PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



総代さん方が揃って新年のあいさつに見えました。パチパチ!
私が住職になってから毎年必ず、しかも私の都合を事前に聞いてくださってから。
本当に有り難い限りです。



今年は、立木観音堂の建立という、円東寺のBIGプロジェクトがありますので、そんな話や、裁判大変だったけど良かったねやはり正義は勝つね話など。
和やかに終わり、これで松が明けようというものです。






さて、今日の話題にもなったのですが、


「思っているけどなかなか口に出せない人のために、俺が代弁してやっているんだ」


という方がたまにいらっしゃいます。
しかし、「思う」、「言う」、「動く」のそれぞれの間には、ものすごく大きな壁があり、むしろ独立するくらい違うものだと私は考えているのです。真言密教でいう身口意です。
思っているけど言えない方の意見を吸い上げることはとても大切ですが、頼まれもしていないのに言語化して発信することは、本当に正しいのでしょうか。


例えば、電車の中で騒いでいる酔っ払いに、心の中で「うるさいなあ」と思ったとしても、誰かが「みんながあなたのことをうるさいと思っていますよ!」なんて言うことを、私は望みません。
夏は暑いし、冬は寒い。電車にはいろんな人が乗っているもんですから。
言わないのはストレスなのではないか?という人も、もちろんいるでしょう。しかし、言うほどではない、という人がほとんどだと私は思っています。




裁判では、ウソばかりを涼しい顔でとうとうと述べる相手に、ここにはとても書けないような感情を持ちました。しかし、実際にそれを口にはしないし、行動にも移しませんでした。そりゃそうでしょう。言動には責任が伴います。
そして今となっては、ウソなんて言わず真実のみを語り、表面上とはいえ冷静さを保てた自分を、ほめたいくらいの気持ちなのです。



「代弁だ」なんて、人のせいにしないで、「言いたいから言った」くらいの主体性は持ちたいですね。


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