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帰り道。

2018年12月13日 | Weblog
最近、JRや快速バスで通勤し始めて、熊本の街中をうろつく時間が増えてきた。前回のブログでも書いたけど、もともと、せっかちな性格で、薬の副作用もあるのか、攻撃的な気分にもなる。

まず、列車の席についてすぐ、スマホをいじるのを止めろー!(キャー)
若い連中はともかくおじさん、おばさんまでいじるのを止めろー!(キャー)
しかも、無言で、不機嫌な顔で!なに検索してるねん!(キャー!)

かくいう自分もいつの間にか、暇つぶしで、頭に浮かんだ言葉を検索している。(ギャー)
もう、ぜったい、検索するな、他人を詮索するな、自己よ、がまんせよ。

朝、まず僕を不機嫌にするのが、JR三角駅に設置された、ウキモビなる看板だ。
どこのバカ(相当なおつむの持ち主)が発想したのか、我が寂れに寂れた終着駅、三角駅に、ウキモビ(駅前で、セグウエイ、電気自動車を貸し出します)という、大馬鹿企画なのだ。新聞には書いてもらったが、そもそも猫一匹、歩いていない駅で、誰が、セグウエイに乗るもんか。毎朝、その看板を杖でたたき壊したくなるのだが、誰もも見ていない寂しさに一人、寂しく自販機でお茶を買い駅員に改札口で目礼するのである。

熊本駅に着いたら害獣だらけで、僕の気分は更にふさぎ込む。害獣とは、くまモンなる、クマの太った、目が怖い、ぬいぐるみのなりそこないだ。右に左に僕はそこらじゅうにころがる害獣のポスターを杖で叩きつけたくなる。もういい加減に害獣の駆除を始めよ。熊本の景観、環境をあの害獣が居る事で、めちゃくちゃにされているではないか。熊本の心あるデザイナーのみんな、もう害獣駆除運動を始めよ。どこの県で、あんなマンガ・クマがごろごろのさばっているのだ。京都にあんな害獣がでたら、京都の文化猟友会が即、駆除するにちがいない。
それほど、熊本に他県に誇る歴史、文化も存在しないのだ。熊本県民よ、みなさんは馬鹿にされているのですよ。最近はハンドボールの世界大会のポスターにまで採用されているが、過去の熊本県での世界大会クラスのポスターのデザインレベルと比較して見ろ。各デザイナーの感覚がまっとうにせめぎあっていたではないか。それが害獣がボール持ったデザイン案が採用されているなんて、熊本のデザイン界の恥そのものではないか。

そもそも東京からやってきた害獣の発案者(コヤマナントカ)を田舎者が持ち上げすぎたからおかしいのだ。その馬鹿は、調子にのり、以前、天草をサンタクロースの聖地にするなど言い出した。いいかげんにしろ!と天草の爺さんたち、お寺、仏教徒は本気で怒るべきだったのだ。更に子供たちに勉強会まで強制した。どういうアイデァで天草をサンタさんの聖地にできるでしょうか。流石に何年やっても、どれだけお金をかけても、天草にサンタの聖地が浸透するわけではなく、さんざん人の頭を混乱させて最近企画が撤退したようだがね。

駅の階段のポスターを見て更に僕は絶句する。再建中の熊本城の写真の横に、くそみたいな書体で「建つんだ城(ジョー!)とコピーが書かれてある。そのポスターの横で、そのデザイナーと担当者は、クックッと笑っている姿が頭に浮かぶ。そんなのシャレでもなんでもない、子供落書き以下、ポスターのクリエーティブは恥を知ろと思う。誰に笑ってもらいたくてそんなデザインにしたのか。

害獣の前に害人もいて(タケダナントカ)、暴走族のクセ字のような、ニセ書道家が居て、あの胸が悪くなるよう気色の悪い字が、熊本県内にひと時あふれた時も、僕の頭を混乱させた。書道家は字が下手なわりに話がうまく(顔はにやけて下ぶくれ)、それで批判をごまかしてきたが、害獣と害字がタッグを組んだら、僕は熊本を出る。

誰も本当のことを言わない、語らない街は廃れるのが早い。冬の夕暮れ、僕は一人よろよろ、杖をついて交通センターのバス乗り場に向かう。熊本の誇るアーケード街には、ドン・キホーテだのマツモトキヨシだの、外人目当ての免税店の騒がしく、ケバケバシイ看板が人を誘う。何が城下町なものか。ほとんど地元の店は消え、他県のてチェーン店ばかりではないか。これでは、期待してやってきた、外人もがっくりだぜ。安売りのこの軽薄な騒がしさには、闇も文化もない。「負んばい熊本」という皮肉な看板がべたべた張られたパチンコ屋の角を曲がればバス乗り場だ。

バスに乗り込み、屈辱にも、僕は首に下げた、強制的に買わされた「害獣くまモンのICカード」をぱちりと当てて残金を確かめ、今日も帰路に着くのである。(キャー)

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