっと面白いことがあると平気でプログラムを変える人たちは
時間の根源に近いということが言えるかもしれない
ホラはモモを抱きかかえ、長い道のりを行きます
モモを降ろしたのは金色に輝く丸天井の下でした
(本当はエンデの描いた挿絵だけで
後は読者それぞれの想像力で補うのが楽しいんだけれども
テレビだと映像で見せなくてはならないから
こうして絵で表すとなると
イラストレーターもかなり苦心したのでは?
振り子は池の縁に近づくと水面から大きな花の蕾が伸びてきました
振り子が近づくにつれ蕾が膨らみ花開きます
それはモモが見たこともないほど美しい花でした
やがて振り子がゆっくり元に戻ると花はしおれてしまいます
振り子に合わせて咲いては枯れてゆく時間の花
これこそが時間の源なのです
伊集院:なんだか美しくも神秘的なシーンですね
教授:
金色の丸天井とかまんまるな池
幾何学的な形が強調されている
存在の根源とかマンダラにとても近い
「マンダラ」
古代インドにおいては洞窟での瞑想中に発生した
エネルギーが幾何学的に広がった図像
メディテーションをするとエネルギーが立ち上がって
天井に当たるとそれが四方八方に幾何学的に広がる
これは立体的な曼荼羅を示している
さらにこれは振り子が振れる
それに合わせて花が咲く動く曼荼羅
時間の曼荼羅と言えると思います
伊集院:
日時計の時間だけ切り出して機械仕掛けにしていくと
やっぱりどこか摂理と離れるから
これは一番最初の時計というか
まさに時間の源の感じがします
それを文章でこう綺麗に表すってすごいですね
教授:
いのちの時計
いのちを時計に合わせて生きてしまうんだけれども、いのちが時を作る
アナ:
さらにエンデが描こうとした世界観を知るために
ホラとモモの会話を見ていきます
アナ:ちょっと謎めいた会話ですけれども
教授:
面白いのは「私は怖くない」
近代人は死を恐れるわけです
死んであの世に行って、そこからまた帰ってくるという世界観で生きていると死は怖くない
モモは灰色の男たちに代表される
近代人の世界観で生きていないので死が怖くない
ホラの充実した世界が、同時に虚無であるというのは仏教でいう「空」
とても仏教に通じる世界観があると思います
ホラはモモが見た時間の源はモモだけの時間だと伝えます
(映画化するとさらに3次元にして見せるわけだから
本好きとしてはイマジネーションを壊される危険性があるんだよね
時間の源でホラからたくさんのことを教わったモモ
その経験を友達に伝えたくなりました
ホラに促されてモモは眠りにつきます
目を覚ますとそこは円形劇場跡でした
モモの中には時間の国の記憶がはっきりとありました
伊集院:
商売柄ぐっとくるものがあります
聞くエキスパートのモモが、次のステップとして話したくなる
話すにあたって熟すまで待つ
言葉がちゃんと出来上がるまで待つっていう
教授:
うまくいくタイミングをここでは星の時間として表現されています
ホラは星の時間がわかる時計を持っているんです
アナ:
モモは星の時間がわかる時計について質問した時に
ホラはこんな風に答えています
教授:
星の時間を言い換えるなら
時計では測れない質的?なタイミングのこと言えると思います
例えば心理療法のルールとして
子どもと遊んだ時におもちゃを持って帰ってはいけないというルールがあるんだけれども
何かの時に、ここは認めてあげないと
すごく大事だ、今だっていうタイミングが訪れる
ルール違反だとわかっていても勝負しないといけない瞬間がある
最初からルールを破るのでは意味がないし
失敗に終わってしまう
ここだっていう時にそれを破ることも大事
伊集院:
すごくよく分かる
ラジオの生放送でいろんなゲストが来てくださる
その方が軽いスキャンダルを抱えているとする
生放送に入る前に事務所のマネージャーが
「あのことだけは NG なんで絶対聞かないでください」
でもしゃべってもいいタイミングていうのがあって
それは多分100回やって100回違うんだけど
怒られますけど
本当にそのタイミングしかない
教授:
星の時間は人との関係で訪れる
ここで絶対言わないといけないとか
そういう時間が一番出てくるのは恋愛関係
ピンポンって鳴って、星の時間ですよって言ってくれればいいんですけどw
伊集院:そういう腕時計があったら欲しいな!
ホラのもとで素晴らしい体験をしたモモを待っていたのは
変わり果ててしまった街の姿でした
目覚めたモモは友達が来るのを待ちます
しかし誰も訪ねてきませんでした
実はモモが時間の国で眠っていたのはたった一晩ではなかったのです
全てを知るカシオペアが「みんないなくなった」と伝える
街はすっかり灰色の男たちに操られ
人々はただ時間を節約することだけに励んでいました
常連客だけが来る居酒屋も
ファストフード店に変わり、殺気だった雰囲気です
店主のニノはかろうじてジジとベッポの消息を教えてくれましたが
会話を続けてはくれません
「お願いだからもう行ってくれ!」
さらにカシオペイアともはぐれてしまいます
モモは一人ぼっちになってしまいました
伊集院:なんだかちょっと浦島太郎的な展開ですね
モモは丸1年も時間の国に行っていた
その間に親友のジジとベッポはすっかり変わってしまいました
ジジは物語の語り手としてお金持ちになって有名になるんですが
モモがいなくなると面白い話が思いつかなくなってしまって
モモのためにとっておいた話まで全て人に話してしまう
教授:
ジジはモモに話をすることで豊かな時間を過ごしていたけれども
空虚な作り話をする状態に陥ってしまう
伊集院:
ラジオのパーソナリティーの人が売れたりとかすると
スケジュールが忙しくなって
新しい話ができるような経験がなくなってしまうんです
(そう思ってた タレントは分刻みでテレビに出てて
もう一般的な生活に関わるネタも作れないんじゃないか
そうするとかなりきわどい話をしたり
親友のプライバシーに触れてしまうような話を始めたりとかして
ゾッとするような話ですよ
ベッポはモモがいなくなったストレスや
自分も灰色の男たちを見たことを警察に話すんですが
うまく話せないために精神病院に送られてしまいます
(ココロを病む人のほうが真実の世界にいると思う
ドラッグやアルコール、ココロを病んで早世した優れたアーティストもたくさんいる
そこに灰色の男が現れて
「自分のたちのことを黙って時間を貯蓄するならモモを返してやる」と言われて承諾してしまう
教授:
ベッポはシンプルな生き方の中で豊かな時間を過ごしていた人なんですが
一心不乱に掃除をしてしまう
どれだけ早く掃除をするかという灰色の男たちの論理に完全にハマってしまう
アナ:街の子ども達も施設に入れられるんですよね
教授:
施設って人間社会がうまく機能するために色々な人を収容する
近代社会になって周縁にいる人が施設に押し込められがち
子どもも同じ
現代において、例えば障害者や高齢者が施設に囲い込まれる傾向がある
そういう意味でエンデの描いている文明批判というのは
ますます今の世の中で強まっていると言えると思います
伊集院:
経済的に効率的であるみたいなことがすべてになってくると
規格外の人たちを受け入れないほうが早いってなってくる
まさに今この状態
(そこだよね みんな同じく並列化して
自分で考えない人間を作り出して
結果、自分を見失うシステム
教授:
そのほうが少女のためなんですよって言うんだけれども
失われていくのは「色んなものがある」という多様性の豊かさ
■4 「受動」から「能動」へ
灰色の男たちが奪っていった時間を取り戻すためモモは立ち上がります
勇気をくれたのは夢で見た友達の苦しむ姿でした
最終回は能動的に立ち上がるモモの姿から
混沌とした世界を再生するヒントを読み解きます
伊集院:
家内の本棚にも『モモ』を発見しました
ちょっと読み始めたんですが楽しみです
モモは時間の国から帰ってきたのですが
親友のジジもベッポも街の人々も灰色の男たちに洗脳されていました
ひとりぼっちになったモモのところに灰色の男がやってきて
「真夜中に会って話をしよう」と言います
モモは怖くてトラックの荷台に乗り込んで眠ってしまいます
教授:
モモはホラのところでも言葉が熟すために眠って
目覚めると円形劇場に戻っていたんですけれども
モモはただでさえ受動的なんですが、さらに受動的になる
これが次の転機に繋がるんですよね
完全にアクションを止めてしまうところから転機が訪れる
そういうところが面白いと思います
(いわゆる「ひきこもり」も必要な休養、自分を見つめて変容する前の大事な時間
モモは夢を見ます
夢の中でベッポやジジ、子ども達が苦しみもがいていました
目覚めたモモは決意します
モモが円形劇場に戻ると灰色の男たちが現れ叫びました
「我々はうんざりしたんだ
一人一人の人間から1秒1分1時間と、ちびちび時間をかき集めるのにな」
全ての人間の時間をまとめて自分たちのものにするため
マイスター・ホラの元へ案内しろとモモに迫ります
その代わり友達は返してやるといいます
伊集院:一旦寝たことで機が熟すというか、星の時間が来る感じ
教授:
受動的になったからこそ無から立ち上がれた
「自然(じねん)」という概念で説明できると思います
2つの読み方がありますよね
自らとおのずから
自らからというのは、主体的な印象を持った自分自身が何かをするということで
おのずからというのは、勝手にそうなるという意味
ここでのモモは自らとおのずからが一致して
それが自然だと思います
自らばかりだと空回りする
俺が俺がみたいな感じで
でもおのずからを待ってるだけでは何も起こらない
両方が合致する瞬間がホラのいう星の時間
主体が立ち上がるというのは自我だけのアクションではなくて
星の時間を掴んだ自分自身が
もっと広い自己とともに立ち上がるということが言える
モモの受動から能動というあり方は
ずっと耐えてきて最後の最後に立ち上がる
日本の昔話にも割とよくある
日本人として感情移入できる
伊集院:
私の師匠の円楽が「果報は寝て待て」
あれは正確に言うと落語家の洒落もあるんでしょうけど「果報は練って待て」
焦って動くんじゃないという話をしていたのが
自らと自ずからがちゃんとクロスする瞬間
星の時間と同じというのがすごく腑に落ちました
カシオペイアとの再会
モモはホラのもとに行こうとすると後ろから灰色の男たちが追います
さかさま小路でモモが振り向くと
男達は後ろ向きに進みながら消えて行きました
モモを迎えたホラは灰色の男たちの秘密を明かします
ホラ:
彼らは盗んだ時間でできている
だがここでは時間が逆に流れる
それで時間が体から抜け出してしまったのだ
時間の花を見ただろう?
灰色の男たちは人々の心からその花弁を盗み
葉巻にしてふかすのだ
教授:
若干作りすぎている
最初斜に構えててもだんだんと入れ込んで
好きになっていくところがあると自分でも思います
伊集院:
『モモ』っていう物語自体がモモっぽい
俺はこう思うってしゃべりたくなる
(そういう二重性って『はてしない物語』も同じだね
教授:
時間の源にいるホラが何とかしてくれよっていう感じじゃないですか
通常の役割分担と全く逆
これってラジカルなイニシエーションとして考えることができる
「イニシエーション」
人類学用語で若者が成人として承認される手続き・儀式
よくある抜歯とかそういうことで大人になる
個人のイニシエーションを受ける時
世界のイニシエーションが起きている
モモ個人の問題ではなく
世界自身が止まってしまう
世界が生まれ変わらないといけない
世界を再生させる任務を小さな女の子が担ってるということに
この物語の面白さがあると思います
ホラは時間を奪われた人間を救う最後の手段をモモに伝える
まずホラが眠りにつき時間を完全に止めます
時間を盗めなくなった灰色の男たちは貯蔵庫に向かうはず
そこでモモが時間の花を取り出せないように邪魔をしたら
男たちは消えてゆくというのです
しかしそのためにホラがモモに与えられるのは時間の花1輪分
つまりたった1時間だというのです
伊集院:
いろんな心理学的要素がいっぱい入ってそうなシーンですけれども
ただ単純に物語としてもとても面白いですね
アナ:アイテムのひとつの葉巻の秘密が明かされましたね
教授:
時間の花って根源につながっている
それに対して葉巻は根源に繋がっていない
1本吸うと終わるので、ある種空虚なものだから
満たされないからずっと葉巻を吸い続けないと
男たちは生き続けることができない
これって考えてみると何か依存症になるとか
空虚だからずっとネットに繋がっていないといけないとかに
通じるところがあるなと思います
伊集院:
見事にいろんな比喩を絡めてて
しかも普通に子どもが聞いてもワクワクするようなシーンを絡めながら
すごい物語を書く才能がある
(本当だよね!
ホラが眠りにつくと、灰色の男たちがどこにもない家になだれ込んできました
時計が全て止まっていることに気づいた男たちは、盗める時間がなくなった事を知ります
半狂乱で出ていく男たち
その後をカシオペアを抱いたモモが追います
彼らの貯蔵庫は街外れにあった
凍った時間の花がしまってある巨大な金庫の扉は開きっぱなしです
ためておいた葉巻を長持ちさせるため
男たちは人数を減らすことにします
コインを投げては消すメンバーを決め
ついには6人になりました
モモは残った6人が葉巻を取り出せないように金庫に近づきます
時間の花で触れれば扉が閉まるとカシオペイアが教えてくれたのです
驚いた男たちはモモを捕まえようとするうちに
葉巻を落として次々と消えていきました
ついに最後の一人となった灰色の男がモモに迫ります
「花をよこすんだ!」
最後の灰色の男が消えると、モモは金庫の扉を開けました
閉じ込められていた時間の花は自由になり
元の持ち主の元へと戻っていきます
世界は再び動き出すのでした
伊集院:
なんか意外な終わり方
勝負の付き方
最後の灰色の男の言葉はちょっと意外でした
教授:
モモと灰色の男たちは実際戦ってはいない
どっちかと言うと自滅していってくれた
善が悪に打ち勝つというわけではない
灰色の男達を生んでいるのは
結局我々の心なんだ
こちらの心の持ち方次第で彼らは消えていってしまう
伊集院:
貧富の差や搾取みたいなものが進んでいくと
こういう風になっていくんだろう
搾取される側の人がこれ以上やったら死んじゃいますよ
というところまで搾取してしまうわけじゃないですか
搾取できなくなると共食いが始まる
最終的に虚しさだけが残って死んでいくという
物語としてはめでたしめでたし感があるんだけれども
誰が悪かったのか分からなくなってくる
教授:
悪いやつなんだけれども
灰色の男がいるから時間の根源へ行けたわけです
悪いやつだけど役に立っている
意味があると言うか
こういう職業をしていると、何か症状があったり怖かったりする
困るんだけど、それと向き合うことによって心がもっと豊かになる
もっと何かを知ることができる
毒にも意味があると考えると儚さを感じる
アナ:
物語はこうして終わりを迎えます
モモはこの後友達と再会してお祝いをして
カシオペイアはホラの元に戻ります
これが最後に出ている最終章の挿絵
これでめでたしめでたしと言っていいんでしょうか?
教授:
この灰色の男たちは本当にいなくなったのかというとそうとは言い切れない
それが作者のあとがきに出ている
<作者によるあとがき>
あとがきに潜むエンデのメッセージ
アナ:
つまり過去にあった話とも、将来の予言とも読めるということですよね
教授:
モモっていろんな意味で現代文明の問題というもの
あるいは現代人の心の問題みたいなことを指摘していますが
それって灰色の男がいなくなったから終わったのではなくて
そういうのは繰り返し現れるんだよというようなメッセージとして取れる
伊集院:
若手芸人は常にアルバイトを探しているんですが
定期的なアルバイトには就けないんです
急にオーディションが入ったりするから
時間の調整がすごく難しい中で
例えば食べ物を配達するバイトとかはありがたいんです
空いた時間を全部バイトを入れられるから
ただこれは限りがないんです
本来だったらその時間に本を読もうとか
他のお笑いやコントを見る時間が
全部お金に変わっていく
これが後でどういう影響があるんだろう
すごくいっぱい恩恵を受けているんだけれども
それが行き過ぎた時にどうなるっていう
アナ:
今の現代人はモモのように救えますかね
今まさに時間が止まっているようになっている
伊集院:
モモの役割をしてくれるのは何なんだろう?
買いかぶりかもしれないけれども
本当は芸能とかが多少そういう役目をしているのかも
教授:
豊かな時間を思い起こさせるものって
昔は儀式とか宗教だったんだけれども
それがなくなって、芸能とかいうものは
すごく大事なんじゃないかな
伊集院:
本当はテレビとかもそうなんです
だけどやっぱり気がつくとテレビはお得っていう言葉のスペシャル番組が多い
のんびり見てたら結構時間過ぎちゃったねっていう
テレビの役割も本当はあるのに
皮肉にもこの番組も読むと長くなる本に対して
100分間で教えてくださいっていう番組なんですよ
でも本当に大事なのは、僕は今読み始めたんです
ここをきっかけに皆さん読み始めてもらうと矛盾がなくなると思う
『モモ』✕100分っていう豊かさだと思う
(私は今そうしてるv
教授:
私のやってる心理療法って
夢を聞いたりとか、箱庭を作ってもらったりとかするんですけど
ある種回り道というか
ファンタジーの世界に開けるということが心の本質に届くし
それが思わぬ解決をもたらしてくれるということがあるので
モモもそうだけれどもファンタジーってすごくリアルですよね
架空なんだけれども、だからこそある種の真実を伝えることができる
(だから私も絵本や児童書が大好き
シンプルに普遍的な真実を教えてくれる
伊集院:
いつもは100分が終わってから読み始めるところを
もう読み始めてるんです
より味わいたいから家で音読してるんです
音読すると入ってくる感じがする
本当に奥の深い本でした
この番組の役目をもう1回考えることになりました