人が人を信じるという場合、かなり限定なのですが、これで私達の信頼関係は成り立っています。 例えば「あの職人は飲む、打つ、買うの仕様がない男だが、仕事だけは絶対に大丈夫」。この職人の全人格に信用を置いてるわけではなく、この人の職人としての技量、職業的倫理感に信用を置いてることになります。 私達は全能でなく、善の結晶でもないのです。「様々欠点があるが、こういうことは絶対にしない」。これが人望というものです。 またまた、良識や、常識もない、愚かな人間を見てしまいました。羞恥心もない、一体こういう――(彼)を何と呼んだらいいのでしょうか。 幾ら考えの違いがあっても礼を失すること許されません。一体この――(彼)の何を信じたらよいのですか。全人格的に否定されてもしょうがないでしょう。 早く日本の中枢から消えてなくなって欲しいものです。 ここで思い出されるの山本七平さんの言葉 階級でもなく、出身でも血縁でもなく、もちろんアクセントでもなく、人を評価する場合、「人望」が絶対条件の基準となるいう日本の伝統は、民主主義とは関係のない昔からの基準である、法や制度の変革によって変わらない文化的価値観だと考えねばならない。 (昭和58年『人望の研究』山本七平) ――(彼)は11月17日の参議院予算委員会で自民党の宇都隆史議員から追及され、陳謝したようだが、謝って済む問題ではない。 参議院予算委員会はここから http://www.youtube.com/watch?v=MMI3MCCWbUE&list=HL1321580212&feature=mh_lolz 私達はブータン国王ご夫妻の人柄にひかれました。ご夫妻とも英語堪能でいらっしゃる。若い国王夫妻に導かれるブータンという国の将来が輝いて見ます。