素振りブログ。

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サタノファニ読んで思った

2017年03月13日 20時02分36秒 | 日記
今週のヤンマガで、エデンの檻の山田センセの新作「サタノファニ」がはじまりましたが。

主人公が裁判にかけられるシーンで。

「人殺し!!」「息子を返せ!!」「死刑にしろ!!」

ちょっと待て。
お前らの姉や子供が殺されたの、ほぼ自業自得じゃねーか!

女の子を騙して無理矢理部屋に連れ込んで。
輪姦しようとしておいて。
反撃されてぶち殺されたわけでしょ?

やった男は言うに及ばず。
連れ込みに金で協力した女も、殺されるに足る罪を犯しているよな。

と、思った。

でもま、これがそう思えるの、主人公のレイプ(未遂)ビデオっていう動かぬ証拠があるせいですよな。
もし仮に、動かぬ証拠なんてものが無く、「レイプされかけました」という主人公の証言だけだったら。

人を5人も殺しておいて、自分の罪を軽くするために、強姦被害者を装っている性悪女。

ってハタ目からは見えるかもしれないわけで。
そうすると、さっきの「人殺し!!」発言も、ある意味真っ当な遺族の叫びになるかもしれない。

真実はほぼ自業自得なのに、それに関する証拠が無いせいで、不当に重い罪で裁かれる。
それって正義なの?

この辺で、私は「裁判はやったことの事実関係を争うべきで、正義の追及は(全くしなくていいとまでは言わんけど)するべきじゃない」と、不愉快ながら思うに至った次第。
だって分からないもんなぁ;

どれがサタノファニみたいなケースなのか、なんて。神様じゃ無いんだから。
(無論、絶対サタノファニじゃないってケースも存在するわけですが)
だったら事実関係だけ争って、犯罪を犯してしまうような欠陥品の精神を修理する、という設定にした方がいい。
非常に不愉快ですけど。

それに、正義をメインにしてしまうと。
裁判が相手の落ち度の非難合戦になって。

最終的に裁判が「度胸のあるヤツと演技力のあるヤツが勝つ」もんになってしまうと思うんですよね。
それ、絶対おかしいでしょ。