素振りブログ。

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スワンプマンは違う人間だと思う

2019年12月03日 04時30分40秒 | 日記
スワンプマンは違う人間なんじゃ無いのかね?
ふとそう思った。

そこまで言って委員会NPでAIが話題に上った際、出演者の一人が「あと10年以内にAIに自我が発生するところまで技術が進歩する」って言ってるのを聞き

「そこまで行けば、AI搭載型人型ロボに自分の意識を移そうって研究が始まってもおかしくないかな」

って思い、どういう具合に意識を乗せ換えるかということを考えたんですわ。
しばらく考えてまず思ったのが、記憶に関しては完コピする必要は無いだろな、ってことで。
理由は「そもそも論として、我々は日常で生涯の記憶を全て寸分違わずに思い出すことは出来るのか?」
大体の人は無理ですよね。で、思い出せない記憶ってのは元々無いのと同じなわけで。
そんな言い方されると抵抗あるのは分かるけど、事実上そう。
つまみ食い状態で、重要そうな記憶のみシナリオ書いて書き込んでおけば大丈夫。
一般常識はまぁ、基本セットみたいなものを作っておいて、それをダウンロードすればまぁ問題は起きない。
で、後は思考パターン、性格。
これが意図的に操作できるような技術が確立すれば、人格の載せ替えが外面的には可能な域に達するんでは無いですかね。

は?
それのどこが意識の載せ替えだ?
記憶はいい加減、一緒なのは性格のみで何が同一人物だ。
それは性格が似ているただのAIじゃないか!!

うん。そう言いたくなるのはわかります。
でもさ。

まず「忘れる」という記憶の欠落は日常でも起きているわけで。
忘れた記憶ってのは元々無いのも一緒。
だったら記憶つまみ食いで何か問題ありますか?
感情は抜きにして。
シナリオを書くなんてことも言いましたけど、書き込まれた側にそれを伝えなければそれは本当の記憶との区別なんてつくわけ無いわけで。

加えて言えば性格に関しても、人生で変遷することは多々ある。
大まかに似ているように見えるレベルにまで持っていければ、そこも問題ない気が。

で、これを載せ替え希望者とその家族に黙って行う。
そうすれば、おそらく誰も気づかない。

当然、AIにも自分が載せ替えだと錯覚させるように仕向ける。

……もしやったらそいつ、死んだら地獄に堕ちるだろうなぁ。
なんて想像したんですよ。興味本位か、介護が必要になった老人を騙して未来の姥捨て山的な意味合いで誰かが始めるとか。

そんな邪悪なシナリオを想像しながら、ふと思った。
だったら「自分」の定義って何なのかな、と。
記憶と性格の一致が自分の定義だとするなら、10年後の自分が果たして今と同じ記憶と性格を維持しているのかといえば、それは保証が出来ないわけですよね。
今考えていることを10年後も覚えている保証は無いわけだし、性格も今と全然違うものになってるかもしれない。(現に、学生時代と今の私は思考パターンだいぶ違ってますし)
じゃあ10年後の私は今の私と別の人間か?って言われると、違うわけですよね。
だから記憶と性格の一致は自分の定義じゃない。そう考えました。

じゃあ何が自分の定義なのか?

思ったんですが、私は「同じ肉体に搭載され続けてきた精神」だと考えましたわ。
持って生まれて来た肉体に、生まれてから現在までの一本の川のように連なった歴史を刻んできた精神を「自分」って言うのでは。
そこがぶった切られている以上、人格を載せ替えたと称するAIは、自分では無い。

その視点に立つと、スワンプマンは別人になるよな。(ここで最初の一言に戻る)
(スワンプマン……沼に立ち寄った男が落雷に撃たれて不幸にも死んでしまうが、そこで不思議な現象が起こり、沼の泥が男と同じ性格と記憶、肉体を持った存在に変化。その変化存在・スワンプマンは、落雷で死んだ男と同じ存在か?っていう思考実験のネタ)