ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

「みのもんた」のひと言のほうが、ツイッターのつぶやき1000より強いー『思考停止社会』を読んで

2010年02月10日 | 政治・民主党
ネット暦が浅い私にとって、今回の一連のネット上の検察批判は勉強になった。


最近の「小沢一郎 vs マスコミ・検察」問題で、ネット上でしばらく検察批判の議論が盛り上がった。

それを私も眺めていて、今回はいい勉強になったな、と思った。

自分のツイッターでも@Clunio さんという方のツイッターを見ながら次のようにつぶやいている。

>ネット暦が浅い私にとって、今回のネット上の検察批判は勉強になった。RT @Clunio @gaitifujiyama: 今回の小沢疑獄でその発端となっている佐藤栄佐久氏のブログが更新されている。非常に示唆に富む内容なのでご一読を(2010年2月8日ツイッター)

その流れの中で私が知った名前に、元・検事「郷原信郎」氏がある。

それで今回、ためしに郷原信郎氏の『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書 2009年)を読んでみたのだが、この本で最も印象深かったのは、TBSのテレビ番組「朝ズバッ!」の「不二家チョコレート再利用疑惑報道」の顛末を書いた部分である。

TBSが番組を捏造したのかそうでないのか、しばらく検証が続けられたが、すったもんだの末、司会者の「みのもんた」氏が、番組内で「不二家の商品」を「頬張り」ながら謝罪する、という手段が取られ、なんとその「広告効果」をもって捏造疑惑への責任が帳消しされてしまう…!

日本っておそろしい。
テレビの力はすげぇ、と思った。


みのもんた > テレビの力 >> ツイッターの力 > ブログ他


最近、ツイッターをやっている人の中に、政治家はバカなテレビ番組に出たりなんかせず、こちらのツイッターのつぶやきを充実させてください、と原口総務大臣などに直訴している人を見かけたことがある。

> @rrutan: 一瞬見ただけですが、太田総理に出ている政治家って、申し訳ないけどみんなバカに見えます。なので、もう出るのを止めたほうが良いです。ここで一所懸命つぶやいたほうが、あなた方のメッセージは届きますから。良くも悪くも。 (2010年1月29日ツイッター)

みのもんた氏の件を見るだけでも、そんなこと幻想であることがわかるだろう。
ツイッター上の、1000のつぶやきよりも、テレビ番組でのみのもんたの表情や身振りやひとことのほうが遥かに影響力をもっているのだ。

だから、原口総務大臣やその外の政治家たちも、TVタックルや、爆笑問題の番組に出演することをやめたりしないほうがよいと思う。

テレビに出る回数が少ない政治家は、選挙に弱くなると思うし、支持率が低くなる。


以下、郷原信郎氏の著作より・・・私が思わず唸ってしまった、「不二家のミルキーを頬張って謝罪するみのもんた」のシーン。


>その後、「朝ズバッ」では4月18日に、「謝罪放送」まがいの放送が行われました。

>問題となった1月22日の報道について、「出荷されたチョコレートが小売店から工場に戻る」という証言は証言者が他人から聞いたことで確証がなかったなど、「誤解を招きかねない表現があった」としたうえで、「やらせ捏造」は否定し、さらに司会者が不二家の主力商品のミルキーを頬張りながら、「スタジオのお菓子は全部不二家にしますから」と前日に販売を全面再開した不二家製品の宣伝をしたのです。

>結局、期限切れチョコレートの返品を再利用した事実の有無、証言テープの捏造の事実の有無など肝心なことは何一つ明らかにされませんでした。しかしこの放送を受けて、不二家側は、「TBSの謝罪を受け入れる」として、あっさり矛を収めてしまったのです。

>TBSのやり方は、公共の電波を使って、損害賠償請求をする可能性のある相手方に「無償広告」を行うことで賠償の代替措置をとろうというものであり、まさに「電波の私物化」以外の何ものでもありません。(郷原信郎『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』171p-172p) 


関連記事:NYタイムズが日本の検察を批判?-英語の記事を読んで一部訳してみた 2010年01月21日
(→上杉隆氏のツイッターで知った、ニューヨークタイムズの日本の検察批判の記事を一部私訳しています。その中に、郷原信郎氏の名前が出てきます。)
関連記事:神保氏 vs 産経・読売-千葉法相の記者会見をめぐって 2010年01月21日
(ビデオニュース・ドットコムの神保哲生氏の解説を読んで、ジャーナリズムのあり方について少し考えたりしていました。)

神保氏 vs 産経・読売-千葉法相の記者会見をめぐって

2010年01月21日 | 政治・民主党
これは、すごいな…この対比は…。
ジャーナリズムの教材みたいだ。

神保哲生氏のビデオニュース (2010年01月19日)で、
「千葉法相、指揮権に言及せず リークは無いと思う」という見出しで、
…千葉景子法務大臣は、19日、閣議後の会見で、民主党の小沢幹事長の政治資金規正法違反事件をめぐり、党内で検察批判が高まっていることに対して、法務大臣としての指揮権発動の可能性については、一切の言及を避けた。また、一連の捜査情報が報道されている問題についても、検察からのリークはないとの見方を示した。
…「一般論として指揮権が存在していることは承知している。個別に行使する、しないについてはコメントしない。」千葉大臣は繰り返しこのように述べ、指揮権発動の可能性については否定も肯定も避けた。…

と報道されているのだが、同じ記者会見の内容の報道で、
「産経」では、次のような報道となる。
千葉法相、指揮権発動否定せず 小沢氏土地疑惑事件という見出し。
>千葉景子法相は19日の閣議後の記者会見で、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件について「一般的に指揮権が私のもとにあることは承知している。個別に行使する、しないはコメントすべきではない」と述べ、検察当局に指揮権を発動する可能性を否定しなかった。<

「読売」では、次のような報道になる。
「指揮権発動、一般論としてある」…千葉法相という見出し。
>千葉法相は、「個別事件についてコメントはしない」としながらも、「一般論として指揮権を発動することはある」と発言した。<

「肯定も否定もしない」、「否定しない」、「一般論」と「個別論」、という言葉を使い分けていて、どれも同じ事を言っているはずなのに、全然ニュアンスが違う。というか、読売と産経は、かなり恣意的に、千葉法相の発言に「匂い」や「ニュアンス」を盛り込もうとしているように見える。映像を見ると、とても「そういう風」に言っているようには感じられない。

映像と記事を見比べてみると、今回の記事に限っては、神保氏のヴィデオニュースが明らかに「公正さ」「客観性」で勝っているように見えた。

そうなのか-。これほどまでに…。
いろいろと考え込んでしまった。
ともかく、勉強になった。

関連記事:「みのもんた」のひと言のほうが、ツイッターのつぶやき1000より強いー『思考停止社会』を読んで 2010年02月10日
(今回、私が検察批判で知った郷原信郎氏が書いた本『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』を読んで、みのもんた氏のエピソードにうならされました。)

NYタイムズが日本の検察を批判?-英語の記事を読んで一部訳してみた

2010年01月21日 | 政治・民主党
上杉隆氏のツイッターを見ていたら、

>外圧高まる。NYタイムズのマーティン・ファクラー東京支局長も「検察批判」に参戦。(2010年1月20日)

というつぶやきがあって、ニューヨーク・タイムズのJapan Stalls as Leaders Are Jolted by Old Guard
By MARTIN FACKLER
(2010年1月19日)という記事にリンクが張られていたので、さっそく読もうとしてみると、

ちょっと英語のレベルが高すぎて、辞書引かないと私には意味が取れない!(笑)

ということに気づき、しぶしぶと辞書を引きながら読む。

読んでみると、上杉隆氏が言うような、「検察批判」に参戦、というような勇ましい感じは受けなかったけど、郷原氏の言葉を引用したりして、日本の検察やメディアのあり方をやんわりと批判しているようでもある。

気になったところを以下、一部、私訳してみる。(「私訳」って変な言い方だけど。「私が訳す」のは当たり前だから。ここでは、それほど信頼置けませんよ、というくらいの意味。)

以下、NYタイムズの記事の、私なりのかなり「ゆるーい」翻訳ですので、もし参考にする方がおられるなら、そのあたりはお気をつけください。誤訳の危険性あり。ちゃんと原文をお確かめください。

以下、“Japan Stalls as Leaders Are Jolted by Old Guard”の一部私訳

“This scandal has put Japan’s democracy in danger,” said Nobuo Gohara, a former prosecutor who now teaches public policy at Meijo University. “This is the bureaucratic system striking back to protect itself from challengers, in this case elected leaders.”

元検事で名城大学の郷原信郎氏は、「この事件は、日本のデモクラシーを危険にさらしています。これは、選挙で選ばれた政治家たちに対する、官僚機構の側から行われる反撃です。」と言う。

…(略)…

Mr. Gohara and other critics do not so much defend Mr. Ozawa, a master of the machine-style politics of the Liberal Democrats, as criticize what they see as the selective justice meted out by the prosecutors, who come down hard on challengers to Japan’s postwar establishment while showing leniency to insiders.

郷原氏や他の批判者は、別に、民主党内に強権的政治を敷いている小沢一郎氏を擁護しているわけではない。むしろ彼らは、検察が行使する正義の恣意性を批判している。検察は、戦後日本のエスタブリッシュメントへの挑戦者に対して厳しく、エスタブリッシュメントの枠内の者に対しては優しいのだ。

…(略)…

The debate has focused unusual public scrutiny on Japan’s 2,600 public prosecutors, who are a force unlike any in the justice systems of the United States and other Western democracies. The Prosecutors Office has the right not only to choose whom to investigate and when, but to arrest and detain suspects for weeks before filing charges, in effect giving them powers of the police, attorneys general and even judges all rolled into one.

日本の検察の権力は、アメリカ合衆国や他の民主主義諸国の司法システムには見られないものである。日本の検察は、どの人物を、いつ取り調べるかを自分たちで決められる。また、正式に告訴する前に、被疑者を逮捕し、何週間にも渡って勾留することができる。その結果、彼らの権力は、警察と州の地方長官と裁判官を全部合わせたくらいの強いものとなっている。

Prosecutors are traditionally drawn from the cream of young law students who have passed Japan’s demanding bar exams. They are known for lightning raids on the offices and homes of their suspects, with lines of stone-faced prosecutors in dark suits marching determinedly past a phalanx of reporters and photographers, tipped off about the raid minutes before.

検察と言えば、被疑者のオフィスや自宅に踏み込むときのあの電撃的な光景で有名だ。レポーターや報道カメラマンたちが詰め掛けるなか、ダークスーツに身を固め、険しい表情の検察官たちが、断固たる歩調で進んでいく。何十分か前に、報道陣には「ガサ入れしますよ」という通告が行われる。

Indeed, media experts say the prosecutors enjoy close ties with the major news media outlets, which has led to generally positive coverage of the investigation into Mr. Ozawa.

メディアの専門家は、検察と大手メディアは緊密な関係にあることを指摘している。その結果、小沢一郎氏への調査に関し、一般に検察に肯定的な調子で紙面が書かれることになる。

…(略)…

“This scandal shows how much the new administration is making waves,” said Mr. Gohara, the former prosecutor, “but also how the old system will fight back.”

郷原氏は「この事件は、新しい政治統治が、どれだけ波乱を作り出すかを示しています。また、旧体制が、どのように抵抗の反撃を行うのかをも示しています。」と言う。

(終わり)

関連記事:「みのもんた」のひと言のほうが、ツイッターのつぶやき1000より強いー『思考停止社会』を読んで 2010年02月10日
(→郷原信郎氏の『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』という本を読んで、そこから「みのもんた」氏やテレビの力の凄まじさが伝わるエピソードを紹介しています。)
関連記事:原口総務大臣のクロスオーナーシップ禁止発言 2010年01月16日
(→上杉隆氏のツイッターからのが引用あります)
関連記事:Google(グーグル)と中国-英語のニュースを読んでみた 2010年01月15日
(→NYタイムズより、自分にとってはもうすこし易しめの英語の文章を訳してみました。)

「社会保障」も、昭和の妖怪・岸信介が基礎をつくった-宮本太郎『福祉政治』より

2010年01月19日 | 政治・民主党
安全保障と岸信介

今年は、日米安保50周年だそうで。

今日、鳩山由紀夫首相が談話を発表した。

やはり、日米安保体制の重要性は、一応、民主党政権にも認識されているようだ。

>日米安全保障条約改定の署名から五十年を迎えた十九日、鳩山由紀夫首相が談話を発表した。

>鳩山首相談話のポイント

・日米安保体制は日本のみならず、アジア太平洋地域の安定と繁栄に大きく貢献
・予見しうる将来、日米安保に基づく米軍の抑止力は、日本が平和と安全を確保していく上で引き続き大きな役割
・米軍プレゼンスは今後も地域諸国に大きな安心をもたらす公共財
・日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させるため、米国との共同作業で年内に成果
(以上、東京新聞 2010年1月19日 夕刊より)

しかし、50年以上も続くわが国の安全保障の枠組みをつくった「岸信介」って、一体どういう人間なんだろう。

今さらながらすごいと思われる。

昭和の妖怪、満州国を作った男、革新官僚…

「六十年安保騒動」の時、岸信介が取った態度の「ふてぶてしさ」もすげー迫力。

『ウィキペディア(Wikipedia)』から少し引用すると、

>こうした政府の強硬な姿勢を受けて、反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。岸は、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」(サイレント・マジョリティ発言)と沈静化を図るが、東久邇・片山・石橋の3人の元首相が岸に退陣勧告をするに及んで事態は更に深刻化し、遂にはアイゼンハワーの訪日を中止せざるを得ない状況となった。

>新安保条約の批准書交換の日の6月23日、岸は閣議にて「私のやったことは歴史が判断してくれる」と述べて辞意を表明、7月15日、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。

>岸が取った一連の行動については、文芸評論家の福田和也などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。

社会保障と岸信介

しかも、おもしろいのは、安全保障(national security)の分野のみならず、日本の社会保障(social security)の基礎を作ったのも岸信介らしいのだ。

2つのセキュリティ、整備されたのは両方とも、岸内閣の時代ということになる。

『ウィキペディア』の記述でも「岸内閣誕生」の項に、

>この他、最低賃金制や国民年金制度など社会保障制度を導入し、後の高度経済成長の礎を構築した。

とちゃんと書いてある。

ソーシャル・セキュリティをこしらえたのも岸信介だった、というのは私の場合、宮本太郎氏の『福祉政治』という本を読んで初めて知った。

読売新聞の渡辺恒雄氏も、この本のことは高く評価していた。(→参考:EU労働法政策雑記帳 2009年7月10日『文藝春秋』渡辺恒雄 ・宮本太郎対談より >今月の『文藝春秋』の読みどころは、(…)わたくし的に興味深かったのは、読売新聞の渡辺恒雄主筆と宮本太郎先生の対談です。(…)ほとんど意気投合してます。(…)お二人とも、社会保障に関しては「大きな政府」を追求する社会民主主義者なんですね。)

当時の自民党の政治家たちの「福祉ナショナリズム」のエネルギーもすさまじかった。当時の日本人のエネルギーが溢れすぎていて私が思わず笑ってしまうのは、自民党・野田卯氏一の言葉、「たとえ皆年金を西欧人ができなかったとしても日露戦争に勝った日本には可能である!」というもの。

今でもわれわれは、こうした昔のエネルギッシュな自民党の政治家たち(ないし官僚たち)が作り上げた諸制度の恩恵を受けつづけているのである。
嫌かもしれないけど、感謝しましょう。

以下、 宮本太郎『福祉政治』(2008年)より

>分立的な制度の中ではあったが、戦後の日本は独立後、1961年という早い時期に、皆保険皆年金を達成した。つまり、健康保険と公的年金が国民すべてを被保険者とするにいたった。皆保険には、他には北欧三ヶ国が達成していたにすぎなかった。また、皆年金を実現した国としては12番目であった。健康保険については、戦時期に導入された国民健康保険制度が地域保険の基盤を形成していたが、年金は、終戦時には厚生年金などの職域年金のみであった。いずれも、きわめて急速な立ち上がりであった。(宮本太郎『生活保障』66p)

>もちろん、皆保険皆年金といっても内実が伴っていたわけではない。(…)だが、形式としてであれ、皆保険皆年金を達成しえたエネルギーは認めなければならない。(66p-67p)

>(当時、自民党の)野田卯一は、皆年金が欧米の先進工業国でも行き渡っていないことにふれて、「たとえ皆年金を西欧人ができなかったとしても日露戦争に勝った日本には可能である」と喝破したことが伝わっている。(70p)

>ちなみに(当時の首相の)岸信介は後に、「岸内閣の時代に社会保障や福祉の基礎がつくられたということが、私のイメージに合わないというか、私になじまないような印象を受けるらしいが、そういう評価の方がなじまないと言うべきで、私にとっては意外でもなんでもないのである」と述べている。(宮本太郎『生活保障』70p)



自民党は自民党のままで、「保守の新生」を心掛けてほしい

2010年01月16日 | 政治・民主党
「みんなの党は政界再編の受け皿になるか」池田信夫blog 2010年01月14日
…鳩山政権が政権末期の様相を呈し、自民党もわけのわからない復古政党になろうとしている今、みんなの党の存在感が高まっている。著者(渡辺喜美代表)も『文藝春秋』で、中川秀直氏に「新旧分離」によって自民党を「清算会社」にしようと呼びかけていた。河野太郎氏は今のところ、みんなの党に合流する気はないようだが、このまま参院選に突入すると、自民党の惨敗は必至だから、みんなの党が「存続会社」として政界再編の受け皿になる可能性もある。…

と、池田氏は書くのだが、「みんなの党」ってそんなに存在感あったかなぁ。私は、自民党は自民党のままで、「保守の新生」を心掛けてほしいと思っているのだが、政治家自身がやる気を失っているのかもしれない。河野太郎氏のブログを読むと、やはり保守系の政治家のなかには、自民党で頑張ろうという気が最早失せてきている人がいるらしい。そういう人は、いちどは「みんなの党」に行くことも考えてみるのだが、河野氏によると「比例復活の議員はその任期期間中は既存の政党には移ることができない」というルールがあって、それで「みんなの党」には行けないから、とりあえず「新党」を結成しよう、と思いついたりするのだそうだ。何だか、情けない話だ

「みんなの党が増えないわけ」 河野太郎ブログごまめの歯ぎしり 2010年1月15日
…ある先輩議員と長ーい電話。総裁選挙で谷垣選対の一員で、推薦人にもなっていたんじゃないかな。自民党はもう立て直せないから新党を考えよう、といきなり言われる。思わず目が点。じゃみんなの党に行ったらどうですかと言ったら、僕は比例復活だから既存の党にはいけないんだよ、でも、新しい党を作ればそこには移れる。目から鱗。そうだ、比例復活の議員はその任期期間中は既存の政党には移ることができないんだ。だからなかなかみんなの党に行こうという議員が増えないのか。…

次に紹介するのは、自民党の若手議員の山本一太氏のブログで、河野氏と親しい山本一太氏も、ここで「新党結成」と「比例復活の議員」について書いている。「前回の衆議院選挙で自民党が得た119議席のうち、選挙区で当選したのは60数名」くらいだったという。これは、残りの50名くらいは「比例復活で当選した議員」だ、と考えてよいのかな? 私には、選挙の仕組みがよくわからないけど。だとしたら、そういう議員さんたちはそりゃ不安になるだろうな…。

「山本一太が組みたいと思う政治家」山本一太の「気分はいつも直滑降」2010年1月16日
…前回の衆院選挙の前もそうだった。 選挙の弱い政治家ほど、「新党、新党!」と言う傾向がある。
…選挙区の当選と、比例復活の当選は違う。比例復活の議員バッジは「半分」に切って渡したほうがいい!(笑)前回の衆議院選挙で自民党が得た119議席のうち、選挙区で当選したのは60数名(?)だった記憶がある。 つまり、これが自民党の本当の実力だ。…

さらに山本氏は、参院選以降は、自分もどういう決断をするかはわからない…と、選挙後の「新党結成」を匂わせるような書き方をしている。「保守」がこんなに不安定なままで、日本は大丈夫なのかな?

「中曽根弘文後援会、14年ぶりの挨拶」山本一太の「気分はいつも直滑降」2010年1月16日:パート4
…最近、若手の支援グループから、「山本一太は離党して、仲間と新党を作ったほうがいい!」と言われていることを話した。「私は自民党に残って、党を立て直すことに力を注ぎたいと思ってるんです!」と言うと、ある幹部が言った。 「一太さん、とにかく夏の参議院選挙までは、本気でやったほうがいい!でも、そこで自民党が惨敗するようなら...」 この部分は、書かないようにしよう。(笑)…

このような自民党周辺の「政界再編」の動きに対し、「愛国者」「保守」の立場から、「それでは民主党に続く、幼稚な"お試し政権"になってしまうだけだ。魔法に惑わされてはならない」、と警鐘を鳴らしている方もおられる。私が「政界再編」で検索して見つけたこのブログは、「保守派」を自認する人たちにこそ「よく考へて頂きたい。」と訴えている。“積み重ねを厭ひ、性急に結果を求めることこそ「保守精神」に最も反するものである。”と、「真髄」に注意を促している。

旧仮名遣いで書かれている文章なので、若い人たちの中には違和感を感じる人も多いだろうが、私は学生時代に保田與重郎や、桶谷秀昭氏の文章を愛読していた時期もあり、これくらいのディープさは全然「平気」である。(別にいばることではない)

魔法の言葉「政界再編」に騙されるな! Part.1~4「夕刻の備忘録」2010年1月11-14日

…魔法の言葉、四文字言葉に踊らされたのが昨年の選挙であつた。「政権交代」といふ呪文は誠に効果抜群であり、多くの日本人の脳を「思考停止状態」に追ひ込んだ。悪徳政治家は、そしてマスコミは、次なる手品の種を求めてゐる。如何にして国民を「考へさせずに投票させる」か。この一点に絞つて、計画を練つてゐる。

…そこで今夏の参議院選挙において、広く使はれるであらう四文字を予言しておく。「政界再編」が次の魔法の言葉である。特に衆議院も含めた同日選挙ともなれば、必ずこの言葉が五月蠅いほどに叫ばれる。

…客観的に見て、自民党にも信頼出来る議員は多くはない。民主党に至つては限り無くゼロに近い。この両者から掬い上げて、「健全党」と「ゴミ党」に分ければいい、或ひは「愛国党」と「売国党」に分ければいいといふ話であろうが、世の中そんなに簡単ではないのである。「ガラガラ」は結構だが、何処に「ポン」と何かが生まれ出る保証があるのか。「ガラガラ・ガシャン」で全てを失ふ確率の方が遙かに高いのではないか。何しろ再編後の筋の通つた構図を描ける人間は誰一人ゐないのであるから。

…二代続けて「お試し政権」が日本の国政を担ふことは、内政・外交の両面において、現在以上の禍根を残す可能性が極めて高い。政策よりは政局、即ち権力闘争が一層激しくなり、国の舵取りが益々難しくなる。従つて、中期的な国益を考へた場合、一旦自民党を軸とした「国際的にも信頼のある政権」を誕生させて、その後、内部の改革を進めさせながら、次なる機会へと準備を重ねるのが穏当である。これを「月並み」であるとか、「後ろ向き」であるとか、否定的に考へてはならない。今してゐる我慢を、「僅かに明るい気分で」もう少し続けやうといふことである。特に「保守派」を自認する方には、よく考へて頂きたい。積み重ねを厭ひ、性急に結果を求めることこそ、「保守精神」に最も反するものであることを。

…非常に現実的な見方をすれば、誠に残念ながらと云ふしかないが、我が国において政権担当能力を有する政党は「自由民主党」以外には無いのである。この点を是非真剣に考へて頂きたい。「政権交代」で騙された人々が、再び「政界再編」で騙されることがないやうに御願いしたい。

…山崎拓が民主党から立候補すれば、それは政界再編の狼煙なのか。自民党では黒かつた烏が、民主党に入れば白くなるのか。新党から出れば、旧弊な既存政党と決別した正義の闘士に生まれ変はれるのか。かうした馬鹿馬鹿しいことを、アッサリと許してしまふのが、「魔法の言葉」の魔法たる所以である。…

原口総務大臣のクロスオーナーシップ禁止発言

2010年01月16日 | 政治・民主党

総務相が新聞社の放送局への出資禁止を明言「ビデオニュース・オン・ディマンド 」(2010年01月14日)


…原口一博総務相は14日の外国特派員協会での講演の中で、現在のメディア集中排除原則を改正し、新聞社のテレビ局への出資を禁止する法案を国会に提出する意思を表明した。…

…「クロスメディアの禁止、つまり、プレスと放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、そこには多様性も民主主義の基である批判も生まれないわけであります。これを、法文化したいと考えています。」原口氏はこのように語り、マスメディア集中排除原則を法案として提出する意向を明らかにした。…

ジャーナリストの上杉隆氏は、この報道に対し、

「原口総務大臣、遂にルビコンを渡る。」(上杉隆ツイッター 2010年1月14日)

とつぶやいた。

ジャーナリストの神保哲生氏によると、

>すべての報道を見たわけではありませんが、今のところ昨日の原口大臣のクロスオーナーシップ禁止発言を主要メディアは見事なまでに黙殺してますね。同じ講演 で出た外国人参政権問題への言及や5日のキー局の地方局への出資規制緩和のニュースはどこも記事にしているというのに…。
> more voices(言論・情報の多様化)の喪失、少数メディアの強大化、新規参入の制約、メディア内の相互批判能力の喪失。これが多くの国でクロスオーナー シップが禁止されり制限されている根拠です。今回の原口発言の報じられ方(報じられない方!)はまさにそれを立証している?」
>原口大臣のクロスオーナーシップ禁止発言について。「そんなことできっこないから、どこも報じてないんだよ。」友人のテレビ局幹部が(多分)親切心から解説してくれました。ありがとう。何と香ばしい。いろいろな香りがする発言でした。
>昨日のビデオニュースの報道に対して、原口さんテレビに出られなくなって選挙に落ちるよとか、原口さん死なないでなんてコメントまで届く始末。同じ日に検察 を真っ向批判した郷原さんについてはそんなこと誰も言ってこなかった。どうやら日本ではメディアは検察権力よりも怖い存在となっているようだ。(以上、神保哲生氏のツイッター 2010年1月14日より)

次の日、原口大臣は記者会見で、「クロスメディア禁止の法制化の発言について、ほとんどの主要メディアでは報じられていないようなのですが」という質問に対し、

原口総務大臣 「それは主要メディアの方に聞いてください。クロスメディア、これは何かというと、一つの大きな資本体がテレビも取るわ、新聞も取るわ、ラジオも取るわと、そして言論が一色になるということは、これは皆さんジャーナリズムの世界ではあってはならないということだとされているわけです。そして、いろいろな国が出資規制を置いている。そのことについて私たちもしっかりと、これは国会でも御議論いただいていることでありまして、その議論を踏まえた一定の結論を出していきたい、それを言っただけです。主要メディアが報じなかったどうかというのは、私のコメントできるところではありません。」(総務省HP「原口総務大臣閣議後記者会見の概要 1月15日」

と答えている。

テレビ、新聞は今、小沢幹事長・秘書逮捕のニュースで一色になっている。


関連記事:宮本太郎氏の「官僚主導の三重構造」-原口一博氏ツイッターより 2010年01月13日
(→クロスメディア問題とは関係ありませんが、原口氏のツイッターの感想があります。)
関連記事:NYタイムズが日本の検察を批判?-英語の記事を読んで一部訳してみた 2010年01月21日

政治の目的は「不幸の最小化」-管直人氏

2010年01月14日 | 政治・民主党
仏教者の宮崎哲哉氏が以前、民主党の管直人氏がいう政治の目的は「不幸の最小化」という考え方はよい、と述べていたことがあった。

管直人氏の公式ウェブサイト 2003年10月2日にも、その言葉はある。

<最小不幸社会>昨日の予算委員会で私の政治哲学として「最小不幸社会」という考え方を披露した。政治の目標は人々の不幸を最小化する事という意味。私がこの言葉を使い始めたのは20代の学生時代から。今回の民主党マニフェストでも使う予定。 (管直人氏の公式ウェブサイト 2003年10月2日より)

不幸の最小化。仏教の「抜苦与楽」の考え方に似ているのかなぁ。
まず火を吹き消す、毒矢を抜く。
ロールズの「格差原理」という考え方にも似ている。


関連記事:子どもが泣き止まない-ハローワークにて 2009年12月08日
(→NPOライフリンク代表の清水康之氏が政府の活動に参加している。政府が積極的に「自殺対策」に関るというのは、管直人氏の「不幸の最小化」という考え方の具体化例のひとつだろう。)
関連記事:南直哉×宮崎哲哉の動画にコメント 2009年11月14日
(→宮崎哲哉氏が「座右の銘」にしているという南氏の「生きる意味より死なない工夫」という言葉を引用している箇所があります。)
関連記事:次の総理大臣は菅直人氏? 2010年01月09日

宮本太郎氏の「官僚主導の三重構造」-原口一博氏ツイッターより

2010年01月13日 | 政治・民主党
自分は、けっこう若い年代であるにも関わらず、周りと比べてコンピュータには不慣れなほうだと思う。
最近無理して、やっとブログを始めたところだというのに、世間ではすでに、ツイッターなるものが流行しはじめている。
技術の進化が速くて、オジサンついていけません。

と泣き言をいわずに、総務大臣の原口一博氏のツイッターを読んでいると、けっこう面白かった。

怠け大臣、『ゆる』大臣

>細君に教えてもらってゆる体操しました!これで息が上がるなんて…(涙)おやすみなさい。継続は力なり!
(原口氏ツイッター 2010年1月3日より)

『ゆる体操』ってたぶん、身体運動研究家の、高岡英夫氏の『ゆる体操』のことだろう。(→ You tube 爆笑問題の番組-「ゆる体操」の紹介

高岡英夫氏の著作は、わたしも結構読んでおり、啓発されることが多いのだが、さすがに、時の内閣の大臣が『ゆる体操』をやっていると思うとやや不安? でもま、いっか、笑えてくる。

スティッフな身体からフリーな身体へ。「ガチガチ」から「ユルユル」へ。高岡英夫氏はそのような提言をしている人である。

「お零れ頂戴」のトリクルダウンからファウンテン(湧き出る泉)へ

また、私が言うのもおこがましいが、原口氏の言葉のセンスは悪くないと思っている。

>強い人が走っていさえすれば、おこぼれの滴りで後は大丈夫というトリクルダウン(富の自然浸透)理論がしきりに唱えられました。しかし、実際は国際競争力を落としただけ。緑の分権改革の発想は、社会のバリアを取り除き、一人ひとりを生かすファウンテン(湧き出る泉)理論に立っています。(2010年1月3日より)

これも人によっては、『トリクルダウン理論』というのは経済学的な裏付けがあるちゃんとした理論なのに、原口の言う『ファウンテン理論』なんて根拠なしの美辞麗句、と言って批判したくなるかもしれないけど、私はこれでいいと思う。やはり、政治家には明るい言葉を発する力が必要だ。

宮本太郎氏の「官僚主導の三重構造」とは何か

原口氏は、宮本太郎氏と対談して、『官僚主導の三重構造』という言葉を教わったらしい。

>官僚と族議員が業界と会社を守り、業界と会社が男性稼ぎ主の雇用を保障し、そして男性稼ぎ主がその妻と子どもを養うという『官僚主導の三重構造』。 これは問題のある仕組みです。官僚の匙加減で生活までもが左右されてしまうからです。 (2010年1月4日より)

>「官僚主導の三重構造」は宮本太郎先生との対談での先生の言葉です。この構造は問題のある仕組みであったけど日本社会の安定を支えてきた。それがこの 20年で揺らいできている。格差が広がり人々が不安をいだき出口を探している。そこで… 「地域主権改革宣言」でもその答えを議論しています。(2010年1月4日より)

この『官僚主導の三重構造』というのは、たぶん、宮本太郎氏がその著作『福祉政治』『生活保障』で説明している「仕切られた生活保障」というのにほぼ重なる概念だと思う。

よって以下、理解の便宜を図るため、宮本太郎氏の『福祉政治』『生活保障』より関係ありそうなところを拾い出して、一部抜粋する。
自分用のメモみたいなもので、理解の深い人から見ればちょっとポイントずれているかもしれないけど、それくらいはご寛恕を願う。

>この体制(官僚主導体制)は、さまざまな職域ごとに、官僚が族議員と一体となって業界や企業を保護するもので、その業界や企業が男性稼ぎ主の雇用を守り、そして男性稼ぎ主が妻や子どもを養った。これは、保護の連鎖であると同時に支配の連鎖でもあり、官僚や族議員の利権がはびこり、男性稼ぎ主中心の家族主義が当たり前のこととされた。しかしその一方で、この仕組みは、ともかくも人々の生活を安定させてきたのである。(宮本太郎『生活保障』はじめに- )


>すでに筆者を含めて何人かの論者が主張してきているように、日本では雇用レジームにおける雇用保障が、福祉レジームの機能の一部を代替している。この傾向は1970年代の半ばからはっきりしてきたが、こうした雇用レジームとの連携の結果、日本の福祉レジームそのものは次のような特質を備えるにいたった。

第一に、年金や医療保険などが公務員、大企業、自営業といったように職域ごとに分立したかたちをとったことである。これは、雇用レジームにおいて企業あるいは職域ごとに男性稼ぎ主を囲い込むしくみが形成されたことに対応している。(…)その結果、日本では企業、業界などを単位として雇用保障がなされ、これを社会保障が補完する「仕切られた生活保障」とでも言うべきしくみが形成されたのである。(…)

第二に、福祉レジームの規模は小さかった。日本では、生活保障の軸が雇用レジームに置かれたため、社会保障支出は抑制された。雇用保障は男性稼ぎ主を対象としていて、とくに大企業ではその賃金は家族の生活費も含めた家族賃金という性格を強めたために、雇用レジームが家族主義を支えることになった。(…)

第三に、その抑制された社会保障支出が人生後半の保障、すなわち年金、高齢者医療、遺族関連の支出に傾斜したことである。(…)生活保障における雇用保障の比重が高く、したがって人生前半に関しては会社と家族が諸リスクに対応したため、狭義の社会保障は、会社勤めから退き家族の対応力も弱まる人生後半に集中することになったのである。だが、このことはいったん会社と家族が揺らぎ始めると、若い人々を支えるセーフティネットが脆弱であったがゆえに、ここに低所得者リスクが集中することを意味する。(…)

>以上のような構造の下で実現された「仕切られた生活保障」においては、それぞれの「仕切」の中で、まずは雇用されることで生活保障がはかられた。(以上、宮本太郎『福祉政治』31p-34pより)


関連記事:宮本太郎『生活保障』-ちょっと難しすぎるという人のために 2009年12月08日
(→岩波ブックレット『脱「貧困」への政治』より、宮本太郎氏の発言の抜粋をしています。)

次の総理大臣は菅直人氏?

2010年01月09日 | 政治・民主党
(↓)笑った。

65 :名無しさん@十周年:2009/12/24(木) 20:04:53 ID:OBZL4Exr0
    /    \         ノ⌒`ヾ?  
  /ノし   u;  \    ;γ⌒´    \
  | ⌒        )   // ""´ ⌒`\. );  
  |   、       ); .. i;/   \  /  ;i ); 
  |  ^       |   ;i  (・ )` ´(・ ) ;.i/;   
  |          |   l;    (__人_) u |;    
  |  ;j        | / :\-^^n`ー'  /、゜,    いいのか?
  \       /  ! 、 / ̄~ノ∠__/ i;     俺が総理辞めたら菅が総理だぞ?
  /      ⌒ヽ  ヽ二)  /(⌒    ノ;
 /       r、 \  /  ./   ̄ ̄ ̄/;

天皇特例会見―小沢一郎はどれくらい正しいのか

2009年12月18日 | 政治・民主党
天皇の特例会見について、日本のマスコミが小沢一郎の発言の傲慢さを非難しているが、小沢氏の発言って、どれくらい正しいのだろうか。

たしかに小沢一郎氏の言う通り、宮内庁長官が、一役人の分際で政府の外交に口をはさんだこと、またそれに便乗するマスコミの報道って、私にも「虎の威を借る狐」のように見えた。羽毛田長官が象徴するのは、役人の傲慢さだと。

アメリカを「虎の威」にすると、最近の「普天間問題」になり、
天皇陛下を「虎の威」にすると、最近の「羽毛田長官問題」になるのかもしれないと思った。

それで私は、鈴木宗男氏が『ムネオ日記』で「羽毛田長官は尊皇精神に欠けている」と非難しているのを見て「そうだろうなぁ」と共感していたのだが、最近ちょっと考え直した。

『雪斎の随想録』2009年12月15日「拝啓、イチフ・オザーリン殿」という記事で「そういう小沢一郎氏も、内閣の一員じゃないではないか」と指摘されているのを読んで、「ん? 待てよ?」と自分の考えに少し修正が入りかかった。

小沢一郎氏が言うことはどれくらい正しいのだろう?
私には最初「ちょっと正しい」ように思えたけれど、おそらく「すごく正しい」わけではないのだろう。

『極東ブログ』2009年12月16日「習近平副主席訪日の天皇特例会見のこと」という記事を読むと、憲法の解釈との兼ね合いで、小沢一郎氏の発言にはおかしいところがあることを指摘している。

たしかに。
総理大臣が宮内庁長官という「木っ端役人」をクビにすることはおそらく憲法上正しい権限の行使だろう。
でも、そもそも民主党の一議員である小沢氏が「やめろ!」なんて圧力をかけるのは何だかおかしいのだ。

以下、それぞれの記事の内容を少し紹介しておく。

『ムネオ日記』2009年12月15日

・・・羽毛田宮内庁長官のいわゆる特例会見が大きな波紋を拡げているが、「羽毛田長官は尊皇精神に欠けている」という指摘が様々な方面から私のもとに届く。「この人は本当に天皇陛下のことを考えているのだろうか」という声が多い。
・・・私も、天皇陛下にお話をされ、会談日程のご了解を得てから表沙汰にするのは、何かしら意図的なものがあるのかという感じもする。
・・・天皇陛下は中国の習近平国家副主席と会見された。テレビ、あるいは夕刊各紙の写真から見る天皇陛下のお姿は、何事にも動じない、ただただ頭の下がる思いである。
・・・本当に羽毛田長官が天皇陛下をお守りすると言うのなら、口に出して言うのではなく、態度で示すべきではないか。この点、極めて残念な羽毛田発言であった。

『ムネオ日記』2009年12月17日

・・・小沢幹事長が天皇陛下の国事行為について触れた15日の記者会見について、ちょっとした解釈論争になっている。
・・・日本国憲法の第7条10項に「儀式を行ふこと」とある。これをもって外国のお客様に会うとする解釈、学説をとる法律家、憲法学者もいる。
・・・それからすると、小沢幹事長の考えは間違っていない。決めつけた物言い、判断は危険であり、公平性を欠く。冷静な議論をして戴きたいものである。
・・・「30日ルール」と羽毛田宮内庁長官は言うが、それならば過去に30日を切って受けた例はなかったのか。是非とも国民に真実を明らかにして欲しい。
・・・先月のオバマ米国大統領にしても、決まっていた日程が直前になって変更されたものの、粛々(しゅくしゅく)粛々と行われた。今回の件にしても、天皇陛下とのご引見が決まってから、羽毛田長官は何の意図があって記者会見をしたのか。
・・・「自分は天皇陛下をお守りする立場にある」と話していたが、それならば職を賭して、身体を張って「日程は受けられない」と断固突っぱねるべきではないか。
・・・天皇陛下に日程を説明しただけでも、尊皇精神に欠けている。口では「お守りする」と良いながら、官僚の自己保身が透けて見える。
・・・「何のために会見したのか、羽毛田長官は国民への説明責任がある」という多くの声があることをお知らせしたい。

『雪斎の随想録』2009年12月15日「拝啓、イチフ・オザーリン殿」

・・・日本は、民主主義国家ではあるけれども、決して共和制国家ではない。日本は、歴然とした立憲君主国家に他ならない。故に、「君主制」と「民主主義体制」の微妙な均衡の下に成っているのが、日本の政治体制である。小沢一郎幹事長は、そうした日本の国制の意味が判っていないらしい。
・・・日本は、「立憲君主国家」である以上、それに相応しい慣習がある。焦点になっている「一ヵ月前告知ルール」は、慣習としての歴史は浅いかもれないけれども、「生身の人間」である陛下の健康を考慮した慣習である。そして、「宮内庁長官」という官職は、そうした「立憲君主制度」の擁護を直接に担っている。彼が、そうした慣習の違背に反発するのは、むしろ当然のことである、これを「杓子定規」、「金科玉条」などと批判する感覚こそは、日本が「立憲君主国家」であるこの意味を判っていないことを示している。
・・・しかも、紛糾の種となっている外国賓客の接遇は、憲法上の国事行為ではない。各地の行事への行幸と同じく、憲法学上、「公的行為」と分類される行為である。こうした「国事行為」ならざる行為に、どこまで「内閣の助言と承認」が必要とされるかは、決して自明ではない。逆にいえば、外国賓客の接遇は、国事行為ではない故にそ、「四方の海、皆同胞と思ふ世に…」という皇室の価値観が反映されていたのである。
・・・小沢幹事長は、記者に「憲法を読んだか」と講釈したらしいようであるけれども、国事行為、公的行為といった天皇の行為は、憲法上、「内閣の助言と承認」を必要とするものであっても、「内閣の指示」に依るものではない。
・・・「閣僚ですらない一政党幹部ふぜいが、何を戯けたことを…。分際を弁えよ」。
こういう物の言い方は不穏当であろうか。

『極東ブログ』2009年12月16日「習近平副主席訪日の天皇特例会見のこと」

・・・今回の天皇特例会見の是非は、天皇の政治的な意味合いを理解している人なら、なにも杓子定規に「1か月ルール」と言い出さずとも理解できるだろう。小沢氏は「天皇陛下の国事行為は内閣の助言と承認で行われる」から天皇の政治利用にはあたらないとしたが、天皇の外国要人会見は国事行為そのものではなく、それに準じた「公的行為」である。また、公的行為であっても内閣が責任持てばよいのだという屁理屈もあるが、そんな話を進めていけば、天皇と政権の関係は危うくなる。むしろ「1か月ルール」はその常識から出た妥当な線引きであった。また、小沢氏は「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、会いましょうと必ずおっしゃると思う」とも語ったが、2.26事件の亡霊にでも取り憑かれたのであろう。・・・