金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第19回 「山・島・沼・浜:共通点は何?」

2005-09-14 07:52:52 | 日本語ものがたり
 前回の宿題として、和語(大和言葉)の「やま(山)・しま(島)・ぬま(沼)・はま(浜)」を挙げた。これらの単語の共通点は何だろう。果たしてこれ ら2音節の和語を1音節づつ分けることができるだろうか。

 4つも似たような言葉を挙げたら、形の上での共通点は一目瞭然だ。第二音節の「ま」がそれである。それでは次に、意味の上の共通点はと言えば、これらが 全て名詞であること、しかもそれらが悉く「場所」を示すということである。だ とするなら、第二音節の「ま」の意味は「場所」でなくてはならない。

 「○ま」が場所を示すとする。すると次に「はた」と気が付くのが固有名詞としての地名である。日本には「○ま」の地名が実に多いのだ。思い付くままに挙 げてみようか。「吾妻・播磨・但馬・有馬・生駒・阿武隈・須磨・志摩・薩摩・多摩・筑摩・座間・浅間…」など、「ま」の漢字は様々でも、立ち所に地名の 「○ま」が列挙出来る。読者の中にも、自分の故郷を思い出してこれ以外の地名 「○ま」に気が付く方がいるに違いない。

 さらに沖縄を中心とする南島諸島の地図を手に取れば、ここにも地名に「ま」 で終るものが目に付く。「波照間・多良間・慶良間・鳩間・城間」などだ。こち らの「ま」は、多くは「間」と表記される。「ま」の表記が南島では多く「間」 であり、本州・九州では「磨」や「摩」であっても、表記に大きな意味はない。 共通しているのは和語の「ま」が「場所」を表すと言う一点である。もっとも、「間(ま)」は漢字としては「空間」の「間(かん)」であり、単に音を写した「馬」や「磨」より意味的に「場所」に近いとは言えるかも知れないが。

 さて、話はそれだけではない。阪倉篤義の「語形成の研究」(角川書店:1966)によれば、沖縄など南島諸島の場所の代名詞は「くま(=ここ)・うま (=そこ)・かま(=あこそ)・づま(=どこ)」であるという。こうなると 「ま」が場所を示すことは明らかと言わねばならない。

 さらに、「ひま(隙)」や「はさま(間)」という和語を考えるなら、「ま」の空間性はますます明らかと思える。「はさま」の「はさ」は「挟(はさ)む」 の語幹だろう。だからこそ「居間・客間・寝間・広間・仏間・茶の間」などの和室を総称して「日本間」と言うし、畳を取り外せば「洋間」となる。日本の所謂「間の文化」を「間を持て余す・間が抜ける(=間抜け)・知らぬ間に・いつの 間にか・間もなく・仕事の合間に」など数多くの表現が支えている。さらに「仲間(なかま)」など人間関係、「合間・昼間・瞬く間」など時間などにも意味の範囲を拡げている。

 「ま」に気が付けば、実はそのすぐ近くに別の和語「ば」がある。語源は恐らく「には」だろうと言われている。「場所・現場」などから「場(ば)」を音読みと考えてはいけない。「場」を「ば」と読むのはれっきとした和語(訓読み)である。「会場」などの「じょう」(中国語で はchang)が音読みだから、実は「場所」は湯桶(訓・音)読み、「現場」はその逆の重箱(音・訓)読みである。語源はともかくとして「ま」と「ば」は音としてとても近い。例えば「大和は国のまほろば」の「まほろば」という古い和語があるが、古事記では最後の「ば」が「摩(ま)」、万葉集では「婆(ば)」となっている。M音とB音はともに両唇音であり、よく交替が起きる。それが証拠に「馬・美・武・米・母」という漢字の音読みは「マ・ミ・ム・メ・モ」(呉音)と「バ・ビ・ブ・ベ(イ)・ボ」(漢音)の両方があるのである。

 和語の「ば」は常に「場」と書かれ、文字通り場所を表す。音読みの漢字と一緒に「場所・現場・役場・相場・職場・お台場・火事場・修羅場」となるかと思えば、その一方では訓読みの漢字と「場末・場合・場違い・市場(いちば)・広場・売り場・立場・溜まり場・牧場(まきば)・見せ場・山場」など切りがなく、これほどまでに音訓双方で自由自在に熟語が作れる和語も珍しい。日本語における「ば(場)」の重要さは特筆に値するし音/意味ともにこれによく似た「ま」も、漢字表記こそ「間・磨・摩」などと様々ながら、その底ではしっかり「場所」という意味を伴っているのである。今では、山・島・沼・浜などの後半から場所の「ま」を意識する日本人は恐らく殆どいないだろうが。

 ことほど左様に、語源を考察する時には漢字表記を離れてみることが大切だ。中国から漢字がやってくるまでは、日本語には文字はなかった。しかし話し言葉としての日本語は既に存在していたのである。そこでは例えば「話す」は「放す/離す」と同じ言葉だった。既に勢いを持った言葉を口から「放す」ことが「話す」ことだったからである。同様に「早い/速い」も「篤い/暑い/熱い/厚い」なども日本人の意識の中では本来同じものであった。(2002年9月)



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2 コメント

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まがない (藤原鈴彦)
2009-08-04 11:42:04
先月は、「三上文法は世界平和に寄与する」を
拝聴させて戴きました。
日本語は、世界最古の言語の形態を、今この時代にも引き継がれ話されている。
そんな想いを強くさせていただきました。

「間」(ま)の音が場所をあらわすことがよく理解できました。
頭につく「間がない」「間に合う」また「束の間」のように時間的な表現を意味する言葉を
見逃してはならない大事な「ま」の音があります。
「時間」は音読みではあっても「間」は、時間と場(空間)を表すことは明らかなようですね。
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Unknown (たき)
2009-08-16 10:05:02
広島の講演に来て下さったとは光栄です。
大変楽しくお話しさせて戴きました。

なるほど、時間の方の「間」も重要ですね。
ご指摘、ありがとうございます。
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