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矢部のつくりもん。

2017年09月06日 | Weblog

9月3日は矢部(現山都町)の八朔祭りに出かけた。今から約250年前、江戸中期の頃から始まった祭りで、祭りの一番の見ものは各町内で作った大造り物の引き回しだ。木の皮とか松ぼっくりとか自然の素材だけで手作りされた造り物が、山間の町の商店街を練り歩く姿は八朔祭りならではの景色だ。今どきのなんとかフェスティバルとか、どこにでもあるようなヘラヘラの地域おこしの祭りとは全然違う、歴史ある祭りなのだ。

矢部町は結構な山奥にある町で、今でこそ開けて大きな道が通っているけど、それまでは熊本市内から相当の山道を登ってこなければ、なかなかたどり着かない場所だった。熊本から宮崎への山越え時に、ちょうど休憩、投宿する場所にあったのだろう。当時は相当栄えていた町で、その風情が今も残っている。町内には巨大な石橋、通潤橋もあり、農業もその橋(用水路)の規模が示すような盛んな地域なのだ。

この町に生まれた人は、ものこころつく前から、大造物と一緒にある。気が付けばじいちゃん、親父たちが祭りの前になると、コツコツ、人の背丈を超える巨大な龍だの、蛇だの組み立てているのだ。他の町内が何を作っているのかは秘密なのだ。今年はどの町が金賞をとるのか?町には酒蔵もあり、祭りの前後はみんな日常とは違う時間に酔いしれていたのだろう。毎年毎年…言わば死ぬまで…今年は何をつくろうか考え続ける。町自体が想像する町なのだ。(たぶん長寿)







で、今年の出し物は、歌舞伎の海老蔵に大ゴリラに小ゴリラ、カマキリ…怪獣ラドン(?)…ワニにドラえもん、美女と野獣に海賊…町の軒先から、出てくる出てくる異形の神々。個人的にはカマキリが大好きで、人ゴミみをかき分け、カマキリがそろそろと歩く姿が何ともかわいい。(残念?ながら人を襲うようにはみえない)

金賞は海老蔵がさらっていったけど、造り物一同、町内にそのまま展示されて、祭りのあともその賑わいのかけらを感じることができる。今や数メートルを超える造り物も、祭りの初期は小さなお飾り程度のものだったらしい。この町には、他の町にはない、何か引き継がれてきた、人の気配のようなものがあるのだろうな。金賞を逃した町の若者はその夜、苦くても美味しい地酒を飲むのだろう。



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