中沢新一氏のレヴィ=ストロース追悼文の一部。 読売新聞2009年11月5日より。
…鷲のように鋭い目をした彼は、大鷲さながらに、人間たちの頭上はるか上空を舞いながら、人類の来し方と行く末を正確に見つめていた。またその鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことがなく、現代人が無価値なものと打ち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した。
…私はレヴィ=ストロースの中に、人類の心のもっとも美しい発現を見てきた。音楽を称えながら、レヴィ=ストロースは「神のごときワグナー」と書いたが、私にとっては、じつに彼の精神こそが神なのであった。
…その頃の彼はさまざまな場所でめざましい発現を続けていたが、その中でもっとも私を驚かせたのは、自分は新石器時代人と同じように思考しているのにすぎない、という発言だった。
…私が思考しているのではない、私をつうじて、人類の心が本性にしたがって思考しているのだ、と語るのだった。なんとすさまじい謙虚さではないか。
…その魂が、いま静かにその歩みを止めた。私たちにその欠を埋めることなどはできない。私たちはただ、悠然たる羽ばたきをもって天空高く去っていく大鷲の、だんだん小さくなっていく姿を、無量の悲しみをこめて見送る。
関連記事:『悲しき熱帯』を読む-カドゥヴェオ族と馬頭観音と子ども 2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースと柳田邦男の片言隻句を取り上げて、強引に「日本人ははんぶん原始人だ」と主張しようとしている文章です。)
関連記事:レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』とみうらじゅん『アウトドア般若心経』2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースの野生の思考は、日本で言ったらみうらじゅん氏の思考法に似ている。逆に、みうらじゅん氏の情熱は、民俗学者や人類学者の情熱に似ている。そんなことを指摘しようとしている文章のようです。)
関連記事:宮台真司とレヴィナス-〈世界〉の奇跡性、〈社会〉の奇跡性。2009年12月29日
(→宮台真司氏が、レヴィ・ストロースの『野生の思考』の「奇跡へと開かれた感受性」を参照しつつ、自身の考える「世界」へと開かれた感受性について述べているくだりがあります。)
…鷲のように鋭い目をした彼は、大鷲さながらに、人間たちの頭上はるか上空を舞いながら、人類の来し方と行く末を正確に見つめていた。またその鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことがなく、現代人が無価値なものと打ち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した。
…私はレヴィ=ストロースの中に、人類の心のもっとも美しい発現を見てきた。音楽を称えながら、レヴィ=ストロースは「神のごときワグナー」と書いたが、私にとっては、じつに彼の精神こそが神なのであった。
…その頃の彼はさまざまな場所でめざましい発現を続けていたが、その中でもっとも私を驚かせたのは、自分は新石器時代人と同じように思考しているのにすぎない、という発言だった。
…私が思考しているのではない、私をつうじて、人類の心が本性にしたがって思考しているのだ、と語るのだった。なんとすさまじい謙虚さではないか。
…その魂が、いま静かにその歩みを止めた。私たちにその欠を埋めることなどはできない。私たちはただ、悠然たる羽ばたきをもって天空高く去っていく大鷲の、だんだん小さくなっていく姿を、無量の悲しみをこめて見送る。
関連記事:『悲しき熱帯』を読む-カドゥヴェオ族と馬頭観音と子ども 2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースと柳田邦男の片言隻句を取り上げて、強引に「日本人ははんぶん原始人だ」と主張しようとしている文章です。)
関連記事:レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』とみうらじゅん『アウトドア般若心経』2009年11月15日
(→レヴィ・ストロースの野生の思考は、日本で言ったらみうらじゅん氏の思考法に似ている。逆に、みうらじゅん氏の情熱は、民俗学者や人類学者の情熱に似ている。そんなことを指摘しようとしている文章のようです。)
関連記事:宮台真司とレヴィナス-〈世界〉の奇跡性、〈社会〉の奇跡性。2009年12月29日
(→宮台真司氏が、レヴィ・ストロースの『野生の思考』の「奇跡へと開かれた感受性」を参照しつつ、自身の考える「世界」へと開かれた感受性について述べているくだりがあります。)