PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



弘法大師の足跡を辿る旅の続きです。パチパチ!
お次は、奈良といえば!の東大寺(とうだいじ・華厳宗)奈良県奈良市雑司町へ。



でかいぜ国宝の南大門。




でかいぜ仁王様(金剛力士)。もちろんこちらも国宝。




でかいぜ国宝の大仏殿。これでも再建されたときにだいぶ小さくなっているってえんだから(^^;)




でかいぜ八角燈籠。火災を免れ続けた創建当時のもの。もちろんこちらも国宝。





もうですね、ぜんぶでかくてぜんぶコクホーなの。そりゃあ、外人さんも修学旅行生も来るよなー。




そして、ついに奈良の大仏様(毘盧遮那仏)の前へ。




台座の蓮弁に線彫りされた蓮華蔵世界。




ちょうちょもでかいぜ。




脇侍の如意輪観音様もでかいぜ。




実は我々が目指したのは大仏殿ではなく、戒壇院戒壇堂。弘法大師空海上人は、遣唐使で唐に渡る前に、東大寺戒壇院で具足戒を受けて正式に出家なさっています。
ところが、、、、、、戒壇堂は保存修理及び耐震化工事の為、令和2年7月1日より約3年間拝観受付を一時停止って(T_T)



弘法大師は帰国後の弘仁元年(810)、高雄山寺に身を置きながら東大寺別当になっています。
ここで興味深い、当時の逸話があります。
「その頃の東大寺に大きな蜂が出て、僧を刺し殺すなどした為、それを恐れた僧たちは寺を離れ、参拝者の足も遠のいて、大いに困っていた。ところが、空海が東大寺別当になると、たちまち蜂は退散し、寺を捨てた僧たちも戻り、東大寺はもとの隆盛を取り戻した」というものです。これはおそらく、最澄ひきいる天台勢力に刺され(押され)、青色吐息だった奈良仏教が、朝廷に頼み入り、時代の寵児である空海上人を取り込むことで起死回生を図り、復興に成功したことを表しているのではないか、、、、と。


現在東大寺は華厳宗ですが、朝のお勤めで密教の理趣経がとなえられているのは、弘法大師が東大寺に残した影響とも言われています。






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