宮本太郎氏の歴史への視線
最近、府立の大きい図書館に行く機会があったので、宮本太郎『福祉国家という戦略 スウェーデンモデルの政治経済学』(1999年)という本を借りて来て読んだ。
たとえば濱口桂一郎氏の著作にも感じることだが、宮本太郎氏の著作に私は「歴史」への視線の「熱さ」を感じる。つまり、「歴史」重視のスタンスを感じる。そこを信頼して私は読んでいる。
スウェーデンといえば左翼・リベラルな人の得意分野という感じだが、左翼・リベラルの人って、学者でも往々にして「歴史」を軽視することが多い。しかし「歴史重視」の態度により、「モデル」や「図式」に偏りすぎず、「制度」や「政治」に対する「分厚い」ものの見方ができるようになる。
たとえば昔の左翼の親分、丸山真男は、歴史を決しておろそかに扱ったりはしなかったはずだ。
(と、思う。よく知らないけど。江戸時代の荻生徂徠とか福沢諭吉に関して詳しかったでしょ)
でもそれ以来、左翼の人たちはイデオロギー的・図式的なものの見方をすることが多くなってしまった。
まあ、歴史というのは時系列順の「物語」なので、私のような専門外の人間としては単純に「読みやすい」ということが最も大きいのだが。
「数式」満載の「経済学」の専門書なんて、私には読みこなせないし。
この本『福祉国家という戦略』は、スウェーデン政治の「闇」の部分といわれるもの、私でもチラホラとうわさには聞く、あの「強制不妊手術」の問題についても何ページか割いて解説している。
「強制不妊手術」というのは、障害者が生まれることを防ぐために、スウェーデン国家が強制的に、国民に断種手術を行った、というもの。まるでナチスの優生学だね。
こんなこともあったんだね、スウェーデンって。怖いなぁ。
スウェーデンに対して持つイメージが変わる。
スウェーデン福祉国家を支えてきたのは、政治家の「ヴィルトゥ」(力量)だった
イメージが変わるといえば、この本を読むと、スウェーデンの政治家たちが決してイメージにあるような、「人の良い優等生」というわけではなく、ましてや日本の社民党の福島みずほさんのような「学校の先生」タイプでもなく、政治家としての力量をもって、いろいろと政治的駆け引きを繰り返してきた、ということがわかってくる。この本を読んだ収穫をひとことで言えば、それである。
この本の「はしがき」で、宮本太郎氏はスウェーデン研究に関心を持ったきっかけについて述べている。結局スウェーデンの福祉国家を動かしてきたのは「図式」や「モデル」ではなく、政治家達の「ヴィルトゥ(政治的力量)」だった、と。
(以下、宮本太郎『福祉国家という戦略』の「はしがき」より抜粋する)
>私が、とかく優等生に見られがちなスウェーデン福祉国家に関心をもったのは、あまり素直ではない視点からであった。スウェーデンという国のひたすら真面目な相貌の背後に、意表をつく大胆な制度上の仕掛けや高度な政治的駆け引き等、もっと興味深い「別の顔」が見え隠れするように思われたのである。スウェーデン福祉国家はなぜ可能であったか、そこから何を教訓としうるかを考える場合、このもう一つの顔がとても重要であるように思われた。
>今振り返ればこのような見方は的外れではなかった。福祉国家のスウェーデンモデルは、公正か効率か、市場か政府か、福祉か経済かといった単純な二項対立を超えた、一筋縄ではいかないシステムであった。
>「常識」からすれば浮かぶはずのないものが空を飛んでいたら、何かよほどの仕掛けがあると考えるべきではないか。
>また、かかるシステムが形成されてきたそのプロセスが、勤勉な優等生の歩みというよりは、スリリングな「政治」の連続であった。ずいぶん危ない橋を渡り、少なからぬ代償も支払ってきたようにも思う。しかし、あらゆる手段を尽くしてその理念を現実に移そうとする強固な意志が存在したこと、さらにそれを可能にするヴィルトゥ=政治的技量があったことは見ておいてもよい。
>要するに、そのシステムという点でも、プロセスという点でも、福祉国家のスウェーデンモデルはきわめて戦略的な思考の産物であった。
こういう視点で本書は書かれているわけだが、この「一筋縄ではいかないシステム」を巡る政治家達の物語で私がいちばん面白いなと思ったのは、「第四章 スウェーデンモデルの揺らぎ」というところだ。
-1980年代になると、世界の経済状況が変わってきて、スウェーデンの福祉政治もグラグラと揺れ動きはじめた。社民党や労働者側は、70年代頃から「労働者基金」という社会主義的な制度を作ろうとしていたが、社民党が1976年の選挙で負けてしまって一旦ご破算になってしまう。そこから労働者側とも協議を続けながら、妥協に次ぐ妥協を重ね、捲土重来、1982 年の選挙に勝って6年ぶりに社民党は政権復帰した。そのときに提出した「労働者基金」法案はしかし、もはや変わり果てた姿となっており、当初のプランとは全然別のものとなっていた。それでも無理矢理、社民党は「労働者基金」法案を国会で通す。
このあたりの描写がスリリング。与党である社民党は、自ら法案を通しながら忸怩たるものがあったらしい。こんな描写がある。
>同年(1982年)12月21日、スウェーデン議会は、二日間に渡る討論の末、労働者基金法案を賛成164、反対158で可決した。ただし、社民党-LOブロックに勝利感は希薄であった。基金法案の審議中、一地方紙のカメラマンの望遠レンズは、偶然、同法案の趣旨説明をしたばかりの大蔵大臣フェルトが手元の書類に記した走り書きをカメラに収めた。そこには「労働者基金はクズだ。OK。クズをここまでひきずってきた」とあったのである。(217p)
自分で法案通しておきながら、社民党の大臣が「こんな法律はクズだ」とつぶやいている。このあたりのやりとりが「読み物」としてドキドキしてしまうところだ。
…図書館では、この本のほかにも、濱口桂一郎氏の『労働法政策』(2004年)という本も借りてきた。こちらは私の以降の記事で、備忘録としていくらか文章を抜粋しておくことにする。
関連記事:秋葉原事件と承認問題-宮本太郎『生活保障』より 2010年01月16日
(→秋葉原殺傷事件と「承認問題」に関する宮本太郎氏の考え方を抜粋しています。)
最近、府立の大きい図書館に行く機会があったので、宮本太郎『福祉国家という戦略 スウェーデンモデルの政治経済学』(1999年)という本を借りて来て読んだ。
たとえば濱口桂一郎氏の著作にも感じることだが、宮本太郎氏の著作に私は「歴史」への視線の「熱さ」を感じる。つまり、「歴史」重視のスタンスを感じる。そこを信頼して私は読んでいる。
スウェーデンといえば左翼・リベラルな人の得意分野という感じだが、左翼・リベラルの人って、学者でも往々にして「歴史」を軽視することが多い。しかし「歴史重視」の態度により、「モデル」や「図式」に偏りすぎず、「制度」や「政治」に対する「分厚い」ものの見方ができるようになる。
たとえば昔の左翼の親分、丸山真男は、歴史を決しておろそかに扱ったりはしなかったはずだ。
(と、思う。よく知らないけど。江戸時代の荻生徂徠とか福沢諭吉に関して詳しかったでしょ)
でもそれ以来、左翼の人たちはイデオロギー的・図式的なものの見方をすることが多くなってしまった。
まあ、歴史というのは時系列順の「物語」なので、私のような専門外の人間としては単純に「読みやすい」ということが最も大きいのだが。
「数式」満載の「経済学」の専門書なんて、私には読みこなせないし。
この本『福祉国家という戦略』は、スウェーデン政治の「闇」の部分といわれるもの、私でもチラホラとうわさには聞く、あの「強制不妊手術」の問題についても何ページか割いて解説している。
「強制不妊手術」というのは、障害者が生まれることを防ぐために、スウェーデン国家が強制的に、国民に断種手術を行った、というもの。まるでナチスの優生学だね。
こんなこともあったんだね、スウェーデンって。怖いなぁ。
スウェーデンに対して持つイメージが変わる。
スウェーデン福祉国家を支えてきたのは、政治家の「ヴィルトゥ」(力量)だった
イメージが変わるといえば、この本を読むと、スウェーデンの政治家たちが決してイメージにあるような、「人の良い優等生」というわけではなく、ましてや日本の社民党の福島みずほさんのような「学校の先生」タイプでもなく、政治家としての力量をもって、いろいろと政治的駆け引きを繰り返してきた、ということがわかってくる。この本を読んだ収穫をひとことで言えば、それである。
この本の「はしがき」で、宮本太郎氏はスウェーデン研究に関心を持ったきっかけについて述べている。結局スウェーデンの福祉国家を動かしてきたのは「図式」や「モデル」ではなく、政治家達の「ヴィルトゥ(政治的力量)」だった、と。
(以下、宮本太郎『福祉国家という戦略』の「はしがき」より抜粋する)
>私が、とかく優等生に見られがちなスウェーデン福祉国家に関心をもったのは、あまり素直ではない視点からであった。スウェーデンという国のひたすら真面目な相貌の背後に、意表をつく大胆な制度上の仕掛けや高度な政治的駆け引き等、もっと興味深い「別の顔」が見え隠れするように思われたのである。スウェーデン福祉国家はなぜ可能であったか、そこから何を教訓としうるかを考える場合、このもう一つの顔がとても重要であるように思われた。
>今振り返ればこのような見方は的外れではなかった。福祉国家のスウェーデンモデルは、公正か効率か、市場か政府か、福祉か経済かといった単純な二項対立を超えた、一筋縄ではいかないシステムであった。
>「常識」からすれば浮かぶはずのないものが空を飛んでいたら、何かよほどの仕掛けがあると考えるべきではないか。
>また、かかるシステムが形成されてきたそのプロセスが、勤勉な優等生の歩みというよりは、スリリングな「政治」の連続であった。ずいぶん危ない橋を渡り、少なからぬ代償も支払ってきたようにも思う。しかし、あらゆる手段を尽くしてその理念を現実に移そうとする強固な意志が存在したこと、さらにそれを可能にするヴィルトゥ=政治的技量があったことは見ておいてもよい。
>要するに、そのシステムという点でも、プロセスという点でも、福祉国家のスウェーデンモデルはきわめて戦略的な思考の産物であった。
こういう視点で本書は書かれているわけだが、この「一筋縄ではいかないシステム」を巡る政治家達の物語で私がいちばん面白いなと思ったのは、「第四章 スウェーデンモデルの揺らぎ」というところだ。
-1980年代になると、世界の経済状況が変わってきて、スウェーデンの福祉政治もグラグラと揺れ動きはじめた。社民党や労働者側は、70年代頃から「労働者基金」という社会主義的な制度を作ろうとしていたが、社民党が1976年の選挙で負けてしまって一旦ご破算になってしまう。そこから労働者側とも協議を続けながら、妥協に次ぐ妥協を重ね、捲土重来、1982 年の選挙に勝って6年ぶりに社民党は政権復帰した。そのときに提出した「労働者基金」法案はしかし、もはや変わり果てた姿となっており、当初のプランとは全然別のものとなっていた。それでも無理矢理、社民党は「労働者基金」法案を国会で通す。
このあたりの描写がスリリング。与党である社民党は、自ら法案を通しながら忸怩たるものがあったらしい。こんな描写がある。
>同年(1982年)12月21日、スウェーデン議会は、二日間に渡る討論の末、労働者基金法案を賛成164、反対158で可決した。ただし、社民党-LOブロックに勝利感は希薄であった。基金法案の審議中、一地方紙のカメラマンの望遠レンズは、偶然、同法案の趣旨説明をしたばかりの大蔵大臣フェルトが手元の書類に記した走り書きをカメラに収めた。そこには「労働者基金はクズだ。OK。クズをここまでひきずってきた」とあったのである。(217p)
自分で法案通しておきながら、社民党の大臣が「こんな法律はクズだ」とつぶやいている。このあたりのやりとりが「読み物」としてドキドキしてしまうところだ。
…図書館では、この本のほかにも、濱口桂一郎氏の『労働法政策』(2004年)という本も借りてきた。こちらは私の以降の記事で、備忘録としていくらか文章を抜粋しておくことにする。
関連記事:秋葉原事件と承認問題-宮本太郎『生活保障』より 2010年01月16日
(→秋葉原殺傷事件と「承認問題」に関する宮本太郎氏の考え方を抜粋しています。)