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昔の厚生官僚は偉かった!― 富永健一『社会変動の中の福祉国家』より

2010年01月19日 | 労働・福祉
前項の記事は、昔の自民党は偉かった、父よ、あなたは強かった-、といった内容だった。今回は、公務員、官僚の話。
たとえば最近国民の憎悪・怨嗟の的になってて、「あなたたちはもしかしてナマハゲなのか?」状態に陥っている厚生官僚たち。

私がいた職場でも、ほぼ毎日、公務員の悪口を言ってる人がいた。もはや「あいさつ」代わりなのである。
「共同体」のコミュニケーションをスムーズにするために公務員に「諸悪」を押しつけるという構図が、私には「ナマハゲ」っぽく見えるのである。
他県のことは知らないが、大阪では特に公務員バッシングが強いようにも感じられる。

でも、われわれは、彼らが作った諸制度から今も恩恵を受け続けている。
私が言いたいのは、誰のおかげで医療を受け、失業手当を頂き、年金をもらったりできているんだ? ということだ。

50年単位で見れば、マイナスよりプラスのほうが大きかった。
自民党だって同じだ。
私の感触では、自民党のマイナスがだんだん大きくなってきたのは、80年代、90年代以降のことにすぎない。

富永健一氏の『社会変動の中の福祉国家』(中公新書 2001年)は、厚生官僚の役割を高く評価している。
私もそうだと思う。彼らがいなければ今、介護保険制度だってロクに整備されてなかったかもしれないんだよ。
一体どんなことになっていたか。

だから、嫌かもしれないが、昔の官僚たちに感謝しましょう。

以下、 富永健一『社会変動の中の福祉国家』(2001年)より

>私は日本福祉国家を「ハイブリッド型」としたが、日本はあえていえば「後発産業国型」なのである。日本の産業化は遅れて出発して先進諸国に追いつくことをめざしたがゆえに、「官僚主導型」になった。日本の福祉国家づくりもまた、その一環として、官僚主導型でここまでやってきた。ここで日本官僚制の総合評価を下す用意はないが、少なくとも日本が福祉国家の仲間入りをするまでになったのは厚生行政の主導によるものであり、そのかぎりで日本の厚生行政は立派な仕事をしてきたことを認めるべきである。離合集散の激しい諸政党が定見をもたず、とりわけ自民党もかつての社会党もともに福祉の確実な推進者にならない中にあって、厚生省は、高度の国家的使命意識をもって、国民のために福祉政策を用意してきた。日本が福祉国家になったのは、その産物である。政権政党としての自民党には、福祉国家化の推進に貢献した人もいたが、それに反対の人も多かった。そのような自民党政権が福祉国家づくりの担い手になり得たのは、官僚に依存してきたからである。これは一つの歴史的事実である。かつて「清廉」といわれた日本の官僚にも汚職事件がふえ(とりわけ厚生省には 1998年に岡光政務次官の汚職があった)、公庫・公団・事業団などの「特殊法人」のように改革を必要とする多くの問題がある。とはいえ、日本の厚生行政のすぐれた業績の遺産を評価することは、エスピン-アンデルセンの三類型の中にはない日本の独自性に着眼することにほかならない。(富永健一『社会変動の中の福祉国家』220p-221p)