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ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

中沢新一氏のレヴィ=ストロース追悼文

2009年12月29日 | 中沢新一
中沢新一氏のレヴィ=ストロース追悼文の一部。 読売新聞2009年11月5日より。

…鷲のように鋭い目をした彼は、大鷲さながらに、人間たちの頭上はるか上空を舞いながら、人類の来し方と行く末を正確に見つめていた。またその鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことがなく、現代人が無価値なものと打ち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した。

…私はレヴィ=ストロースの中に、人類の心のもっとも美しい発現を見てきた。音楽を称えながら、レヴィ=ストロースは「神のごときワグナー」と書いたが、私にとっては、じつに彼の精神こそが神なのであった。

…その頃の彼はさまざまな場所でめざましい発現を続けていたが、その中でもっとも私を驚かせたのは、自分は新石器時代人と同じように思考しているのにすぎない、という発言だった。

…私が思考しているのではない、私をつうじて、人類の心が本性にしたがって思考しているのだ、と語るのだった。なんとすさまじい謙虚さではないか。

…その魂が、いま静かにその歩みを止めた。私たちにその欠を埋めることなどはできない。私たちはただ、悠然たる羽ばたきをもって天空高く去っていく大鷲の、だんだん小さくなっていく姿を、無量の悲しみをこめて見送る。


関連記事:『悲しき熱帯』を読む-カドゥヴェオ族と馬頭観音と子ども 2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースと柳田邦男の片言隻句を取り上げて、強引に「日本人ははんぶん原始人だ」と主張しようとしている文章です。)
関連記事:レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』とみうらじゅん『アウトドア般若心経』2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースの野生の思考は、日本で言ったらみうらじゅん氏の思考法に似ている。逆に、みうらじゅん氏の情熱は、民俗学者や人類学者の情熱に似ている。そんなことを指摘しようとしている文章のようです。)
関連記事:宮台真司とレヴィナス-〈世界〉の奇跡性、〈社会〉の奇跡性。2009年12月29日
(→宮台真司氏が、レヴィ・ストロースの『野生の思考』の「奇跡へと開かれた感受性」を参照しつつ、自身の考える「世界」へと開かれた感受性について述べているくだりがあります。)

中沢新一の著作との出遭い-それはまるでスラムダンクのように

2009年12月03日 | 中沢新一
『思想地図 vol.4』を読み終えた余波で、中沢新一氏にインタビューしていた白井聡という方の著作『未完のレーニン』を図書館から借り出して、先ほど読み終えたところ。

 私にはまだ難しすぎる本だったけど、文章としてかっこいい、迫力がある、ということだけはわかった。
 所々、すごいことが書いてある。
「外部」から無音の暴風雨のような力が降臨する、とか何とかそういったこと。

『思想地図 vol.4』に中沢新一のインタビューが載ったことで、「現代思想」業界と中沢新一との「和解」が成り立ったのかどうかはわからない。そっち方面のことは私、詳しくないし。私が中沢新一の本を、ちゃんと思想や哲学として読めているかといえば、それもあやしい所がある。私は単にその「美文」に酔っているだけなのかもしれない。

 でも、東浩紀にせよ、中沢新一にせよ、内田樹にせよ、人気のある書き手の書く文章は、とにかく日本語として「上手」であることだけは確かだろう。読んでいるとドキドキする。日本語として複雑骨折したような、へんな文章を書く人が多い「現代思想」業界の人には、そのあたりのことをわかってほしいと思う時がある。

 中沢新一の文章は、私のような思想や哲学の知識に乏しい人間にも、読みやすいように「枕」を振って始まることが多い。私は、学生時代、オウム真理教事件が起きた頃、深い虚脱状態に陥っていたことがあり、自分なりに何か確かめたくて、ちびちびと中沢新一の本を読み始めたのだが、たとえば「バスケットボール神学」という中沢新一の文章の最初の「枕」を読みはじめると、私の中で全身の細胞がパチパチはじけるような感覚に襲われた。

(以下、中沢新一『純粋な自然の贈与』講談社学術文庫より~「バスケットボール神学」冒頭)

「バスケットボールは不思議なスポーツだ。たいていの球技は、ボールをゴールに蹴り込んだり、投げ込んだりすると、局面が変化して、それが得点になる。このとき、ボールはプレイグランドの外に、飛び出したりはしない。ネットがしっかりと内部でボールを受け止めてくれる。あるいは、野球の場合のように、打ったボールが、高々とプレイグラウンドの外に飛び出してしまうことをもって、ホームランとするスポーツもある。ようするに、たいていのスポーツは、内と外との弁別を、ゲームの規則としているのである。」

「ところが、バスケットボールでは、ゴールに投げ入れられたボールは、穴の開いたネットを通過して、ふたたびプレイグラウンドの中に、落下してくるのだ。プレイヤーはボールをゴールに向かって、狙いを定めて投げる。そうすると、ボールはいったんプレイの空間の外に飛び出すのだが、つぎの瞬間には、するするとメビウスの輪をねじるようにして、ふたたび内部にすべり落ちてくる。選手の肉体が激しい運動をおこなっているプレイの内部空間に、そのたびごとにすっと小さな外部への開口部が開かれ、つぎの瞬間には、その外部からいともしなやかに、ボールは内部にすべりこんでくる。選手はそのすべりこんできたボールを上手に受け止めて、走り出す。めまぐるしいスピードで、外と内の入れ換えがおこるのだ。」

 今読むと、何ということもない文章に思えるのだが、当時この箇所を読んで細胞がパチパチ炸裂するような感じになったのは、考えられる理由のひとつとして、20代の時はまだ自分の体の中にバスケットボールをプレイした時の感覚や、高校時代にマイケル・ジョーダンをビデオで見て背筋に電流が走った時の感覚などが残っていて、それらが「肉体的連想」のように一挙に甦ってきて、バチバチ音立てた、ということもあると思う。いずれにせよ、私は中沢新一の文章に、かなり大げさに感応していた。たぶんそれは、若気の至り、ということでもあるのだが、当時の私は、どこかに「至る」ために「若気」が必要だった。

〈橋本治、マイケル・ジャクソンのことなど〉

 全身の細胞が炸裂するような読書体験は、中沢新一以外では、橋本治の著作を読んだ時もそうだった。具体的には『江戸にフランス革命を!』『美男へのレッスン』などを読んだときに訪れたのだが、これも20代前半ぐらいまでの話で、今それらの本を読み返してみても多分それほど「来ない」だろうと思われる。(『美男へのレッスン』には、今年亡くなったマイケル・ジャクソンに関する論考があった。マイケルが亡くなった時に、この本のことを思い出した)

関連記事:中沢新一『純粋な自然な贈与』-クリスマスと「贈与の霊」 2009-11-18

『田辺元・野上弥生子往復書簡』-死の哲学の構想

2009年11月30日 | 中沢新一
『田辺元・野上弥生子往復書簡』(岩波書店)には、「死の哲学」を作ろうとしていた田邊元が、キリスト教神学や禅について探求を深めている様子が伺える箇所がある。

「小生自身はこの点を究明するつもりで、久方振に禅の偈頌を読み、華厳経の事々無礙の芸術的世界観に接することを試みて居ります。生(命)哲学に対し死(人)哲学を追究しようといふのが、小生の死の用意に外なりませぬ。ご承認下さいませ。クリストにまなびて死を行じ、死人となり切つて生きる、と申すのが、今の狙でございます。クリストも稀有な詩魂であつたことを思ひますと、彼に学び似ることはできませぬでも、目標としては誤ないかと信ずるのでございます。御笑ひ下さいませ。」(野上宛1955.10.7)

「今小生ブルトマン、シュワイツァー等の神学者のパウロ解釈に没頭して居ります。彼のイエスに対する関係如何といふ、十余年来のクリスト教の根本問題にぶつかつて居るわけです。一通りわかつたと思つて居ります中に復わからなくなりますので、苦しむしだいです。しかしこの難関を突破しなくては、死復活の問題を見透すことができないわけです。」(野上宛1958.1.7)

とくに、野上宛1956年(昭和31年)2月12日の手紙には、田邊元の「死の哲学」の構想について長めに語られている箇所があったので、自分もいつか参考にするかもしれない資料の一つとして、ここに打ち込んでおく。

(以下、田邊元→野上宛1956.2.12)
「キェルケゴールの『反復』御読みに因み、小著をも御参照下さいました趣、恐縮に存じます。当時の解説は今から憶返しますと物足りませぬ。あきたらず思召されたことでせう。御慚づかしいしだいです。今なら次の如く申上げませう。キェルケゴールの「反復」は、いはゆる反復、すなはち同一性俗流見の「反復」、の否定に外なりませぬ。神意に服従しながら却てそれを自由に肯ふ自己否定は、つまり我性私慾に死することですから、一度所有は無に帰するわけです。それが回復せられれば、ただ同一物Aが戻されるのでなく、A-O-A(=2A)といふ循環倍加があるわけです。これキリスト教の核心たる「死即復活」の霊的体験に外なりませぬ。このいはゆる反復ならぬ復活創造がキェルケゴールの『反復』です。

敢て失礼を顧みず申すことが許されますならば、『迷路』の主人公の終末も、かかる死復活の永遠獲得、「迷路」の本道発見回復であることが、小生の願でございます。それを生かさうか殺さうかといふ、御自身の探求を抜きにした計量分別に止まり委ねて御いでになる御様子なのが、小生には情無かつたのです。命懸けのキリスト模倣が哲学にも文学にも必要だと申上げるゆゑんです。ここまで主体の実存に徹せられないでは、哲学も画餅に過ぎませぬ。

かういふ偏見(?)を固執する小生は、現在「死の哲学」といふものを構想して居ります。もう大体の腹案は出来、覚書も随分書きました。しかし筆を執らうと致しますと、まだ透徹せぬ所があるやうに感じられ、書始められずに居ります。先頃はエックハルトと対決するため、古語の翻訳のある英、独テキスト所有全部を、二三遍繰返しました。それと同時にキェルケゴールとエックハルトとの対立と一致とに想到り、最近キェルケゴールに集中致しました。もう書始められ相でございます。若し奥様が御いでになつて御話致すことができますならば、執筆のきつかけも与へられますのかも知れませぬ。

とにかく「死の哲学」はたとひ遺稿になつても、書上げなければ死ねないつもりでございますから、思残す所がないまで徹底的に練るつもりで居ります。「死の哲学」は小生一人の哲学ではなく、「死の世紀」たる現代の哲学として万人の哲学でなければならぬ筈です。さういふ事を妄想してキリストに倣はんとする小生は、ムイシキン公爵の亜流として「白痴」なのでございませうか。

ここで敷衍致さなければなりませぬのは、「復活」といふ概念でございます。キリスト教徒でもない小生が復活を口に致すのは、全く空語に止まりはしないかといふ御疑は必定と存じます。今日はキリスト教の内部に於てさえ、神話排除の主張が起つて居ります。況や科学を尊重致す小生が、復活の如き神話的伝説を信ずるなどとは、言語道断とも申せませう。小生自身も今日まで此点を突破できなかつたのでございます。しかし妻の死は之を可能に致しました。もはや復活は、客観的自然現象としてでなく、愛に依つて結ばれた人格の主体性に於て現れる霊的体験すなはち実存的内容として証されます。

キリストの復活も、マグダラのマリヤが復活せる主の肉体に手を触れるつもりでそれを禁止せられ、ただ二人の天使を見たばかりでその言付けを聞いたに過ぎなかったと伝へらるる如く、全くマリヤにとつての霊的体験に外なりませぬ。この主体的実存内容としては、それは疑を容れない事実であります。小生にとつても、死せる妻は復活して常に小生の内に生きて居ります。同様にキリストを始め多くの聖者人師は、小生の実存内容として復活し、主体的に小生の存在原理となつて居るのでございます。その意味でいはゆる「聖徒の交はり」に、小生も参し得るわけです。

これは神話でもなく、比喩でもなくして、厳然たる霊の秘密です。之を神秘的と申すならば、「時」そのものが、「歴史」そのものが、神秘的でなければなりませぬ。かかる主体的統一に於てある復活のキリストと共に生きることが、すなはちキリスト模倣ですから、それはコッピイでもなく理想観念でもありませぬ。エックハルトやトマス・ア・ケンピスや、またキェルケゴールに於けるキリスト模倣は、さういふものだと存じます。妻の死を通して小生もこれに目を開かれました。

ムイシキンの「白痴」と異なる実存の道が、科学と歴史とを通じて、各瞬間に開けて居ると信ぜざるを得ませぬ。「死の哲学」は、ドストエフスキイのいはゆる「死の国」の描写でも診断書でもなくして、正に「復活の哲学」であり「実存の哲学」であります。負ふ気なきことながら、小生が之を書かなければ死ねないと思ふわけでございます。

もとよりこのやうな小生の考を御肯定下さいませうと、また御否定になりませうと、それは奥様の御決断に任されたことでございます。白痴狂者の道と異なる理性賢知の道を御選びになりますことは、御自由でございます。しかしその限り、小生の意味する哲学とは御縁の無いことを御観念頂きたいと存じます。」(以上、田邊元→野上宛1956.2.12)

関連記事:『田辺元・野上弥生子往復書簡-幸福の胸の星図 2009-11-30


楳図かずおが描く東京タワーは、たしかに華奢な吊り橋のように揺れていた。

2009年11月21日 | 中沢新一
東京タワーと日本の橋

中沢新一の『アースダイビング』で、東京タワーを日本の「橋」にたとえる箇所があった。
霧の向こうに掛かる、華奢な、こわれやすい、かそけき「日本の橋」(保田与重郎)。
私は学生時代、図書館で保田与重郎の全集を何冊も借り出して、その濃密な文章に驚いて、かつ酔ったような気分になったことがあるが、東京タワーが「橋」であることには勿論気がつかなかった。

私が東京タワーといって思い出すのは、リリー・フランキー原作の映画や、楳図かずおの『わたしは真悟』という漫画だった。(先ごろ私は、楳図邸の写真集である蜷川実花『ウメズハウス』を購入したのだが、蜷川という方の技法上の装飾みたいなものなんだろうけど、「ピンボケ写真」の多さには参った。)

「333カラトビウツレ」

『わたしは真悟』では、主人公のさとるとマリンが、自分達の「子どもを生む」ために、東京タワーによじ登って、その「先端」から夜空へ飛び移るシーンがある。

「333から飛び移れ!」という指令を、真悟というロボットから受け取っての決死の行為だった。
東京タワーは、強風にあおられて、吊り橋のように揺れる、いつ折れるとも知れない、まさに華奢な東京タワーだった。自分達が死に近づくことで、子どもがどこかで誕生しているというストーリーも、東京タワーと死との関係を暗示しているようで面白い。

通天閣は?

大阪の「通天閣」と東京タワーを比べると、どうなのだろう。
「通天閣」というのは、下が「凱旋門」で上が「エッフェル塔」を模して作られているそうだ。
周りの雰囲気と相まって、なんとなく「下品」な通天閣は、おぼろめいた「日本の橋」とはいささか呼び難い。
大阪はまるでヒンズー教の聖地のようで、「凱旋門」はおそらく「女陰」の象徴だろうし、こうなるともう、上の「エッフェル塔」はその女陰につきささった「男根」にしか見えない。
それはそれで「野生の思考」の一例なのだろうけど、『わたしは真悟』のさとるとマリンはけっしてこの塔には登らないだろう。華奢な吊り橋の感覚、天空に架かるラルク・アン・シエルの感覚がここにはない。
なかったらなかったで、別にかまわんのだけど。

関連記事:「阪急沿線的」ということー北摂から考える(ちょっとだけ)2009年11月16日


中沢新一『純粋な自然な贈与』-クリスマスと「贈与の霊」

2009年11月18日 | 中沢新一
『クリスマス・キャロル』でスクルージの甥は言う。

「クリスマスがめぐってくるたびに、これはじつに良い時だと、ぼくは考えるんですよ。やさしい、寛大な、情にあつい、たのしい時なのです。男も女もみんな、かたくとざした心をすっかりひらいて、自分より身分のひくい人々だって、めいめいちがった人生の旅をする赤の他人ではなく、墓場までたどる旅のほんとうの道づれだと考えるようになれるのは、一年の長いこよみの中で、ただクリスマスの時だけだと思うんです。」

『クリスマス・キャロル』のマーレイの言葉。

「人間は誰にしても、その心のうちに持っている精霊が、なかまのあいだをあちこちと歩き、あらゆるところを旅してまわらなければならない。それで、もしその精霊が、生きているときに出て歩かなければ、死んだあとに出て歩くようにきめられている。」


クリスマスが近づと、もう子どもではないし、まだ子どもがいるわけではないのに、わくわくするのはなぜだろう。
駅前のイリュミネーションのキラキラにも、何か遠い懐かしい気持ちを呼び起こされる。
自分の心臓の右心房あたりに、幼い子どもが隠れているような心地がして、糸電話で何事かをささやきかけてくるようだ。

クリスマスが「大切なもの」のように感じられるのはなぜなのか。
中沢新一がその謎について綴った文章を初めて読んだときの、あの驚きと幸福感は忘れ難いものだ。
それが『サンタクロースの秘密』であり、『純粋な自然な贈与』という本だった。

最近、講談社学術文庫版で『純粋な自然な贈与』が出版されているのを書店で見かけ、購入して久しぶりに読み返してみた。

ディケンズの『クリスマス・キャロル』は、この本を読む前にもくりかえし読んだことのある本だった。

その『クリスマス・キャロル』を「死霊」と「贈与の精神」という人類学的・宗教的用語で読み解こうというのが、本書に収められている「ディケンズの亡霊」という文だった。

『スクルージは貨幣社会で長いこと苦しみ、傷ついてきたすえに、「贈与の精神」を徹底的に否定する者となっていた。彼の周囲には、貨幣という「無形の流動体」の、活発な動きが日夜おこっていた。しかし、彼の心の奥では、かたくなな膠着が支配していた。スクルージは対話を拒絶する人間であり、徹底した独我論に立てこもることによって、心の内奥の秘密を、必死で防御している人物として描かれた。』

『そのスクルージの心に、亡霊と精霊が侵入を果たしたのである。霊たちは、生きながら凍りついたような心をもったこの男に、「死者のまなざし」をあたえた。すると、その心に何かが動きはじめたのだ。その動きは、「無形の流動体」である貨幣の動きと、本質的にちがっていた。』

『貨幣は、人と人とを分離した上で、金属流のような抽象的な流れの中で、商品交換をした人と人とを、結びつける。そこでのすべては、有体の流れの上で進行する。この有体の流れである貨幣的なものが、スクルージの心を凍らせていたのだ。』

『ところが、亡霊がその有体の流れの底を破って、そこから「無」への通路を開いた。この世に「有るもの」は、別の有体からの変態として実現されたものではない。言わば「無からの創造」として、Das Ding の境界領域をこえて、無が有に変位をおこし、存在そのものが私たちのもとに贈与されてくるのだ。』

『そのときを境にして、貨幣のロゴス力のうちに、贈与のエロス力の侵入が開始される。己の如くに汝の隣人を愛すべし(マタイ伝)。このメッセージを地上に伝達するためにイエスが生まれたことを祝うその日に、こうしてスクルージの心の底に厚くはりつめていた「有体の流れ」が、氷解しはじめた。死んだ心を、死霊がよみがえらせるのだ。そのとき、ディケンズの映画的・貨幣的な視覚化された文体の底を破って、真実の亡霊が、言葉によってこの世にあらわれる。贈与の霊が、「無からの創造」をともなって出現を果たし、私たちはディケンズの贈り物によって、幸福の感情に満たされる。』 

関連記事:中沢新一の著作との出遭い-それはまるでスラムダンクのように 2009年12月03日
関連記事:『下流志向』を読む⑤-「等価交換モデル」とペラギウス主義 2009年11月23日


岡潔の伝記を読む-「天上の歌 岡潔の生涯」

2009年11月15日 | 中沢新一
数学者岡潔の伝記を読む。

帯金充利『天上の歌 岡潔の生涯』(2003)

がその題名。

〔今日本に必要なのは岡潔の「眠たさ」なのだろうか〕

岡潔の随筆は、今から10年以上前、読んでいたことがあった。
高校時代、岡潔の本を探して、古本屋をさまよったような記憶がかすかに残っている。
名前を知ったきっかけが何だったかは、今となってはよく思い出せない。
当時、父の本棚にあった渡部昇一氏や誰かの本を読んでいるうちにその名前を知ったのかもしれない。
私は受験勉強の合間に、岡潔の『春宵十話』などを読んでいたような気がする。
岡潔のどこが好きだったのかはよくわからないが、そのフワアとした雰囲気が好きだったのだろう。漠然としているのである。
私はこういう、学者っぽい「春風駘蕩」に憧れていたのだろう。
「漠然としたもの」に接する機会がどんどん少なくなっている現代では、岡潔や湯川秀樹のような、とても日本的で茫漠とした、思索的な知識人というのがすごく懐かしくなってくる。

岡潔は、知人に、いつも眠っているばかりだからと、「嗜眠性脳炎」とあだ名をつけられたことがある。
これは私も、高校時代に読んで、記憶に残ったところである。
高校時代の私は授業中寝てばかりだったので、なんとなく自分に言われているような気がしたのである。
岡潔の随筆を読んだことがある人はわかってくれると思うのだが、この人の文章を読んでいると、なんだか眠たくなってくる。

〔木魚を叩くことと、数学をすること〕

この本には、岡潔が数学上の難問を解こうとしている時、リラックスした瞬間に「たちまちにして解ける」という体験をしたことが紹介されている。
2-3週間も神経を極度に集中させて問題を考え続けていると、次のような時に問題が解ける瞬間が訪れることがあったらしい。

・理髪店で耳掃除をしてもらっている時
・トンネルを抜けて眼下に茫洋たる海が広がっているのが見えた時
・木魚をたたきながら念仏を唱えている時

最後の、念仏を唱えたら問題が解けてしまう、というのは笑ってしまう。一休さんのひらめきみたいである。
木魚を叩くことと、数学の問題を考えることが、岡潔の中ではどうも同じプロセスとして同居していたらしい。

〔生彩陸離たる間違い、生命のリズム〕

この本に引用されている岡潔の文章でユーモラスな感じがして面白かったのは、
自分の次女に算数を教えているときのエピソードだ。「生彩陸離とした間違い」「間違っているうちに、何か生命力のリズムが出てくる」という見方が面白い。

「さおりのやることを見ていると、不思議にも少しも数学しているという気がしない。規則どおりにしなければ×をつけられると思いつめて、びくびくし続けているにすぎない。ところが、おもしろいことに、間違いのほうに目をつけると、このほうは生彩陸離としている。初めはおずおず間違うのであるが、だんだん興が乗って、しまいには傍若無人に間違う。鞍上人なく鞍下馬なしである。間違いやすいから間違うのではなく、間違えたいから間違うのである。そうなるとなんだかリズムのようなものさえ感じられる。生命力は表へは出ようがないから、裏へ出たのであろう。その表と裏とを変えるのに、私は三月かかったのである。」

〔岡潔が跳べば、犬も跳ぶ〕

この本の表紙は岡潔が道端でぴょんとジャンプしている写真だが、
この写真を取ったときのエピソードも紹介されている。
週刊誌の記者が自宅にやってきて、近頃アメリカでジャンポロジー(跳躍学)という学問ができたという話をされ、そこで岡が跳躍している写真を撮りたいのだと頼み込まれたらしい。
岡潔はいやいやながら、近所の道端に出ると、近くに野良犬のようにうろついている犬がじゃれついてきて、岡潔といっしょにジャンプし出してくれた。
岡の跳躍している写真を見直してみると、たしかに下にいる犬が岡潔のほうを見上げながら、まさに跳躍せんとしているところで、この写真の主役は実は、この犬だったりするのだ。

〔「情緒の世界」では「物と物との結びつき方」が違う〕

岡潔といったら、「情緒の教育」とか「情緒の論理」というテーマが有名だが、この本では、数学者の高木貞治への手紙に書かれた岡潔の考えがそれに関連していて面白い。
最後の数行で岡は、情緒の世界の不思議なロジックの働き方について触れている。

「所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが)その瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、まだ解決されて居ず容易には解けそうにもない、と云ふことが分って来ますと、何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、理智の世界よりは、或いは遥かに次元が高いのではないかとさへ思はれます。又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。」