ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

「苦しいです。サンタマリア」を思い出すー北村嘉蔵『神の痛みの神学』

2010年02月27日 | 宗教・スピリチュアル
一体、どんな人たちが読んできたのだろう。・・・北森嘉蔵『神の痛みの神学』


近所の市立図書館の「書庫」から、日本のキリスト教神学者の著作、北森嘉蔵『神の痛みの神学』(1981年、初版1946年)という本を借り出した。

走り読みにすぎなかったが、一応目を通した。

この本は、1981年出版の本で、最後のページに、今のシステムではもうない「図書館カード」の記録が残っていた。

図書館カードの「本の返却期日」にハンコが押してある。

昭和57年12月23日
昭和58年1月27日
昭和59年3月22日
昭和61年1月12日
昭和61年3月9日
昭和61年5月10日
昭和61年5月24日
昭和61年6月7日
昭和61年9月27日
昭和63年11月17日

この時期に、こんなキリスト教神学の「辛気臭い」本を借り出していたのは、一体どういう人たちなのだろうか。

1986年(昭和61年)に「6回」借り出されているのだが、翌年には「0回」、翌々年には「1回」となって、それ以来借り出しが少なくなったので、「書庫」にしまわれることになったのだろうか。

なんとなくこの本のそういう「歴史」を想像してしまう。


「神の痛み」。ー日本人の人間関係の「つらさ」。ー「オツベルと象」。


私が北森嘉蔵という名前を知ったのは、マクグラスの『キリスト教神学入門』で、『神の痛みの神学』は、欧米のキリスト教会にもかなり影響を与えた本らしい。

20世紀後半の神学では、伝統的な神の「不可受苦性」への懐疑が生まれ、「苦しむ神」という概念への注目が集まった。「神の痛みの神学」も、その流れの一つであったらしい。

マクグラスは、

>「苦しむ神」の神学的意義についての議論に貢献したものの中で、次の二つが特に重要である。

として、

1.ユルゲン・モルトマン『十字架につけられた神』(1974年)
2.北村嘉蔵『神の痛みの神学』(1946年)

を挙げている。

今回、私の目に留まったのは、「神の痛み」と日本人の「人間関係」における「つらさ」との関連が述べられている箇所だった。

北森は、日本の文芸上、悲劇の特徴は「人間関係の悲劇」だった、と言う。それが日本人の心にある「つらさ」であり、それは「神の痛み」と言うときの「痛み」と対応している、と言う。

「苦しみ」でも「哀しみ」でもなく、「つらさ」なのだ。

>日本の悲劇は他の国の悲劇と著しく相違せる性格をもっている。他の国の悲劇が多くの場合事件の悲劇や性格の悲劇であるに対して、日本の悲劇はいわば人間関係の悲劇とも称すべきものである。

>この人間関係はつらさという日本特有の言葉によって表現される如きものである。(辛さは苦しさでもなく悲しさでもない)。日本的人間の深さはこの「つらさ」において極まる。日本的にいって深さのある人間、「もののわかる」人間は、このつらさのわかる人間である。つらさのわからぬ人間は、浅い人間であり、「味気ない」人間であり、要するに日本人らしくない人間である。そして市井の民の方が上層の人間よりかえってこの点において感覚が鋭敏である。

>日本のこころは日本の庶民の心に代表され、庶民の心は日本の悲劇文学の中に芸術表現を見、日本悲劇の根本性格は「つらさ」において極まる。さてこの「つらさ」を今少しく一般的な言葉にいい直すならば、痛みという言葉が選ばれるであろう。そしてここに確言し得ることは、日本悲劇の唯一の関心事たる痛みこそ、我々の主題たる神の痛みに最も深く呼応するということである。(北村嘉蔵『神の痛みの神学』より)

これを読んだ私には、なぜだか宮沢賢治の「オツベルと象」が思い出された。

中学校の頃だったか、国語の教科書に載っていた文章である。

それ以来、私の中で「つらい」という言葉は、「苦しいです、サンタマリア」という「オツベルと象」に出てくるあの言葉と結びついてしまうのだ。
それが「助けて、サンタマリヤ」という言葉に変形されていることもある。

ある晩、象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。
こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒れて地べたに座り、藁もたべずに、十一日の月を見て、
「もう、さようなら、サンタマリア。」と斯う言った。
「おや、何だって? さよならだ?」月が俄かに象に訊く。
「ええ、さよならです。サンタマリア。」
・・・・・・・・・・・・・

関連記事:カラマーゾフの叫びは「唯一の真剣な無神論」―マクグラス『キリスト教神学入門』より 2010年01月28日
(→20世紀後半の「神の不可受苦性」から「苦しむ神」への転換について。)

「仏教」がやっと駅前の本屋で買える!-平井俊榮・訳注『般若経』(ちくま学芸文庫)

2010年02月20日 | 宗教・スピリチュアル
駅前の本屋、キオスク、市立図書館等にもっと仏典を!


このようなコンパクトな「般若経典」が出るのを待っていた。

私には、仏典に「訓読文」が付いていることが重要なのだが、

その点、平井俊榮訳注『般若経(般若心経・金剛般若経・大品般若経)』 (ちくま学芸文庫 2009年) は申し分ない。

そもそも、ちくま学芸文庫は、『空海コレクション』 のシリーズを出したときから「すげえ」と思っていた。

私は日頃、過去の仏教の遺産がまだいっぱい残っているはずのこの日本で、たとえば「ブラリと立ち寄る駅前の本屋で買える本」として、仏典類があまりにも少ないことに不満や憂愁の念を抱いていた。

中途半端な仏教の「解説書」は多いんだけれど、そもそもそれらの基になるエッセンス類、「仏典」が少なすぎるのだ。

たとえばギリシャ神話とか聖書、西洋の哲学書の古典などは、駅前の本屋で文庫本で手に入れることは今の日本、そう困難なことではない。それらと比べると、仏教に関して古典へのアクセス可能性が薄すぎるのだ。仏典見たかったら大きな図書館へ行くか、何万円か払って購入しないといけない。
こんな状況で、日本が「とりあえず大乗仏教がさかんな国」だと言えるのか。

そういう状況が、少しづつマシになってきているようなので、よかった。

慶賀すべきことである。


西暦2世紀頃ー「さあ、俺たちの大乗仏教を広めよう!」ーやる気満々、開始早々、いきなりこんなこと言われたら・・・「菩薩」と言っても「名前」だけ。「衆生」と言っても「名前」だけ。「救い」と言っても「名前」だけ。汝らはこのことを知るように。・・・(´・ω・`)信者ショボーン


2世紀頃に、大乗仏教運動が起こって、そこで「般若経」の思想が生まれた。

「衆生」の救済を目指す「菩薩」たちの活動がさかんになった。
それらの活動と思想は、1000年以上の期間をかけて、日本にも多大な影響を及ぼした。
そのさなか、恐ろしいことに般若経典は、「菩薩というのは名前にすぎない。実際には存在しない。衆生というのも名前にすぎない。実際には存在しない。」などという「救済活動」に冷や水をぶっかけるような言葉で始まっている。

こんな宗教が、かつてあっただろうか。自分達の言葉遣い、スローガンを否定するところから「救済運動」が始まっているような宗教が。

たとえば、キリスト教の聖書や神学書に、「イエス・キリストは名のみの存在であり、イエス・キリストという男は存在しない。同じく聖霊や神も存在しない。三位一体とは、縁起のことにすぎない。」なんていう言葉が書かれていたら、どうだろうか。こんな文章を読んだらイエズス会の宣教師などは、何か「やる気」がなくなって、「宣教の意欲」が削がれてしまうのではないか。

しかし、それこそが「空」を掲げ、布教された各地でメタモルフォーゼを続けながら、ダイナミックな「転法輪」(ローリング・ストーン)を展開した、仏教の最初の姿なのである。
私は改めて、このことに驚く。


『大品般若経』ー「般若波羅蜜を行じて、我を見ず、衆生を見ず」


『大品般若経』習応品より

仏、舍利弗に告げたもう、「菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ずる時、応に是の如く思惟すべし。

菩薩は但だ名字のみ有り、仏も亦た但だ字のみ有り、般若波羅蜜も亦た但だ字のみ有り、色も但だ字のみ有り、受・想・行・識も亦た但だ字のみ有り。

舍利弗よ、我の如きは但だ字のみ有り、一切の我は常に不可得なり。
衆生・壽者・命者・生者・養育・衆数・人者・作者・使作者・起者・使起者・受者・使受者・知者・見者、是の一切は皆な不可得なり。

不可得空なるが故に、但だ名字を以て説くのみ。

菩薩摩訶薩も亦た是の如し。般若波羅蜜を行じて、我を見ず、衆生を見ず、乃至、知者・見者を見ず、所説の名字も亦た見るべからず。

菩薩摩訶薩は、是の如く般若波羅蜜を行ずることを作す。

仏の智慧を除けば、一切声聞・辟支仏の上に過ぐるものなり。

不可得空を用っての故に。
所以(ゆえん)は何(いか)んとならば、是の菩薩摩訶薩は、諸の名字、法の名字、所著の処も亦た不可得なるが故なり。

舍利弗よ、菩薩摩訶薩は、能く是の如く行ずるを、般若波羅蜜を行ずと為す。」

(『般若経』 (ちくま学芸文庫)138p-139pより)


常啼菩薩ー「空閑林の中に於いて、空中の声の言うを聞く」


『般若経』のうち、「物語」風味のものとしては、常啼菩薩(じょうたいぼさつ)の話が印象深かった。彼はあるとき「空中の声」を聞いて般若波羅蜜の教えを求める旅に出る。「なぜ私はあの時、空中の声に聞かなかったのだろうか」いきなり後悔して憂愁に沈む、常啼菩薩。

『大品般若経』常啼品より

薩陀波崙菩薩(さつだはろんぼさつ)=常啼菩薩(じょうたいぼさつ)

空閑林(くうげんりん)の中に於いて、空中の声の言うを聞く、『汝善男子、是より東して行け。疲極(ひごく)を念ずること莫かれ、睡眠を念ずること莫かれ、飲食(おんじき)を念ずること莫かれ、昼夜を念ずること莫かれ、寒熱を念ずること莫かれ、内外(ないげ)を念ずること莫かれ。

善男子よ、行く時に左右を観ずること莫かれ、汝行く時に身相を壊(え)すること莫かれ、色相を壊すること莫かれ、受・想・行・識の相を壊すること莫かれ。

何を以ての故にとならば、若し是の諸(もろもろ)の相を壊するときは、仏法中に於いて則ち礙(さわり)有りと為せばなり。若し仏法中に於いて礙有るときは、便ち五道生死の中に往来し、亦た般若波羅蜜を得ること能わざるなり。』

(『般若経』 (ちくま学芸文庫)339pより)


常啼菩薩ー「我れ云何(いかん)が空中の声に問わざりし。」ー薩陀波崙菩薩、啼哭憂愁して是の念を作せり。


爾(そ)の時、薩陀波崙菩薩(さつだはろんぼさつ)は、是の空中の教えを受け已(おわ)りて、是れより東して行く。

久しからずして復た是の念を作せり。

我れ云何(いかん)が空中の声に問わざりし。我れ当に何処にか去るべきや、去ること当に遠なるや近なるべきや、当に誰に従って般若波羅蜜を聞くべきや、と。

是の時、即ち住して、啼哭(たいこく)憂愁して是の念を作せり。

我れ是の中に住して、一日一夜を過さん。若しくは二、三、四、五、六、七日七夜なりとも、此の中に於いて住せん。疲極(ひごく)を念ぜず、乃至、飢渇寒熱を念ぜず、般若波羅蜜を聴受する因縁を聞かずんば、終(つい)に起(た)たず、と。

(『般若経』 (ちくま学芸文庫)349pより)

ドストエフスキーと「因果関係の空しさ」-土井健司『キリスト教を問いなおす』より

2010年01月28日 | 宗教・スピリチュアル
児童虐待がある限り「神」は存在しない―ドストエフスキー


土井健司『キリスト教を問いなおす』(2003年)という本に、神への「祈り」やこの世界の「理不尽さ」について考える際に、ドストエフスキーを引用する箇所がある。

>この問題を考えるために、ここではドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を紹介してみたいと思います。この作品には、イワンという頭の回転の速い、しかしどことなく冷たい印象を与える青年が出てきます。左に掲げるのは、そのイワンが弟であるアリョーシャに向かって、ある小さな女の子の苦悩を語って聞かせた個所です。

>>このかわいそうな五つの女の子を、教養豊かな両親はありとあらゆる手で痛めつけたんだ。理由なぞ自分でもわからぬまま、殴る、鞭打つ、足蹴にするといった始末で、女の子の全身を痣だらけにしたもんさ。そのうちついに、この上なく念のいった方法に行きついた。真冬の寒い日に、女の子を一晩じゅう便所に閉じ込めたんだよ。それも女の子が夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由でね。その罰に顔じゅう洩らしたうんこをなすりつけたり、うんこを食べさせたりするんだ。…一方じゃ、自分がどんな目に会わされているか、まだ意味さえ理解できぬ小さな子どもが、真っ暗な便所の中で、悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽけな拳でたたき、…「神さま」に守って下さいと泣いて頼んでいるというのにさ。

>わたしが、さるドストエフスキー研究者に聞いた話では、このエピソードのもとになった事件が実際にあったそうです。両親から虐待を受けた女の子は死んでしまい、父親は裁判にかけられたと言います。ドストエフスキーはこの女の子に対し、強い哀れみの念を抱いた、ということです。(土井健司『キリスト教を問いなおす』179p-180p)

可哀想な女の子の話が、ドストエフスキーの時代に実際にあった事件というところが恐ろしい。しかし、最近の日本でも悲惨な、児童虐待の記事を見かけることがある。子供があんな理不尽な、悲惨な目に遭って死んでしまうような世界が、キリスト教の神様に統治されている世界のはずがない。


なぜ「いい人」が苦しむのか。キリスト教も仏教も、単純な「因果応報」を否定するのは、なぜか。


このエピソードの紹介の後、土井氏は『ヨハネ福音書』を引用しつつ、イエスはおそらく人間の幸不幸の「因果応報」性を否定したのではないか、という解釈を行う。キリスト教の信仰はこうした「因果関係の亀裂」から、この世の理不尽さに直面することから生まれてくる。土井氏によれば「原罪」とはその理不尽さのことである。

>そもそもイエスは、人の不幸を因果応報的に考えることを否定しているのです。病に苦しむ人は、しばしば二重の不幸を味わわなくてはなりません。一つは言うまでもなく、肉体的な苦痛です。もう一つは、そのような苦痛の原因が自らの過去の行いに求められ、自分を責め、また他人からも非難されることによる苦痛です。イエスはこのような解釈を否定し、因果応報的な考え方からの解放を目指したのではないでしょうか。(183p)

>実はそうした考え方を、キリスト教の中に見出すことができます。キリスト教の信仰において神は、こうした因果関係の亀裂を経験しているのです。その経験とは、神であるイエスが十字架にかけられて死ぬ、という出来事にほかなりません。十字架にかけられたときイエスは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫び声を上げました。こうして、イエスは死んでいきます。なぜイエスは死ななければならなかったのでしょうか? それは「人類の罪」ゆえだと言われることがあります。しかし「人類の罪」とは、わたしたち個々人の罪というより、この世の理不尽さを総体として指し示す言葉だと理解できます。まさにイエスは、この理不尽さの中で亡くなったのだと思うのです。そして、理不尽さの中で死んでいくほかなかったイエスの復活こそが、希望なのです。これについては次節で詳しく論じることにしましょう。(184p-185p)

仏教者の宮崎哲弥氏は『新書365冊』(2006年)のこの本に対する書評で「…さらに護教的神義論を超えて、因果関係の否定にまでいたるという土井の釈義を読むともはやキリスト教と仏教との違いすら分明ではなくなってくるような気がする。」と書いている。宮崎氏はこの本の111p-115pで土井氏が『コヘレトの言葉』を引用して「因果関係の空しさ」を説く箇所に「まるで仏教のようなもの」を見たのだと私は思う。

>ここでは『コヘレトの言葉』を取り上げてみましょう。この書物の特徴は、「なぜ?」という質問に対する答えを徹底して拒否している点にあります。知恵文学の「知恵」とは、「因果連関の知識」のことだと考えられます。ですから知恵のある人とは、物事の原因と結果を知っている人のことです。…

>『コヘレトの言葉』は、この因果連関を徹底的に批判するのです。この批判は「空」(ヘベル)と呼ばれます。『コヘレトの言葉』は、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」という言葉ではじまっており、とても暗くて重々しいのですが、読む者を惹きつける魅力を備えた書物です。ここで語られている「空」とは、虚無感のようなものではなく、因果関係の空しさのことを意味しています。

>>この空しい人生の日々に、わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり、悪人がその悪のゆえに長らえることもある。(七章一五節)

>>この地上には空しいことが起こる。善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者がある。これまた空しいとわたしは言う。(八章一四節)
(土井健司『キリスト教を問いなおす』113p-114p)



自尊心などなしでやっていける能力-『自己牢獄を超えて 仏教心理学入門』より

2010年01月28日 | 宗教・スピリチュアル
やや「ニューエイジ」風味か?―『自己牢獄を超えて』


イギリス人が書いた仏教書『自己牢獄を超えて 仏教心理学入門』(2006年、原著は2003年)は、かなり独特な仏教解釈を示す本である。パーリ語仏典に基づいたかなり厳格な教理解釈をすると同時に、癒し系・ニューエイジ系の思想とも共鳴するところがある。たとえば仏教の四諦説の「苦・集・滅・道」のうち「滅」を煩悩を滅ぼすこと、ではなくて、煩悩を抱きしめ、「包容すること」(containment)と解釈したりする。わたしはこういう癒し系の感覚が嫌いではないが、たとえばラディカル・ブッディストを自称する仏教者・宮崎哲弥氏などであれば、この本は肌に合わないだろうし、そこに仏教教理上の問題を指摘することもできるだろう。

しかしやはり素材が仏教なだけあって、時々過激だが、なおかつ深みのあることを言っているところが私は好きだ。今回この本に注目したのは、「人は尊厳なしにやっていけるものなのか? 人は自尊心なしにやっていけるものなのか?」という問いに対する、仏教側の答えのようなものを探してのことである。


The Self-prison: Self as a Defence Structure(防衛構造としての自己)


題名の「自己牢獄」というのは、仏教では「自己」というものを「牢獄」であるとする、という著者らの立場をもっともはっきりと示すことばだ。

この本の「自己という牢獄:防衛構造としての自己(The Self-prison: Self as a Defence Structure)」(39p-41p)という節から引用。

>仏教心理学は(西洋の「自己心理学」に対して)「非自己心理学」と呼ばれることがあります。自己(セルフ)とは、苦悩に対する反応の中に組み込まれている防衛構造(defence structure)です。(39p)

>仏教心理学によれば、自己とは、喪失と無常の現実から来る痛みを経験しないですむように自分を守るために作り出す「城砦」なのです。それはわたしたちが持つ最大の防衛装置なのです。しかしそれは同時に「牢獄」なのです。この城砦をきちんとした状態で維持することが人生をかけた一台プロジェクトとなり、多大なエネルギーがそのために費やされます。(40p)


人間の苦しみこそが、自己という牢獄を打ち砕く「気高い真理」=「苦諦」


そして著者は釈尊の伝記的なエピソードからも、「自己」にたいする仏教の考えについて説明している。ブッダが若い頃住んでいた宮殿を、「自己」と考える。「四門出遊」でブッダが出会うさまざまな人間たちの苦しみを、「自己牢獄」から解き放つ「真理」だと考える。他者の苦しみこそが、自己という牢獄を打ち砕く「気高い真理」(=「苦諦」)なのだと、著者は力説する。この辺りの著者の解釈の仕方、説明の仕方は、独自性のあるものだ。つまりかなり自由自在な説法である。しかし私は読んだ時、何か光を当てられたように感じた。

以下「釈尊の物語における自己牢獄の喩え(The Metaphor of the Self-prison in the Buddha's Story)」(42p-44p)という節より。

>(若きシッダールタが住んでいた)宮殿のまわりには、その向こう側にあるいろいろな問題が渦巻く世界に対抗するための強固な壁がありました。防御のための自己というイメージと同じく、それは内側にばかり眼を向け、自分のことばかりを考えるために作られています。そういう壁の内側で、シッダールタは普通の人々が味わう苦しみについて無知のまま生きていました。彼はまさにアヴィディヤー(「無明」)の状態にあったと言えるでしょう。彼が自由になるためには、宮殿の外にあるドゥッカ(「苦」)との衝撃的な出会いが必要だったのです。(43p)

>釈尊は宮殿を去り、苦しみという現実に直面することによって、そういう状態から脱しました。彼は四つの光景、つまり無常がもたらすあらゆる苦痛の象徴を自分の目で見ました。自分を欺くあらゆる壮大さを備えた宮殿を後にし、スピリチュアルな生き方を求める旅に出たのです。彼を解放したのはドゥッカ(「苦」)でした。ドゥッカに出会うことを通して城砦を築くのだとすれば、そこからわたしたちを解放するのもまたそのドゥッカなのです。こういう理由から、ドゥッカを気高いものであると見なすことができるのです。(43p)


「自尊心」(self-esteem)なしでやっていける能力ー自己を解放する「縁起」の思想


仏教的「非自己のパラダイム」で考えれば、「個人の尊厳」や「承認を巡る闘争」や「尊厳の再分配」といった問題も、その意味内容が変わって来るのではないか? 「東洋と西洋の比較(Comparing East with West)」(179p-181p)という節で、「非自己のパラダイム」についての説明がある。

>自己というものがアテにならないものであり、何かを材料にして構成されたものであり、基本的には防衛のためのものであるという仏教の理解は、ほとんどの西洋的アプローチとは非常に異なったパラダイムに基づいた心理学へのアプローチを生み出します。それを「非自己のパラダイム」と呼ぶことができるでしょう。

>「非自己のパラダイム」は、一般的な西洋的思考の見地から見れば相当に異質な意味合いを含んでいます。わたしたちが仏教的な見方のほうを選び取り、もはや西洋的な思考のモード(様式)に後戻りすることがないようにするためには、この両者の相違についてよく理解し、それをきちんと見据えておく必要があります。しかし同時に、自己の観点から組み立てられている西洋心理学が提供すべき価値あるものまで放棄してしまわないように、よく注意しなくてはなりません。西洋のモデルにおいて自己を高揚させるものとして述べられているものすべてが仏教的思考と相容れないというわけではありません。もしそのように主張するとすれば、たくさんの有益な実践を失う結果になるでしょう。

>西洋において自己は肯定的なイメージで受け取られてきましたから、そこで有用でポジティブであるとされている考えや実践は、仏教心理学においては理論上、自己を組み立てたり、アイデンティティ形成を助けることに加担しているものとして理解されます。しかし、そのように理解されるもののすべてが、これまでわたしたちが探求してきた仏教的モデルにおいて述べられている自己という形成物を作り上げる手段として常に機能しているわけではありません。勇気、性格の強靭さ、決意、自信、探求を続けるエネルギーといったさまざまな特質(西洋の文脈では自分は自分であるという強烈な感覚を持つことに連関している)は、仏教的訓練においても同じように大切であるとされています。しかし、それらの特質は西洋心理学においてのように自尊心(self-esteem)を作り上げるものとしてではなく、自尊心などなくともやっていける能力をもたらすものとして考えられているのです。

>同様に、非自己の教えは殉教者のような自己犠牲的立場のことを言っているのではありません。仏教的パラダイムにおいては、そういった行動は否定的アイデンティティと否定的な世界観を作り出してしまうだけだとされます。したがって自分本位の感覚的快楽への惑溺がそうであるように、それもまたやはり習癖エネルギーと執着の産物なのです。仏教的アプローチは自己を作り上げるものでもなく、またそれを壊すものでもありません。そのどちらでもなく、世界との関係においてわれわれの実存が置かれている位置(ポジション)の現実(リアリティ)をはっきりと認識することなのです。わたしたちはさまざまな条件、とりわけ物理的環境に依存して存在しています。自分が誰であるかは住んでいる文脈に依存しています。われわれは条件によって発生し(「縁起」)、出来事や状況に条件づけられつつ存在しています。非自己の教えは複雑な存在者としての人が、複雑な世界において機能しながら存在していることを否定するものではありません。「非自己」説は人が他の人や環境とダイナミックに出会いながら存在していると考えます。そして常に新しく展開し続ける社会過程と、人々がお互いにとっての条件となり合うあり方に注目します。

>釈尊は人などというものは存在しないとする抽象的な「非自己」説を説いたのではありません。そうではなく、世界に対して自分の「思惑・もくろみ」を押し付けることで、誤った世界の見方を作り上げてしまうことについての実際的な理解を教えているのです。このことはサンユッタ・ニカーヤの次の一節を読めば明らかです。そこでは釈尊がヴァッチャゴッタと次のような会話をしています。

ヴァッチャゴッタ:ゴータマ先生、自己は有ですか?
釈尊は黙ったままだった。
ヴァッチャゴッタ:ゴータマ先生、自己は無ですか?
釈尊は黙ったままだった。
ヴァッチャゴッタは去っていった。
アナンダ:釈尊よ、 ヴァッチャゴッタの問いに答えなかったのはどういう訳なのですか?
釈尊:もしわたしが「自己は有である」と答えたなら、彼はわたしが常住論者に組していると受け取っただろう、もしわたしが「自己は無である」と答えたなら、虚無論者に組していると受け取っただろう。真実は、すべてのサンスカーラは無常であるという、ただそれだけのことなのだが、わたしがヴァッチャゴッタになんと答えようと、彼の混乱を余計に増すだけだろう。

>初めのうち、非自己の教えは多くの西洋人にとって心地よくないものとして感じられます。わたしたちの社会は個性と個人的自由という理想に大きな重みを置いているからです。非自己についての考え方は社会の基盤を脅かし、わたしたちの足元でその土台を切り崩すかのように思えるのです。しかし、実際には、非自己の教えは深遠な解放をもたらしてくれるものなのです。(『自己牢獄を超えて 仏教心理学入門』179p-181p)






カラマーゾフの叫びは「唯一の真剣な無神論」―マクグラス『キリスト教神学入門』より

2010年01月28日 | 宗教・スピリチュアル
マクグラス『キリスト教神学入門』(378p)より、ドストエフスキーがキリスト教界に与えたインパクトについて。「神の不可受苦性」から「苦しむ神」へ。

>二十世紀の後半に、苦しむ神について語ることは「新しい正統信仰」となった。ユルゲン・モルトマンの『十字架につけられた神』(1974年)は、この思想を説き明かした最も重要で影響力のある書物と広く見做された。激しい議論の的にもなった。苦しむ神という思想の再発見へと導いたものは、一体、何であったのであろうか。三つのことが挙げられるが、そのどれもが第一次世界大戦直後の時代にかかわっている。これら三つの要因が集まって、神の不可受苦性に関する伝統的な観念に対する懐疑を広く呼び起こしたのである。

>(1)抗議する無神論の登場。第一次世界大戦の非常な恐怖は、西方の神学的考察に深い影響を与えた。時代の苦難によって広く認められるようになったのは、自由主義プロテスタンティズムが人間の本性についての楽観的な見解によって致命的な妥協をしていたということであった。こうして受けた傷の余波の中で弁証法神学が台頭したのは、偶然ではない。もう1つの重要な応答は「抗議する無神論」として知られる運動である。これは、神への信仰に対する深刻な道徳的抗議をするものであった。世界におけるあのような苦難・苦痛を超えている神など、どうして信じることが出来ようか、というのである。

>こうした思想の跡は、19世紀のフョードル・ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』に見出される。それは20世紀になってより十全に発展させられたが、しばしばドストエフスキーの生み出したイワン・カラマーゾフがモデルとして用いられた。カラマーゾフの神(あるいは、もっと正確に言えば、神の「観念」)に対する反抗は、無垢の子供の苦難が正当化され得るということの拒否から始まっている。アルベール・カミュは、そうした思想を『反抗的人間』において展開しているが、そこではカラマーゾフの抗議を「形而上学的反抗」という視点から表現している。ユルゲン・モルトマンなどの思想家は、「弱くない神」に対するこの反抗に、「唯一の真剣な無神論」を認めた。この非常に道徳的な形態の無神論は信頼出来る神学的応答を要求した。それが、苦しむ神の神学である。(378p)

関連記事:「遠い者は愛せるのに、近い者は愛せない」―ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より 2010年01月28日
関連記事:ドストエフスキーと「因果関係の空しさ」-土井健司『キリスト教を問いなおす』より 2010年01月28日
関連記事:「神無月」に「神様を意識する少年」―施川ユウキの漫画より 2010年01月28日

あなたが神を見捨てても神はあなたを見捨てない-遠藤周作・ ジャン・コクトーより

2010年01月18日 | 宗教・スピリチュアル
高校時代に、遠藤周作のエッセイを読んでいて、とても印象深かったジャン・コクトーのエピソード。

ジャン・コクトーがカトリックになる前に
神父に訊いたことがある。

「おれは阿片は吸ってるし、女と寝るし、その上同性愛だし、
これからどうしたらいいだろうか」と。

そうしたら神父が笑って

「そのままで生きたらいいじゃないか
きみは神様を問題にしなくても
神さまはきみを問題にしているよ」と

答えた。

少しでも世界をマシなものにして死にたい-内村鑑三『後世への最大遺物』より

2010年01月18日 | 宗教・スピリチュアル
以下、明治時代の戦闘的キリスト者-内村鑑三の『後世への最大遺物』(明治三十年)より

>しかしながら私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己れの心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起ってくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである、すなわち英語でいう Memento (メメント)を残したいのである。こういう考えは美しい考えであります。

>有名なる天文学者のハーシェルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語って「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」というた。実に美しい青年の希望ではありませんか。

以下、桶谷秀昭『日本人の遺訓』(文春新書、2006年)より

>明治三十一年の或る講演で、鑑三は、自分に悔いることが三つある、一つはこの世に生まれて来たこと、第二にアメリカへ行ったこと、第三にキリスト教を信じたことである、といつた。聴衆は、鑑三特有の諧謔をいつてゐるのだらうと思つて笑つたが、冗談ではない、本当なのだといつたとき、その語調には怒気が孕まれてゐた。就中、キリスト教は自分の心のど真中深く鋤を入れて、その感情と思想を根底からひつくり返したといふ。(143p)

(…内村鑑三は、日露戦争の時に非戦論を唱えて「万朝報」を退社することになる。しかし、次のようなエピソードも。)

>日露戦争の緒戦の勝利に、彼は隣り近所にきこえる大声で万歳を唱へずにゐられない人間だった。(145p)



「永遠に超えんとするもの」-芥川龍之介『西方の人』より

2010年01月18日 | 宗教・スピリチュアル
芥川龍之介の「漠然とした不安」(抽象的な苦しみ)なんて今や、帝大出の文学者の特権というより、そこらへんの「ふつうの人」でもわかるような苦悩になってしまった。昔は1万人に1人、今は100人に1人、みたいな。

私が好きなのは、キリストについて書かれた『西方の人』というアフォリズム。
「頑丈に出来た腰掛け」に感じられる「多少のマリア」だって。
これを読むと芥川は詩人だなと思う。

以下、芥川龍之介『西方の人』(昭和二年)より抜粋

マリア

>我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶(かめ)や巌畳(がんでふ)に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。


聖霊

>我々は風や旗の中にも多少の聖霊を感じるであらう。聖霊は必ずしも「聖なるもの」ではない。唯「永遠に超えんとするもの」である。


クリスト教

>クリスト教はクリスト自身も実行することの出来なかつた、逆説の多い詩的宗教である。

>石鹸の匂のする薔薇の花に満ちたクリスト教の天国はいつか空中に消えてしまつた。が、我々はその代りに幾つかの天国を造り出してゐる。クリストは我々に天国に対する惝怳(しやうけい)を呼び起した第一人だつた。

>我々はいつもクリストの中に我々の求めてゐるものを、――我々を無限の道へ駆りやる喇叭(らつぱ)の声を感じるであらう。


東方の人

>ニイチエは宗教を「衛生学」と呼んだ。それは宗教ばかりではない。道徳や経済も「衛生学」である。それ等は我々におのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。「東方の人」はこの「衛生学」を大抵涅槃(ねはん)の上に立てようとした。老子は時々無何有(むかいう)の郷に仏陀(ぶつだ)と挨拶をかはせてゐる。しかし我々は皮膚の色のやうにはつきりと東西を分(わか)つてゐない。クリストの、――或はクリストたちの一生の我々を動かすのはこの為である。

>「古来英雄の士、悉(ことごと)く山阿(さんあ)に帰す」の歌はいつも我々に伝はりつづけた。が、「天国は近づけり」の声もやはり我々を立たせずにはゐない。老子はそこに年少の孔子と、――或は支那のクリストと問答してゐる。野蛮な人生はクリストたちをいつも多少は苦しませるであらう。太平の艸木(さうもく)となることを願つた「東方の人」たちもこの例に洩れない。クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕(はら)んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に塒(ねぐら)の見つかるものではない。

「そうであったかもしれない」世界との関係-小島寛之『確率的発想法』より

2010年01月14日 | 宗教・スピリチュアル
関連記事:東浩紀氏の小説『クォンタム・ファミリーズ』はおもしろそうだ 2010年01月14日

小島寛之氏は、数学や経済学が専門の人。この本は、確率論の本だが、人間の一見不合理に見える行動-たとえば宗教的な鎮魂とか「供養」とか「回向」とか-のことを考えるとき、あるいは人生の様々な分岐点について思いを巡らすときに、何かヒントになりそうだ。

以下、小島寛之『確率的発想法』(NHKブックス 2004年)の『終章 そうであったかもしれない世界ー過去に向けて放つ確率論』から引用する。


「そうであったかもしれない世界」への責任、「過去の最適化」


> この「そうであったかもしれない」というのは、決して突飛な考えではなく、人間の基本的思考様式の一つです。その証拠に、言語には「仮定法過去完了」という文法形式が存在しています。「あのときもしも鳥だったら、空を飛べたのに」に現われているような、「過去のある時点においてそうではなかった」ことを前提とした表現が、普通の文法として成立しているのです。不確実性下の意思決定を分析するには、「仮定法過去完了」として確率を捉え直すことが肝要だと思えます。(214p)

>人が不確実性下の意思決定において過誤をおかすことを前提として考えるとき、次に問題になるのは、人が過誤に対してどういう始末をつけるのか、ということです。通常の経済理論では、このような過誤の始末は、まったく無視されます。経済理論における人々の欲望の視線は、未来にしか向かわないことになっているからです。経済を営む人々は、生起した事態を観察し、自分の過誤に気がつき、サプライズが起こります。そこでこの経済主体は、過去における自分の決定に誤りがあったことを認めることになります。ところが、従来の経済理論では、終わったことはそれとして、行動のためのデータ構造を修正し、経済主体は再び「これから先の未来の利益を最適化」するだけです。(219p)

>本当にそれでいいのでしょうか。もし経済主体の行為がこのようなものであるとすれば、「経済主体は過去において行動の本質的最適化を図っていなかった」ことになってしまいます。従来の経済理論は、過誤という過去の不始末に対して断罪をしません。つまり、最適だと思った選択が最適でなかったことが判明しても、経済主体が「過去を最適化しようとする」などとは想定しないのです。(219p)

>わたしたちは常に未来にしか視線を送らないでしょうか。あるいは、未来にしか視線を送る「べきではない」のでしょうか。筆者が論じたいのは、他でもない、「人は過去をも最適化したいと思っているし、またそうであるべきだ」という論点なのです。(219p-220p)

>ここでちょっと脇道にそれておきます。社会学者の大澤真幸に「責任論」という論文があります。この中で大澤は、1995年の阪神・淡路大震災で被災した女性のことを取り上げています。彼女は、震災の朝、いつもより10分早く床を離れました。そこには理由はなく、たんなる偶然にすぎません。しかし、それが彼女と夫との運命を分けました。一階で寝ていたご主人は、運悪く瓦礫の下敷きになって死亡し、二階にいた彼女は生き残ることになったのです。それ以来彼女はずっと、自分の「責任」に苦しめられています。それは、「死んだのは自分でもよかったのに、夫のほうが死んでしまった」という責め苦です。(220p)

>彼女を苦しめたこの咎めの意識のことを、大澤はヤスパースのことばを借りて「形而上の責任」と呼んでいます。(220p)

>大澤のあげた例ではありませんが、同じメンタリティが、妊婦のときに水俣病に罹患した患者からもうかがえます。有機水銀による中毒症は、胎児性という残酷な特徴を備えていました。体内の有機水銀が、胎児に集中してしまうのです。したがって、生まれたきた子供が中毒死したり深刻な障害を負ったりするのに比べ、母親はそれほど重体にはならない事例が見られました。しかしこのことが逆に母親に、強い罪責感を植えつけてしまいました。自分が重い障害を得るよりもずっと深刻な心の障害をもたらしたのです。「本当に死ぬべきだったのは自分のほうだったのに、子供が代わりになってそれを引き受けてしまった」。母親はこのような罪悪感を一生背負って生きていくことになったのです。(221p)

>以上のような「形而上の罪」の意識は、わたしたちに何を教えてくれるでしょうか。それは、「人間はときとして、終わってしまった過去でさえも、もっと良くしたいと思う」、そういうことです。(222p)

>経済理論の原則は、「現在から将来にわたる利益を最適化する」ことだと繰り返してきました。けれどもこれは、人間行動の真実の姿を描写していない、と思えるのです。人は、「終わってしまった過去をも最適化したいと望むことがある」のではないでしょうか。「形而上の罪」は、その一つの有力な証拠です。(222p)

>不確実性下の意思決定では、「過去には可能性として存在していた事態」を結果の判断に加えなければ、選択行動を正しく描写できないことを前に述べました。「形而上の罪」に苦しむ人々は明らかに、「そうであったかもしれない世界」に自分を置き、そこを変えることのできない苦しみを背負って生きているといえます。もしも、経済理論が想定するように、人々がいつでも未来だけを最適化するなら、このような人々の感性や善悪判断は不合理だということになるでしょう。しかし人々の内面には、過去を最適化することへの欲求が厳然と存在しています。あるいは存在することを認めざるをえません。ならば経済理論は、それを組み込んだ形に理論を修正すべき責務をもっているといえます。(222p)


「偶然」=「過誤」に対する支払い、ロールズの「格差原理」へ


>以前、ある棋士から次のようなことばを聞いたことがあります。「ホームレスの方々を見ると、ときどきこんなことを思う。あのとき、銀を左下ではなく右下に引いていたら、今自分はこの人だったかもしれない」。この棋士はたぶん、残り少ないもち時間に追われながら、銀の駒をどちらに引くべきか最終的に読みきることができなかったのでしょう。そうして、ほとんどたんなる偶然で銀の駒を左下に引いたのでしょう。それは結果的に正解でした。しかし、このあとこの棋士には、「銀を右下に引いたことで生じたかもしれない世界」がつきまとうことになりました。(224p)

>このとき、この棋士の現在の名声や所得は、 100%この棋士に帰属するといえるでしょうか。単純な見積もりをすれば、決断の時点で左下が右下に対して確たる優位性がなく、あとになって左下が論理的な正解だとわかったのだとしたら、「半分確率の正しいほうをたまたま、しかも意識的な攪乱戦略としてではなく選んだにすぎない」ということになります。このとき、この棋士の現在の所得の半分は自分のものではない、といっても過言ではありません。この棋士の発言には、そういう「居心地の悪さ」が表れているといえます。(225p)

>このように、人々が自分の判断の過誤を見つけ、自分の地位や所得のいくばくかは事前の最適化の産物ではないと知ったなら、その居心地の悪さを解消するためにその人は、「過去を最適化」すべきでしょう。それは過誤に対する支払い、あるいは「そうであったかもしれない自分」に対する支払いと呼ぶべきものです。よく麻雀ゲームで、テンホウやチュウレンポウトウなどをあがったプレーヤーが、他のプレーヤーたちに食事をおごったりします。これは、「祝いごとのふるまい」という意味もありますが、それよりも、自分に自分の実力を超える幸運が働いたことに対するばつの悪さを解消するためのふるまいだと考えるほうが正しいでしょう。(225p)

>このように考えるとき、「過誤に対する支払いによる再最適化」を是とするならば、ジョン・ロールズが主張しているマックスミン原理に別の根拠を与えることが可能だと筆者には思えます。「もっとも不遇な人たちの利益が最大になるように社会を設計する」、ということは成功者からの富の移転を前提としています。この富の移転は何を意味するのでしょうか。それは決して慈悲やほどこしではなく、「自分がそのもっとも不遇な人であったかもしれない世界」、「現在そういう不遇な立場にないのは、全部が自分の推測の正しさやそれに応じた備えや努力の産物であるわけではなく、一部はある種の過誤の帰結であること」、そういうことへの支払いだと考えたらどうでしょうか。(226p)

関連記事:ロールズの「格差原理」と聖書の「迷い羊」のたとえ 2010年01月14日
(→ロールズの格差原理の考え方の背景に、キリスト教の影響あるかも。)

ロールズの「格差原理」と聖書の「迷い羊」のたとえ

2010年01月14日 | 宗教・スピリチュアル
ジョン・ロールズのマックスミン原理「もっとも不遇な人たちの利益が最大になるように社会を設計する」という考え方にちょっとだけ似ている、新約聖書の羊のエピソード。

(マタイの福音書18・12-14より)

>あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。

>そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。

>このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

関連記事:政治の目的は「不幸の最小化」-管直人氏 2010年01月14日