3月になった。今年は裏山で、ウグイスの声を聴かない。どうしたことか。
桜の開花もまだまだ。以前は、地域おこし一貫とやらで名札を付けた桜の植樹があり、老いも若きも裏山に樹を植えて、数年後、ちらほらその桜の木から花も咲いたが、もともと、海沿いの地で塩害もあるのか、みんな枯れてしまって、やはり山は、雑木林のままのぱっとしない景色のままなのだ。儀式として、桜さえ植えればなんとかなる。田舎町のそんな小役人の発想がきっかけなのだろうが、そうはいくか、そんな発想で桜が根付けば、どこもかしこも春は桜だらけになるではないか。
植物は移動できないので、植えられた場所の環境に適応できなければ枯れるか、それでも小さな花を咲かすかどっちなのだ。半島の突端、どの方角からでも潮風は吹いてくる。しかし、いつもの散歩コース、石積みの港の奥にある、海技学院(明治の役場後)の庭の横に、いつもささやかな花を咲かす桜の古木があった。その建物はすでに100年は経っているので、その古木もそれくらいの年輪は増しているはずだ。もちろん桜の大樹ではない。何とか、枝をよじりながらようやく生き延びたような風情の面持ちなのだ。春になればその樹にも桜がささやかに咲き、その花にも、ウグイスだのメジロだの、生まれたばかりの小鳥が集まり蜜を吸うのだ。桜にしても野鳥にしても、なんとかそうして命のサイクルを回して来た歴史がある。
うちの庭の桜は今、満開だ。母屋と塀の間のほんの隙間に人の背丈ほどの桜の樹があり、これもどういうサイクルか分からないが、こんな小さな桜の樹にも、年によってはサクランボウが数えきれないほど実る時がある。姉がおそらく30年ほど前に植木市で買った桜を植え、これが頑張って毎年咲くのだ。我が家は国道を挟んですぐ、海。台風時は、潮そのものが家を襲ってくる。車のフロントガラスも洗わないと普段から塩で真っ白になる。そんな過酷な場所でも桜は咲く。
こんな半島の突端のどんづまりの場所に嫌気も差して、余生は好きなところに行って生活したいと思うこの頃。その為には、生まれ育った家も捨てねばならぬ。入れ替り、妹が帰ればいいけど。桜を植えた姉が、亡くなってから、つまり、30年は経つのだけど。桜の花は毎年咲くのだが、今回だけは、何故か写真を撮り記録しようと思った。桜の花を美しく撮ろうとすればするほど、難しい。